今回も奈良県桜井市の長谷寺について。
当記事では三百余社、三社権現、本堂について述べます。
三百余社
登廊と本堂のあいだの狭い空間には、境内社の三百余社が東向きに鎮座しています。
三百余社は一間社春日造、銅板葺。
1650年造営。「長谷寺 9棟」として国重文。
祭神は不明。
向拝柱は角面取りされています。
虹梁中備えは蟇股で、はらわたは唐獅子の彫刻。虹梁木鼻は獏の彫刻。
柱上の組物は連三斗で、獏の彫刻が巻斗を介して持ち送りしています。
側面。こちらはとくに目立つ意匠はありません。
縁側は3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側は脇障子でふさがれています。
背面を本堂の縁側から見た図。
春日造のため、背面は完全な切妻になっています。
大棟には外削ぎの千木と、2本の鰹木が置かれています。
愛染堂と三社権現(瀧蔵三社)
本堂の裏手の高台には愛染堂。
寄棟、本瓦葺。
愛染堂の右手には石造の神明鳥居があり、先へ進むと三社権現の本殿3棟が並立しています。
三社権現はいずれも一間社春日造、銅板葺。
祭神は不明。
まずは中央の本殿から。
各所の部材は極彩色に塗装されていた痕跡がありますが、退色が進んでいます。
とくに文化財指定はされていない様子ですが、彫刻の造形や部材の彩色からして、江戸初期あたりの作風に見えます。
向拝柱は角面取り。面取りの幅が小さいのは江戸期の作風。
側面には竜とも獅子ともつかない粗い造形の木鼻。
組物は連三斗。木鼻の頭に皿斗が載り、組物を持ち送りしています。
中備えの蟇股には竜の彫刻。
向拝と母屋は、湾曲した海老虹梁でつながれています。
母屋柱は円柱で、柱上は古風な舟肘木。中備えはありません。
軒裏は二軒繁垂木。
この本殿は春日造ですが隅木(母屋から斜めに軒先へ伸びる部材)がありません。「隅木入り春日造」ではなく、純粋で古式な「春日造」です。
縁側はくれ縁が3面にまわされ、欄干や脇障子はありません。
破風板の拝みには猪目懸魚。
破風の内部の妻壁には、豕扠首が見えます。
大棟には外削ぎの千木。鰹木は2本載っていました。
つづいて左右の本殿。
右側と左側とで意匠がほぼ同じだったため、向かって右側のみを紹介。
こちらも極彩色に塗装されていた痕跡があり、江戸初期あたりの作風。
虹梁の木鼻は拳鼻。
前述した中央の本殿は木鼻が彫刻になっていたので、こちらは少しグレードが落とされた造りになっています。
とはいえ、中央の本殿の虹梁木鼻はあまり良い彫刻には見えなかったので、むしろこちらのほうが端正で格好良く感じなくもないかも...
そのほかの意匠は中央の本殿と大差ないため割愛。
向かって右の本殿は少し日当たりが悪い場所にあるからか、しっくいや丹塗りの状態が若干良いです。
本堂
長谷寺の本堂はほかに例のない非常に風変わりで複雑な造りをしています。
前方は板敷の礼堂(らいどう)、後方は本尊を置く正堂(しょうどう)となっており、両者は土間の相の間でつながれて一体化しています。そして礼堂の前方は舞台が付き、清水寺のような懸け造りとなっています。
礼堂および相の間は、梁間9間・桁行4間、入母屋(妻入)、左右両側面千鳥破風付、本瓦葺。
正堂は、桁行7間・梁間4間、一重、左右両側面裳階付、入母屋、本瓦葺。
1650年(慶安三年)造営。国宝。
3代将軍・徳川家光の寄進で、中井大和守という宮大工らによる造営とのこと。
本尊は十一面観音。高さは10メートル以上あり、相の間からその巨躯を拝むことができます。
本堂の前方の縁側には舞台が設けられており、周辺の山々や眼下の門前町を望むことができます。
中央奥に見える五重塔についてはその3にて後述。
礼堂の前面。扁額は篆書で「大悲閣」。
柱は円柱。内部は一段高い板張りになっています。板張りの部分は進入禁止で、その奥の土間の部分に本堂側面から入ることで本尊を拝めます。
軸部は長押と頭貫で固定されています。
頭貫木鼻は拳鼻。
柱上の組物は出三斗。
礼堂正面の破風。
破風板の拝みと桁隠しには、鰭のついた三花懸魚。
入母屋破風の内部は二重虹梁になっています。笈形付き大瓶束らしき部材が使われていますが、拝みの懸魚の陰になっていてよく見えず。
つづいて後方の正堂の部分。
内部の本尊が巨大なため、それにあわせて堂も巨大に造られています。堂の軒下には裳階(もこし)という庇が設けられており、平屋ですが2層に見える造りとなっています。
側面、裳階の軒下。
柱は円柱で、柱上は出三斗。中備えは間斗束。
軒裏は二軒繁垂木。
側面、屋根の軒下。
こちらも円柱。組物は出組が使われています。中備えは間斗束。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
入母屋破風の内部は虹梁と大瓶束が見えます。
正堂の背面。
こちらは裳階が途切れています。
背面中央は桟唐戸。
内部には裏の本尊が安置されており、格子戸からのぞき込むことができます。
背面の屋根の軒下。
側面と同様、出組と間斗束が使われています。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
三百余社、三社権現、本堂については以上。