今回は長野県松本市里山辺(さとやまべ)の八坂神社(やさか-)について。
八坂神社は市東部の川沿いの農地に鎮座しています。
創建は不明。伝承によると、1504年(永正元年)に小笠原貞永が井川城を移転する際、当社とその南側を流れる川について言及しているようで、遅くとも室町後期には確立されていました。1549年に小笠原長時の命で当社の縁起が調べられましたが、その時点ですでに由来が分からなくなっていたとのこと。1745年(延享二年)には現在の本殿が再建されています。当初は「八坂宮」「天王宮」と呼ばれていたようですが、1871年に現在の社号に改称されました。
現在の本殿は市内でも貴重な茅葺の三間社で、市の文化財に指定されています。ほか、境内には石の運搬に使われた修羅という道具が展示されています。
現地情報
所在地 | 〒390-0221長野県松本市里山辺3684-1(地図) |
アクセス | 松本駅から徒歩40分 松本ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
神楽殿
八坂神社の境内は西向き。境内は川に並行する向きになっていて、川下にある松本市街の方角を向いています。
鳥居は木造両部鳥居。扁額は社号「八坂神社」
笠木には銅板葺の屋根があり、扁額にも唐破風の庇がついています。
鳥居の先には神楽殿。
切妻、桟瓦葺。
左側面(北面)。とくに目立った意匠はありません。
神楽殿の後方には拝殿があり、神楽殿、拝殿、本殿の3棟が一直線に並ぶ社殿配置です。
拝殿とその周辺
拝殿は、入母屋、向拝1間 入母屋(妻入)、桟瓦葺。
正面の入母屋破風。
破風には木連格子が張られ、拝みには鰭付きの蕪懸魚。鰭は雲の意匠。
向拝柱は面取り角柱。
虹梁は若葉の絵様が彫られ、中備えに蟇股が置かれています。
向拝の内部は格天井。
向拝側面。
母屋(写真右)の軒下から、向拝の屋根が伸びています。
母屋側面。
側面の入母屋破風にも、正面のものと同様の意匠が使われています。
拝殿向かって左(北)には境内社(合祀殿)が南面しています。
一間社流造、銅板葺。見世棚造。
12社の摂社末社が合祀されているとのこと。
拝殿向かって右(南)には、大黒天らしき石碑が、覆い屋の中にあります。
大黒天の石碑のとなりには、修羅(しゅら)という道具が置かれています。
石を運搬するために使う、木製の橇(そり)です。この上に石材を置いてころ(丸太)で移動させたようです。
古墳時代にはすでに使用されており、重機が登場するまで、重量物の運搬に欠かせない手段だったとのこと。
案内板によると、長らく用途不明のまま当社に保存されており、“大阪の発掘調査によってはじめて修羅であることがわか”りました。大阪の発掘調査というのは藤井寺市道明寺の遺跡のことで、道明寺天満宮境内にはこれと同じ形状の修羅が保存展示されています。
本殿
拝殿の後方には、ブロック塀に囲われた本殿が鎮座しています。
桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、茅葺。
棟梁は山家小路の多右衛門という大工。本殿は1744年に上棟され、翌年に完成したとのこと。ほか、江戸後期から昭和にかけての葺き替えや修理の記録が棟札に書かれているようです。
祭神はスサノオ(牛頭天王)、稲田姫、大国主*3。
向拝柱は角面取り。
柱の正面(写真左)には唐獅子の木鼻、側面(手前)には象の木鼻、背面には牡丹の彫刻の木鼻がついています。背面にも木鼻をつけるのは、風変わりな技法だと思います。
柱上の組物は、出三斗と連三斗を組み合わせたもの。
海老虹梁は、向拝の組物の肘木の位置から出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。
手挟は板状のもので、雲のような曲線の意匠が彫られています。
破風板に下がる桁隠しは、菊の花の意匠。
側面は1間。柱間は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。背面側には脇障子を立てています。
柱間には長押が打たれ、その上には絵様のついた梁がわたされています。
梁の上の中備えは蟇股。
母屋柱は円柱で、柱上の組物は尾垂木二手先。
妻飾りは大瓶束に斜め方向の棒材を添え、豕扠首のようにしたものが使われています。
破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭は、波とも若葉ともつかない意匠。
背面の軒下。
頭貫の位置の木鼻は、拳鼻が使われています。
背面は、中央の柱間だけ蟇股があります。
蟇股の彫刻は松。
背面の軒下の全体図。
母屋柱は円柱ですが、床下は八角柱になっています。
大棟は箱棟になっており、鬼板には赤い鬼面が見えます。
以上、八坂神社(里山辺)でした。
(訪問日2019/06/22,2023/04/17)