甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【藤井寺市】道明寺天満宮

今回は大阪府藤井寺市の道明寺天満宮(どうみょうじ てんまんぐう)について。

 

道明寺天満宮は市東部の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。野見宿禰の子孫である土師氏が594年に土師神社(はじ-)と土師寺を創設したのが始まりとされます。平安時代には土師氏の子孫である菅原道真が叔母の縁でたびたび土師寺を訪れたようです。

その後、土師神社境内に天満宮が祀られ、時代が下るにつれ天満宮が信仰の中心になっていきました。戦国期には石山本願寺の戦いで五重塔を消失し、のちに織田信長や豊臣秀吉の寄進を受けています。江戸期には幕府の寄進を受けました。併設されていた道明寺(土師寺)は明治期に分離され、当社は土師神社という社名になりましたが、戦後は現在の社名に改称されています。

現在の境内社殿は安土桃山から江戸期のもので、拝殿や本殿などは桧皮葺が維持されています。また、社宝として菅原道真ゆかりの品が国宝に指定されているほか、境内裏手の梅園は府内でも有数の梅の名所となっています。

 

現地情報

所在地 〒583-0012大阪府藤井寺市道明寺1-16-40(地図)
アクセス 道明寺駅から徒歩3分
羽曳野ICまたは羽曳野東ICから車で15分
駐車場 50台(無料)
営業時間 09:00-17:00
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 道明寺天満宮
所要時間 30分程度

 

境内

神門

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道明寺天満宮の境内は南向き。住宅地の一角の、低い台地の上に鎮座しています。

右手の社号標は「天満宮」。

入口の神門は一間一戸、切妻、本瓦葺。桁行1間・梁間1間ですが薬医門ではない形式です。

 

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内部。斜めに向かって伸びる梁が特徴的。

左右に伸びる梁の上では蟇股が大棟を受けています。

 

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後方(写真右)の柱の上部からは、冠木が突き出ています。

飛貫虹梁の上の中備えは蟇股で、波の意匠。

妻虹梁の上には笈形付き大瓶束。笈形も波の意匠になっています。

破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。

 

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神門の右手には通用門。こちらは通常の薬医門の形式です。

一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。

 

参道

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神門の先には鳥居。

石造の明神鳥居。

 

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参道右手には境内社のようなものがあり、天満宮では定番の牛の像が安置されています。

扉には梅の木が彫刻されていました。

 

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参道の左(境内西側)に少しはずれた場所に手水舎があります。

切妻、本瓦葺。

 

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頭貫木鼻は雲の意匠。

柱上は大斗と実肘木。

妻飾りは板蟇股。

破風板の拝みは蕪懸魚で、左右の鰭は波の意匠になっています。

 

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参道左手、拝殿のはす向かいには能楽殿。

入母屋、本瓦葺。

 

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柱と梁のあいだには、繰型のついた持ち送り。

梁の中備えには波の意匠の蟇股。

柱上は実肘木。

内部は格天井が張られています。

 

拝殿・幣殿・本殿

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境内の中心部には拝殿・幣殿・本殿の3棟が鎮座しています。上の写真は拝殿の部分

拝殿は、桁行5間・梁間3間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝3間・軒唐破風付、檜皮葺。

拝殿・幣殿・本殿の3棟はいずれも1745年(延享二年)の再建。非常に立派な社殿ですが、とくに文化財指定はされていないようです。

 

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正面の向拝は3間ありますが、1間の向拝が2つ並んだ構成になっています。

向拝柱は角面取り。虹梁の木鼻は外(写真左)が象、内(右)が唐獅子。

虹梁中備えの蟇股には彫刻がありますが、しめ縄の影になってよく見えず。

柱上の組物は外側が連三斗、内側が出三斗。

 

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向拝中央の唐破風の部分。

破風板の拝みには天満宮の神紋である梅鉢が描かれています。そのすぐ下の兎毛通(懸魚)は鳳凰の彫刻。

唐破風の軒下の小壁には、波の意匠の彫刻が配されています。

 

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母屋柱は角柱。柱間は蔀。

頭貫には拳鼻。柱上は大斗と実肘木。

 

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母屋の側面。いろいろと物が置かれて雑然とした状態。

右奥に見えるのは幣殿と本殿。

 

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拝殿側面の破風。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

入母屋破風の内部には妻虹梁らしき意匠が見えましたが、暗くて詳細は確認できず。

 

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幣殿および本殿。

写真中央が本殿。桁行3間・梁間2間、入母屋、向拝3間?、檜皮葺。

本殿の屋根から前方(写真左)に伸びるのが幣殿。両下造(切妻、妻入)、檜皮葺。

 

拝殿と本殿が、両下造の幣殿で連結されているため、この社殿は広義の権現造(ごんげんづくり)と言っていいでしょう。

 

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本殿の母屋の部分。

母屋の側面は2間で、母屋と同じ正面幅の向拝が前方に設けられています。柱間は板戸と横板壁。

 

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向拝柱は几帳面取りで、柱の側面に設けられた象頭の彫刻が見えます。

柱上の組物は連三斗。

 

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母屋を構成する柱は円柱。

軸部は長押と頭貫で固定されています。頭貫には唐獅子の木鼻がつき、唐獅子の頭上に台輪木鼻が添えられています。

組物は出組。持ち出された桁の下には軒支輪。

中備えは蟇股。彫刻の題材はよく解らず。

 

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破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。

破風内部の妻虹梁の下にある羽目には彫刻が入っていますが、ほとんど見えません。

 

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背面は3間。柱間はいずれも横板壁。

縁側は背面にもまわされ、脇障子がありません。

 

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境内北側、本殿の裏手は広々とした梅園になっています。中ほどには石造の橋(展望台)があり、少し高いアングルから梅園と本殿を望めます。

 

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訪問時は冬枯れの季節でしたが、橋から望む本殿はなかなか良い眺めだと思います。梅が咲く初春はもっと良い景色になるのでしょう。

 

土師社

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道明寺天満宮の境内西側には土師社(はじしゃ)が東向きに鎮座しています。道明寺地区の氏神とのこと。

当社の歴史や創建の経緯からすると本来はこちらがメインの神社なのですが、長い時を経るうちに天満宮と立場が逆転してしまった模様。前述の天満宮の拝殿の周辺は七五三の家族連れが続々と出入りして賑やかだったのに対し、こちらの土師社はまったく人影がなくひっそりした雰囲気。

 

入口の鳥居は石造の明神鳥居。

右の社号標は「元宮 土師社」。

 

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拝殿は中央部が通路になっており、割拝殿の構造です。

入母屋、本瓦葺。

 

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柱は角柱、柱上は実肘木。

虹梁にはしめ縄がかかり、中備えの蟇股は雲状の意匠。

内部の通路部分は棹縁天井が張られています。

 

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内部通路の左右は舞良戸で、その下の障子戸には花鳥の水彩画。

 

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拝殿の先には本殿。神社本殿で本瓦葺はめずらしいです。

桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝3間、本瓦葺。

造営年不明。私の予想になりますが、江戸中期以降のものと思われます。

祭神は向かって左から野見宿禰、スサノオ、大国主。

 

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向拝柱は角面取り。面取りの幅は小さめ。

虹梁中備えは透かし蟇股。彫刻は入っていません。

 

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柱上の組物は出三斗と連三斗。

柱の側面には象頭の彫刻が付き、頭の上の組物を持ち送りしています。

 

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向拝と母屋は、ゆるやかにカーブした海老虹梁でつながれています。

海老虹梁の母屋側は組物の真下で、非常に高い位置から出ています。軒裏をかすめて向拝柱の組物の上に降りています。

 

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母屋の正面には板戸が3組。

扉の手前には角材の階段が5段。

縁側は切目縁が3面にまわされ、背面は脇障子でふさがれています。欄干は擬宝珠付き。

 

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母屋柱は角柱。前述の天満宮本殿の母屋は円柱だったので、やはり天満宮よりもグレードの落ちる造りとなっています。

柱上の組物は大斗と舟肘木。

頭貫木鼻や中備えはありません。

妻飾りは豕扠首。破風板の拝みには猪目懸魚。

 

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最後に土師社本殿の隣にあった境内社。

一間社流造、見世棚造、本瓦葺。

 

修羅

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境内の北西には、修羅(しゅら)が展示されています。

修羅とは、木材をV字型に組んだ橇(そり)の一種で、巨大な石を人力で運搬するための道具。下にころを敷いて使います。古墳時代から安土桃山時代あたりまで使われていたようで、当地周辺に点在する古墳(古市古墳群)の巨石はこのような道具で運ばれたと考えられています。

 

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この修羅は1978年に当地区の遺跡(三ツ塚古墳)から出土したもので、西岡常一氏(法隆寺の宮大工)らの手により現在の姿に復原されています。実際にこの修羅を使って巨石を運搬する実験も行われました。

ちなみに、長野県の八坂神社(松本市里山辺)にも同様の修羅が保存されています。

 

以上、道明寺天満宮でした。

(訪問日2021/11/21)