今回は大阪府堺市の金岡神社(かなおか-)について。
金岡神社は市北東部の住宅地に鎮座しています。
創建は社伝によれば仁和年間(885~889)。社名は、当地に住んでいた大和絵師・巨勢金岡(こせの かなおか、生没年不明 平安前期)に由来します。その後の沿革は不明。頭正院という神宮寺があったようですが、明治期に廃寺になっています。
現在の境内がいつごろ整備されたものかは不明。本殿は3棟が並立し、いずれも同じ様式の春日造となっています。また、境内のクスノキが市指定保存木となっているようです。
現地情報
所在地 | 〒591-8022大阪府堺市北区金岡町2866(地図) |
アクセス | 新金岡駅または白鷺駅から徒歩15分 美原西ICから車で15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
金岡神社の境内は西向き。めずらしい方角を向いています。
入口は車道に面していて、境内南側(向かって右)の道路は日本最古の街道とされる竹内街道(堺市から竹内峠を経て奈良県葛城市に至る)のようです。
鳥居は木造の明神鳥居。扁額は「金岡神社」。
境内に生育するクスノキの大樹は樹齢900年と推定され、市指定保存樹木とのこと(堺市の案内板より)。
参道右手、境内南側には手水舎。
切妻、銅板葺。
軸部は石材で造られています。
拝殿は入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間・向唐破風。
正面の向拝は向唐破風になっており、入母屋屋根の軒下から庇(向拝)が伸びています。
向拝柱は大面取り角柱。正面と側面に大仏様(天竺様)木鼻がついています。
虹梁は無地の材が使われ、中備えの蟇股はツタ状の意匠が彫られています。
柱上の組物は出三斗。
唐破風の妻虹梁には唐草の絵様が彫られ、妻飾りの板蟇股が棟木を受けています。
右側面(南面)。後方(写真右)には幣殿が伸びています。
拝殿の母屋柱は角柱。柱上は舟肘木。軒裏は二軒まばら垂木。
破風板の拝みには猪目懸魚、妻壁は木連格子。
大棟鬼板には左三つ巴の紋。
本殿
拝殿と幣殿の後方には、塀に囲われた本殿3棟が並立しています。
本殿は3棟いずれも一間社春日造、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。
造営年不明。私の推定になりますが、江戸初期以降のものと思われます。
祭神は住吉神、スサノオ、オオヤマツミ、巨勢金岡。ほか、明治期の神社整理で多数の神が合祀されているようです。
3棟とも同じ様式でつくられていて、向拝は1間、軒唐破風がついています。
写真は向かって右側(南)の本殿。
向拝柱のあいだに渡された虹梁は唐草状の絵様が彫られ、眉欠きと下面は赤く塗り分けられています。
虹梁中備えは透かし蟇股。彫刻が入っていますが題材はよく解らず。
蟇股の上の妻虹梁は緑色に塗られ、釘抜(菱形の家紋)を3つ並べたような意匠が描かれています。
現状は退色が進んでいるものの、塗装は極彩色。彩色が安土桃山~江戸初期の作風に見えるので、少なくともそれより新しいものだろうと推測しました。
向拝柱は几帳面取り。側面には象頭の木鼻。
柱上の組物は出三斗。太い肘木が使われ独特なバランス。肘木の木口には花菱の紋らしきものが描かれています。
海老虹梁は母屋の柱上から出て、向拝柱の組物の上に降りています。海老虹梁と組物がほとんど一体化しています。
母屋柱は円柱で、軸部は長押と頭貫で固定されています。頭貫には拳鼻。
右側面。
縁側は切目縁が3面にまわされ、脇障子を立てて後方をふさいでいます。
頭貫の上の中備えは蟇股。はらわたの彫刻は菊の花。
屋根。
大棟には鰹木と千木が載っています。
鰹木は2本。千木は外削ぎで、長方形の風穴が2つ開口されています。
鬼板には左三つ巴の紋。
背面。写真中央に映っているのは北側の本殿。
塗装がほとんど剥げ、壁板の下地が露出しています。
母屋柱は床下も円柱に成形されているようです。
最後に北側から本殿3棟を見た図。
以上、金岡神社でした。
(訪問日2021/11/21)