甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【成田市】新勝寺(成田山) その2 大本堂、三重塔、一切経蔵

今回も千葉県成田市の新勝寺について。

 

その1では総門と仁王門について述べました。

当記事では大本堂、三重塔、一切経蔵などについて述べます。

 

大本堂

仁王門をくぐって石段を昇った先には大本堂。右手には三重塔がそびえ立ちます。

 

大本堂は、RC造、桁行5間・梁間5間、一重、裳階付、入母屋、銅板葺。

正面95.4m、側面59.9m、高さ32.6m*1

1968年竣工。大林組による施工とのこと。

本尊は不動明王。

 

正面には、階段を覆う庇がついていますが、向拝柱はありません。手前(写真左)に見える柱のようなものは雨樋です。

 

柱は円柱。柱間には貫や長押のような材が通っています。

柱上の組物はありません。そのかわりなのか、腕木のような部材を伸ばして桁をわたし、軒裏を受けています。腕木は「1本、2本、3本」と軒先に向けてリズムよく配置されています。桁は3本通っていて、組物で言う三手先のような構造。

軒裏は一重の繁垂木。

 

右側面(東面)。

柱間は板戸や白壁。

上層も、下層と同様に腕木や桁で軒裏を受けています。

入母屋破風に、妻飾りや懸魚といった意匠はありません。

 

三重塔

大本堂向かって右手前には三重塔。

三間三重塔婆、銅板葺。全高25メートル。

1712年(正徳二年)造営。「新勝寺 5棟」として国指定重要文化財。

 

三重塔としては標準的な規模。頂部の宝輪がやや小ぶりで、全体のバランスはとくに良くも悪くもないと思います。華やかな極彩色の彫刻が各所に配され、全体のバランスよりも細部の意匠に技巧を凝らした建築といえるでしょう。

 

初重の正面(南面)。

いずれの重も正面側面ともに3間。

 

柱は円柱。軸部の固定には長押が多用され、頭貫木鼻はありません。

中央の柱間は桟唐戸。左右の柱間は、本来なら窓を設ける部分に、素木の彫刻が入っています。

縁側は切目縁で、欄干の親柱は擬宝珠付き。

 

桟唐戸の詳細。

枠の部分には飾り金具がつき、羽目板には植物を題材とした彫刻。

 

左右の柱間の、窓の部分の彫刻。

題材は、案内板によると十六羅漢とのこと。

 

柱上の組物は、木鼻のついた三手先。

組物のあいだには彫刻が配されています。

 

桟唐戸の上の彫刻。こちらは右側面(東面)のもの。

題材不明ですが、人物像が彫られています。

また、彫刻の上の通し肘木には、花と唐草が描かれています。

 

組物には、尾垂木のかわりに竜の頭の彫刻が入っています。

そして軒裏には垂木がなく、二重の板軒となっており、雲と波が彫られています。このような彫刻された板軒は、江戸中期以降の建築でときどき見かける技法ですが、国重文クラスの文化財となっている例はめずらしいと思います。

 

二重。

見づらいですが、こちらは柱間に桟唐戸などの建具はありません。

組物は、初重が極彩色だったのに対し、二重は黒漆を金色で縁取った重厚なカラーリング。

縁側の欄干は跳高欄。

 

二重の縁の下の彫刻。

松に鷹などの花鳥が題材。

 

組物は、構造は変わりませんが、彩色は初重と対照的な黒漆。

中備えに立体的な彫刻はなく、そのかわりに壁面に雲や波が彫られています。

 

三重は、二重とほぼ同じ構造。

 

各重を見上げた図。

極彩色の板軒が3つも連なり、壮観の軒裏です。

 

鐘楼

三重塔のとなり(東)には、鐘楼と一切経蔵があります。こちらは鐘楼。

入母屋、銅板葺。袴腰付。

1701年(元禄十四年)造営

 

軒裏は二軒繁垂木。

組物や彫刻は、前述の三重塔と同様の極彩色。

 

柱は円柱。上部に頭貫と台輪が通り、唐獅子の木鼻が斜め方向に出ています。

組物は二手先。中備えは蟇股。

 

縁側の軒下の中備えや支輪板にも彫刻。題材は、波や花鳥など。

 

下層は袴腰で、黒塗りの下見板が張られています。

 

破風板の拝みには懸魚。

妻飾りは、見えづらいですが虹梁と大瓶束があります。

 

一切経蔵

鐘楼のとなりには、一切経蔵が西面しています。

桁行3間・梁間3間、宝形、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

1722年(享保七年)造営。市指定有形文化財。

堂内の輪蔵*2には2000冊におよぶ経典が収蔵されているとのこと。

 

正面の向拝の屋根の上には、鳳凰の彫刻が乗っています。

唐破風の兎毛通は、紅白の牡丹の彫刻。

 

向拝柱は几帳面取り。正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。

 

虹梁の上には台輪が通っています。中備えには、なんらかの故事を題材にしたと思われる彫刻があります。

唐破風の小壁には小さい妻虹梁がわたされ、その上では板蟇股が唐破風の棟木を受けています。

 

向拝柱の上の手挟は、牡丹と思しき花が籠彫りされています。

向拝と母屋をつなぐ海老虹梁はありません。

 

向拝柱は下端がわずかに絞られ、飾り金具がついています。

 

母屋正面。扁額は「一切経蔵」。

堂内に八角形の輪蔵が見えます。輪蔵は三重塔と同様の極彩色で、桟唐戸の羽目板には花鳥や人物像の彫刻が入っています。

 

左側面(北面)。

内部が土間床のため、縁側はありません。

母屋柱は円柱。柱間は桟唐戸と火灯窓。

 

こちらは左側面後方の火灯窓の彫刻。

題材は、その1で述べた仁王門の欄間にもあった「司馬温の甕割り」。

 

反対側、右側面の火灯窓の彫刻。

こちらの題材は、寒山拾得。両人とも、唐時代の伝説に語られる高僧です。寒山は巻物をひろげたポーズ、拾得はほうきを持った姿で、たいてい2人1組で描かれます。

 

母屋柱には頭貫と台輪が通り、斜め方向に唐獅子の木鼻がついています。

柱上の組物は出組。桁下には軒支輪。

 

組物のあいだの中備えは、蟇股。こちらにも人物像の彫刻がありますが、題材は不明。

 

背面(東面)。

こちらは中央の柱間に扉がありません。

 

母屋柱は下端が絞られ、碁石状の礎石の意匠がついています。

建物に基壇はなく、簡単な石製の土台の上に建てられています。

 

聖徳太子堂

大本堂向かって右の、境内東側の区画には聖徳太子堂が西面しています。名前や様式からして、法隆寺夢殿を意識したと思われる建築です。

八角円堂、本瓦葺。

1992年造営。

 

正面(西面)。

柱間は板戸。

母屋の周囲には縁側がまわされ、欄干の親柱は擬宝珠付き。

 

柱間には彩色された頭貫が通っています。扉の上には長押が打たれ、長押の上の間斗束が頭貫を受けています。

 

頭貫の上の中備えは蟇股。

幾何学的な曲線を発展させて、花のような意匠にしています。建物は近現代のものと思われますが、この蟇股は室町後期から安土桃山時代の作風で作られています。

 

母屋柱はいずれも八角柱。

柱上の組物は、八角形の平面構造にあわせて出三斗を変形させたもの。

 

軒裏は二軒繁垂木。

垂木や隅木の先端の木口には、飾り金具や黄色い彩色があります。

 

南東面。

柱間は2つに分けられ、緑色の連子窓が設けられています。

 

南西、南東、北東、北西の柱間は、頭貫の上に蟇股がなく、かわりに笈形のついた束が置かれています。

 

頂部の宝珠は八角形の路盤の上に置かれ、水煙の意匠がついています。

 

大本堂、三重塔、一切経蔵などについては以上。

その3では、釈迦堂と出世稲荷について述べます。

*1:Wikipediaより

*2:回転式の書架のこと