今回も京都府京都市の仁和寺について。
当記事では中門、金堂、観音堂について述べます。
中門
二王門から参道に沿って進むと、中門(ちゅうもん)があります。訪問時(2023/02/23)は修理工事中でした。
背面から見た図。門の左右には築地塀がつながっています。
三間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。
二王門と同様に1641~1645年の造営。「仁和寺 14棟」として国重文。
正面向かって右の柱間。
柱は円柱。頭貫に木鼻はありません。
柱上は出三斗と平三斗が使われています。
軒裏は二軒繁垂木。
中備えや妻壁も見たかったのですが、観察できませんでした。
金堂
中門をくぐって参道をすすむと、境内の中心に金堂(こんどう)が鎮座しています。
桁行7間・梁間5間、入母屋、向拝1間、本瓦葺。
1613年(慶長十八年)造営、寛永年間(1624-1644)に現在地へ移築。当初は京都御所の正殿・紫宸殿(寝殿造)として造られたもので、移築時に桧皮葺から本瓦葺に改められました。
近世の寝殿造の作風がよく残されていることから、国宝に指定されています。
向拝柱は大面取り角柱。江戸の最初期の建築のため、面取りの幅が大きいです。
柱上の組物は連三斗。柱の側面の拳鼻が、組物を持ち送りしています。
虹梁は袖切と眉欠きだけが彫られ、絵様はついていません。
虹梁中備えは蟇股。彫刻の題材は唐獅子。
向拝柱の上の手挟は、牡丹に鳥(おそらく連雀)の彫刻。
組物や木鼻や手挟の木口には、唐草の意匠の飾り金具がついています。
向拝の縋破風。桁隠しは鰭付きの猪目懸魚。
垂木や破風板の先端には、菊の紋のあしらわれた金具がついています。
母屋の正面は7間。柱間は蔀戸。
もとは御所内の寝殿造りの建物の一部だったため、装飾の少ない住宅建築風の落ち着いた外観です。各所の意匠は、ほぼすべてが和様の意匠で構成されています。
母屋柱は円柱。軸部には長押が打たれ、柱にかかる部分には釘隠しがあります。
隅の柱の上には舟肘木。ほかの柱の上には組物の類がなく、軒桁を柱で直接受けています。
柱間に中備えはなく、欄間部分は白い壁が張られています。
軒裏は三軒(みのき)。
1段目と2段目は繁垂木。3段目はまばら垂木で、先端に飾り金具がついています。
斜め方向に伸びる隅木も、垂木に合わせて3段の構成になっています。
左側面(西面)。
側面は5間。柱間の建具は、蔀戸と板戸が使われています。
背面。閼伽棚が2つ設けられています。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。縁の下は円柱の束で支えられています。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
妻飾りは二重虹梁。大虹梁の上の蟇股は、花鳥と思しき彫刻があります。見づらいですが、二重虹梁の上は豕扠首です。
観音堂
金堂の南西には、観音堂が南面しています。右奥に見えるのは五重塔(その4にて後述)。
住宅建築風の金堂に対し、こちらは禅宗様の意匠が使われ、仏堂らしい外観。母屋は柱間が狭く、腰高な印象。
観音堂は、桁行5間・梁間5間、入母屋、向拝1間、本瓦葺。
1641~1645年の造営。「仁和寺 14棟」として国重文。
堂の手前には塔婆が2本立ち、ひもで内部の本尊とつながっていました。
向拝は1間。奥の母屋は正面5間で、いずれの柱間も板戸です。
向拝柱は角面取り。
柱上の組物は連三斗。柱の側面に木鼻が付き、皿斗を介して組物を持ち送りしています。
虹梁中備えは蟇股。
蟇股の内側には鶴乗り仙人(王子喬)と思しき彫刻がありますが、肝心の顔の部分が欠けてしまっています。
向拝柱の上の手挟には、唐草と思しき彫刻が入っています。
向拝柱と母屋をつなぐ海老虹梁はありません。
縋破風に下がる桁隠しは猪目懸魚。
階段は、角材の木階が5段。
縁側や昇高欄の親柱は、擬宝珠付き。
向かって左手前(南西)の柱。
柱は円柱。軸部は貫と長押で固めています。頭貫に木鼻はありません。
柱上の組物は尾垂木二手先。尾垂木は象鼻のような形状をしています。
組物のあいだの中備えは蓑束。桁下には軒支輪。
左側面(西面)。
側面も5間で、柱間は連子窓と板戸、そして桟唐戸(禅宗様の建具)が使われています。
背面。
こちらは中央が板戸で、左右各2間は連子窓です。
妻面。
破風板の拝みと桁隠しには三花懸魚。雲の意匠の鰭がついています。
妻飾りは二重虹梁。大虹梁の上は、中央に板蟇股、左右に大瓶束が見えます。
中門、金堂、観音堂については以上。