今回も奈良県桜井市の長谷寺について。
その2では三百余社、三社権現、本堂について述べました。
当記事では五重塔、奥の院、本坊などについて述べます。
弘法大師御影堂
本堂の裏手から先へ進むと、弘法大師御影堂(こうぼうだいし みえどう)があります。
宝形、向拝1間、銅板葺。
1984年建立。空海(弘法大師)の1150年忌を記念して造られたとのこと。
名前から推察するに、空海の肖像が本尊と思われます。
向拝柱は角面取り。古式の作風を意識したのか、面取りが大きいです。
木鼻は大仏様のような意匠で、猪目(ハート形)のくぼみがついています。
組物は出三斗。
虹梁は無地。
中備えは蟇股。菊が彫られています。
向拝内部は格天井になっています。
本長谷寺
弘法大師御影堂の先には本長谷寺(もとはせでら)が東向きに鎮座しています。
寺伝によると、686年(朱鳥元年)、天武天皇の勅願によりここに堂が立てられたのが長谷寺の草創とのこと。
様式は、入母屋、向拝1間、本瓦葺。
向拝柱は几帳面取り。
側面には象の木鼻。流麗な造形で、良い彫刻だと思います。造形からして、江戸後期あたりのものでしょうか。
組物は出三斗。大斗は皿付き。
虹梁は波の意匠が彫られています。
中備えは板蟇股。卍の紋が彫られています。
向拝柱と母屋は、まっすぐな梁でつながれています。
母屋の中央は桟唐戸。扉の上の扁額は「本長谷寺」。
母屋柱は角柱で、柱上は舟肘木。木鼻や中備えはありません。
壁面は横板壁。側面中央の柱間は舞良戸。
縁側は切目縁が3面にまわされ、背面側は脇障子が立てられています。
側面の妻。
大棟には鬼瓦。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
破風内部は暗くて見えにくいですが、妻虹梁と大瓶束があります。
一切経堂
本長谷寺の裏の石垣の上には一切経堂(いっさいきょうどう)。上の写真の左側が正面です。
桁行3間・梁間3間、宝形、本瓦葺。
正方形の平面や土間床、各所の意匠など、禅宗様の意匠が多用されています。
1561年(永禄四年)再建。牧野備後守成貞の寄進。
室町後期の再建とのことなので国重文になってもおかしくない物件なのですが、とくに文化財指定はないようです。
正面(東面)。
中央の柱間は桟唐戸。左右の柱間には火灯窓が設けられ、窓の下は板張りになっています。
火灯窓の上には波状の弓欄間。禅宗様の典型的な意匠です。
柱は角柱。角面取りされています。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻が設けられています。
組物は出三斗のような構造をしていますが、花肘木のような独特な意匠になっています。
宝形の屋根の頂部には、火炎のついた宝珠。
屋根の隅の軒が大きく反りかえっているのが印象的。
五重塔と三重塔跡
本長谷寺の南側には五重塔。
三間五重塔婆、檜皮葺。
1954年建立。戦後、初めて造られた五重塔とのこと。
初重。縁側には擬宝珠付きの欄干が立てられています。
母屋は3間四方。中央の柱間は板戸、左右の柱間は連子窓。
組物は和様の尾垂木三手先。
頭貫木鼻はなく、古式を意識した純和様の意匠で造られています。
二重および三重。
各所の意匠は初重とおおむね同じですが、こちらは欄干が跳高欄になっています。
軒裏はいずれの重も平行の二軒繁垂木。
頂部の宝輪。
九輪と水煙がついたもの。
五重塔の南側には三重塔跡。
いつ造られたものかは不明ですが、1876年の落雷で焼失し、現在は礎石が残るだけの状態。
納骨堂
五重塔から進んだ先には納骨堂。周辺は檀家の墓や無縁墓地になっており、さすがにこの辺りは観光客が寄り付かないようでひっそりとした雰囲気。
納骨堂は宝形、本瓦葺。
柱は円柱、頭貫木鼻は大仏様の意匠。
組物は出組。中備えは古風で繊細な造形の蟇股。
奥の院 陀羅尼堂
境内の南西のはずれの最奥部は、奥の院という区画になっています。五重塔から徒歩5分足らずの距離。
参道は苔むし周囲は竹林になっており、幽玄な雰囲気。さらに奥の院の裏手には無数の無縁墓が密集しています。人気がないのも当然といえば当然でしょう。
こちらは奥の院の拝殿に相当する陀羅尼堂。扁額は「菩提院」。
陀羅尼堂の後方には、塀に囲われた堂が鎮座しています。こちらは本殿に相当する興教大師祖師堂(こうぎょうだいし そしどう)。
興教大師こと覚鑁(かくばん)は平安時代の僧で、真言宗の中興の祖とされています。廟所はここではなく、根来寺(和歌山県岩出市)にあるようです。
興教大師祖師堂は桁行3間・梁間3間、宝形、本瓦葺。
造営年不明。文化財指定はないようです。
母屋は正面側面ともに3間(方三間)。
正面中央の柱間は2つ折れの桟唐戸、左右の柱間は蔀。
扉の上の欄間には、吹寄せ格子がついています。扁額は「興教大師堂」。
柱は円柱。上端がわずかにすぼまっています。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物には花肘木が使われています。
中備えは板蟇股で、三つ柏の紋が立体的に彫られています。
軒裏は扇の二軒繁垂木。禅宗様の意匠です。
頂部の露盤にも三つ柏の紋。
露盤の上には火炎付きの宝珠。
背面。
中央は舞良戸、左右の柱間は横板壁。
縁側は4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
なお、この堂の後方には羽柴秀長(豊臣秀吉の弟)の供養塔があったようですが、見落としてしまいました。
本坊
境内の南端には本坊が北向きに鎮座しています。道場として使われている建物のようです。
1924年再建。「長谷寺本坊 8棟」として国重文に指定されています。
奈良県文化財技師による設計で、棟梁は京都の稲垣有寿と当地の荒巻喜平。
入口の門(中雀門)は一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。
腕木で桁を持ち出して軒裏を受ける、標準的な構造の薬医門になっています。
妻飾りは板蟇股。
軒裏は二軒まばら垂木。
通路上の梁の上にも板蟇股。
内部に天井はなく、化粧屋根裏。
こちらが本坊の中枢の建物。内部拝観はできません。
中央は唐破風の大玄関、左右は大講堂及び書院。ほぼ左右対称の端正なファサード。
大玄関の妻壁。
虹梁中備えは2つの蟇股、唐破風の小壁には笈形付き大瓶束。いずれも精巧かつ繊細な造形。案内板によるとここの造形は“京都府技師・亀岡末吉の独創的な意匠「亀岡式」を思わせ”るとのこと。
玄関向かって左側は大講堂。
向かって右側は事務所。
寺務所ではなく事務所のようです。
大講堂の周囲には檜皮葺の塀が巡らされています。
塀の唐門部分にも蟇股や笈形付き大瓶束があり、こちらも良い造形だと思います。
最後に本坊から望んだ長谷寺本堂。
以上、長谷寺でした。
(訪問日2021/10/14)