甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【松本市】八坂神社(里山辺)

今回は長野県松本市里山辺(さとやまべ)の八坂神社(やさか-)について。

 

八坂神社(里山辺)は松本駅から東へ3kmほどの場所に鎮座しており、表題のとおり本殿は茅(かや)で葺かれています。神社の屋根は銅板葺と檜皮葺が大半を占めるのですが、この規模の本殿で茅葺きが使われているのは珍しいです。

 

現地情報

所在地 〒390-0221長野県松本市里山辺3684-1(地図)
アクセス 松本駅から徒歩40分
松本ICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内 

境内入口

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八坂神社は松本市郊外の田園地帯にあります。

たいていの神社は入口が道路に面しているものですが、この神社の正面は麦畑になっており、舗装されていない畦道を歩いて境内に入ることになります。

 

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鳥居は、笠木が瓦葺きになった両部鳥居。扁額は社号「八坂神社」

 

境内社など

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鳥居をくぐって最初に行き当たるのが舞屋。

鳥居、舞屋(神楽殿)、拝殿、本殿が一直線に並んでいます。当地ではよくある配置です。

 

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拝殿の左手にある境内社。全12柱の神が合祀されているとのこと。

案内板には合祀した祭神の名前が丁寧にすべて書かれていましたが、列挙しているときりがないので割愛。

 

修羅

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続いてこちらは拝殿の右手にあった社殿。左の石碑は七福神の大黒。

右にある二股の木材は修羅(しゅら)というあまり見慣れない道具。

 

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修羅というのは木製の橇(そり)のことで、古墳時代には既に使用されており、重機が登場するまでは重量物の運搬に欠かせない手段だったとのこと。この上に石材を置いてころ(丸太)で移動させたようです。

案内板によると、これが何なのか当地住人や氏子らも知らず、用途不明の謎の道具として保存されていた模様。“大阪の発掘調査によってはじめて修羅であることがわかった”そうです。大阪の発掘調査というのは藤井寺市道明寺の遺跡のことで、道明寺天満宮境内には件の発掘調査で出土した大きな修羅が保存展示されています。

 

拝殿と本殿

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やや脱線しましたが、首題に移ります。こちらは拝殿。

入母屋、桟瓦葺、向拝1間・入母屋(妻入)、桟瓦葺。

 

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拝殿の後ろにまわり込むと、本殿が現れます。

本殿は桁行3間・梁間1間、三間社流造?、向拝1間、茅葺。

1744年造営。2003年に茅を葺き替えたとのこと。

祭神は牛頭天王(スサノオと同一視される)と思われます。

 

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背面は3間。

母屋の柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」となっており、神社建築ではおなじみの手抜きがなされています。

 

この本殿について、境内入口の案内板(里山辺地区景観整備委員会の設置)には“一間流れ造り(原文ママ)”とありましたが、拝殿の近くの案内板(松本市教育委員会の設置)には“三間社流造”とありました。母屋正面がふさがれていてよく見えないため、どちらが正しいかは判然としません。

 

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側面。

装飾が少なくシンプルですが、二手先に持ち出された梁と、茅葺屋根が重厚な趣を醸しています。

本殿の前方(写真右)の向拝部分は象と獅子の意匠の木鼻が目を引きますが、注目すべきはその真下の柱。角柱の面取りの幅は時代が下るにつれて小さくなる傾向にあるのですが、この向拝の角柱は江戸中期にしては大きく面取りされています。

案内板によると、こういった柱を“大面取角柱(おおめんとり かくばしら)”と言うらしいです。

 

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本殿の底部。階段の下に浜床があり、土台は石積みになっています。この石積みも先述の修羅で運ばれたのかもしれません。

 

以上、八坂神社(里山辺)でした。

(訪問日2019/06/22)