甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【桜井市】長谷寺 その1(仁王門、登廊、鐘楼)

今回は奈良県桜井市の長谷寺(はせでら)について。

 

長谷寺は山間の門前町の奥に鎮座している真言宗豊山派の総本山です。山号は豊山(豐山)。

創建は奈良時代初期とされますが、詳細は不明。平安期には確立されており、『源氏物語』などにも登場します。もとは東大寺興福寺の末寺だったようですが、安土桃山時代に独立し、真言宗豊山派の本山となりました。江戸期には、焼失した本堂が徳川家光の寄進で再建されています。

現在の境内伽藍は江戸初期から明治期にかけてのもの。複雑な構造をした懸け造りの本堂が国宝、長大な登廊などが国重文に指定され、壮大で充実した境内となっています。また、ボタンの寺としても著名で、花の御寺(はなのみてら)という別名もあるようです。

 

当記事ではアクセス情報および仁王門、登廊、鐘楼について述べます。

三百余社、三社権現、本堂については「その2」を、

五重塔、奥の院、本坊については「その3」をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒633-0112奈良県桜井市初瀬731-1(地図)
アクセス 長谷寺駅から徒歩25分
橿原北ICから車で25分
駐車場 70台(500円)
営業時間 08:30-17:00(冬季は09:00-16:30)
入場料 500円
寺務所 あり
公式サイト 奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺
所要時間 1時間程度

 

境内

普門院

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長谷寺の境内は南向き。門前には観光客向けの飲食店や土産物店が立ち並んでいます。

 

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参道の右手には、子院・普門院の不動堂。

入母屋、向拝1間・軒唐破風付、桟瓦葺。

本尊の木造不動明王坐像は平安後期のものとのことで、国重文。

 

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向拝。扁額は「大聖不動明王」。

唐破風の軒裏はまばらで、軽快な趣。

向拝柱は糸面取りで、木鼻は象鼻。

 

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虹梁中備えの蟇股は、結綿の意匠。

鎌倉から室町あたりを意識した感じの、抽象的かつ幾何学的な作風です。

 

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母屋柱は角柱。柱間には格子の引き戸。

柱上は舟肘木。木鼻や中備えはありません。

軒裏は一重のまばら垂木で、こちらも軽快な印象。

 

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階段は正面ではなく、左右の縁側に昇る配置。

 

仁王門

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参道を進むと拝観受付があり、仁王門が現れます。以降の境内伽藍は有料の区画となります。

仁王門は、三間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。

1885年造営「長谷寺 9棟」として国指定重要文化財になっています。

 

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下層。

柱は円柱。中央の間は通路で、左右の間には仁王像が安置されています。

 

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中央の通路上の虹梁と中備え。

虹梁は波状の意匠が彫られています。中備えは樹木と鳳凰らしき彫刻。題材がいまひとつよく解らず、あまりよろしくない造形だと思います...

 

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向かって左の柱間。

頭貫木鼻は象鼻、柱上の組物は三手先。

飛貫虹梁の中備えは麒麟の彫刻、その上の頭貫の中備えは唐獅子の彫刻。

 

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下層内部は格天井が張られています。

左右の梁のあいだにも彫刻があり、松に鶴などが彫られていました。

 

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上層。扁額(勅額)の「長谷寺」は後陽成天皇の筆とのこと。

組物は尾垂木三手先。軒桁の下には軒支輪。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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背面。

下層は、こちらも彫刻が多数あります。

上層は、連子窓や跳高欄などが確認できます。

 

登廊

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仁王門の先には、長大な登廊(のぼりろう)が伸びています。ここから本堂(写真左上の奥)まで、階段が399段あるとのこと。

登廊は5棟(上登廊・繋屋・中登廊・蔵王堂・下登廊)あり、こちらも「長谷寺 9棟」として国重文大部分は1889年の再建です。

写真は下登廊で、様式は向唐破風、本瓦葺。

 

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柱は円柱。柱上は出三斗。

軒裏は一重のまばら垂木で、内部は化粧屋根裏になっています。

 

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妻壁には蟇股。

内部の梁にも板蟇股が置かれ、棟木を受けています。

 

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唐破風の兎毛通には、鳳凰の彫刻。

鬼板の部分には竜の彫刻が配置されています。

 

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参道は途中でクランク状に屈曲しており、登廊3棟の中間につなぎの屋根2棟を設けることで屈曲に対応しています。

 

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登廊を7割がた登った場所には蔵王堂。中登廊と上登廊のつなぎ部分にあたります。

寄棟(妻入)、本瓦葺。登廊のうち、この部分は1650年(慶安三年)造営

堂内の蔵王権現三尊は江戸期のものとのこと。

 

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蔵王堂のとなりには「紀貫之故里の梅」。梅の木の裏には紀貫之の歌碑があります。

歌碑は「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香にほひける」。これは百人一首の第34番に選定された歌で、紀貫之が当地の梅の木の下で詠んだものと伝わっています。

 

鐘楼

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長大な登廊を登りきると、鐘楼の下層内部に到着します。写真は本堂の縁側から見た図。

鐘楼は登廊と半ばくっついており、すぐ近くには存在感あふれる本堂が鎮座しているため、多くの参拝者はただの踊り場と思い込んで通り過ぎてしまうと思われます。私もスルーしそうになりました。

 

鐘楼は入母屋、本瓦葺。1650年造営「長谷寺 9棟」として国重文

内部の梵鐘には「尾上の鐘」という通称があるようです。

 

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下層を北面から見た図。

飛貫虹梁は、中備えに大瓶束が2本立てられ、木鼻は大仏様の意匠。

頭貫木鼻は拳鼻。

組物は二手先。

 

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上層は吹き放ちで、梵鐘が吊るされているのが見えます。

軸部は長押で固定され、頭貫木鼻は見当たりません。

柱上の組物は出組(一手先)で、下層よりも組物の手数(持出しの回数)が少ないです。

軒裏は二軒繁垂木。垂木は平行。

 

仁王門、登廊、鐘楼については以上。

その2では三百余社、三社権現、本堂について述べます。