今回は奈良県桜井市の與喜天満神社と素戔雄神社について。
與喜天満神社
所在地:〒633-0112奈良県桜井市初瀬14(地図)
與喜天満神社(よき てんまん-)は長谷寺の門前の山際に鎮座しています。
創建は社伝によれば946年とのこと。その後の沿革は不明ですが、当地の氏神として信仰されているようです。
本殿は、当地の神社本殿としてはややめずらしい入母屋で、多数の組物と彫刻で彩られた派手な造りとなっています。
参道
與喜天満神社の境内は南西向き。
長谷寺の門前の商店街の一角に入口があり、橋を渡って境内に入ります。
橋の下には大和川。
遠くには巨大な長谷寺本堂が見えます。
橋を渡った先には鳥居があります。木造の明神鳥居。
左の社号標は「與喜天神宮」。扁額と右の社号標は判読できず。
鳥居の先は針葉樹の並木の石段になります。
入口から後述の本殿まで5分程度。
手水舎
石段を登った先には手水舎。切妻、銅板葺。
案内板(設置者不明)によると1650年の造営で、同年の長谷寺の大改修にともなって徳川家光の寄進により建てられたとのこと。
また、本居宣長や松尾芭蕉が当地を訪れた際、この手水舎で手を清めたらしいです。
梁間の中備えは円い穴の開いた板蟇股。
木鼻は白く塗られ、独特な形状に繰り取られています。
柱は角面取りで、柱上は実肘木。
本殿
境内の最奥部には、塀に囲われ覆い屋のかかった本殿が鎮座しています。
桁行3間・梁間不明、三間社入母屋、向拝1間・軒唐破風付、檜皮葺(?)。
造営年不明。私の予想だと江戸後期から明治期と思われます。
祭神は天神こと菅原道真。
この写真では判りにくいですが背面まで軒がまわされており、春日造ではなく入母屋造りになっています。当地では春日造が多い(あくまでも私の主観です)ので、これはちょっと意外。
向拝中備えや、扉の両脇の羽目には彫刻があり、江戸後期あたりの作風に見えます。
虹梁中備えには竜の彫刻。小さいながらも睨みの利いた造形。
その上の唐破風の小壁には菊らしき植物の彫刻。
母屋の軒下には三手先の組物がびっしりと組物が配され、良くも悪くも神社本殿らしからぬ造り。
写真下端、組物のあいだには鴛鴦(オシドリ)と思しき鳥の彫刻。
側面は板が立てられており、壁面や梁間を確認できず。
本殿脇にある境内社は、いずれも一間社春日造、銅板葺。
以上、與喜天満神社でした。
素戔雄神社
所在地:〒633-0112奈良県桜井市初瀬79(地図)
素戔雄神社(すさのお-)は長谷寺の東部の山際に鎮座しています。
創建は社伝によれば948年(天暦二年)、神殿太夫武麿という人物が当地にスサノオを祀ったのが始まりとのこと。その後、時期は不明ですが牛頭天王社として信仰されるようになり、明治期まで廊土寺という神宮寺が置かれていたようです。
現在の境内は小規模なものですが、本殿は檜皮葺の端正な造りとなっています。また、境内に立つ「初瀬のイチョウの巨樹」が天然記念物に指定されています。
参道
素戔雄神社の境内は南向き。
長谷寺門前の商店街から少し離れた場所にあります。與喜天満神社に通じる近道があり、未舗装の山道ですがこれを利用すれば與喜天満神社から3分程度で移動できます。
鳥居は石造の明神鳥居。社号標は「素戔雄神社」。
参道左手には手水舎。切妻、銅板葺。
手水舎の木鼻と蟇股。
木鼻は深い切れ込みが入っています。あまり見かけない形状で、おもしろい意匠だと思います。
蟇股はくり抜かれていないもので、結綿の意匠。こちらはわりと標準的な意匠になっています。
鳥居の先には「初瀬のイチョウの巨樹」。
樹高約40メートルで、県下最大のイチョウとのこと(奈良県教育委員会の案内板より)。
拝殿と本殿
拝殿は切妻、向拝1間・切妻(妻入)、桟瓦葺。
向拝柱は几帳面取り。木鼻は標準的な拳鼻。
無地の細い虹梁の中備えは、結綿の意匠の板蟇股。
梁の上では豕扠首が棟木を受けています。
拝殿の後方には、石造の瑞垣に囲われた本殿が鎮座しています。
一間社春日造、檜皮葺。造営年不明。
祭神はスサノオ。
向拝柱は几帳面取り。面取り部分は黒く塗り分けられています。
虹梁中備えは板蟇股。木鼻は白い象鼻。
母屋柱は円柱。柱上には舟肘木。
軒裏は二軒繁垂木。軒裏の納まりは、入母屋に似た「隅木入り春日造」ではなく、隅木のない純粋な春日造になっています。
周辺の小社
素戔雄神社の入口近くにはいくつかの境内社や小社があります。
こちらは玉鬘(たまかずら)神社。源氏物語の登場人物である玉鬘が祀られているとのこと。
鳥居は石造の神明鳥居。塀に囲われた本殿は神明造、鉄板葺。
こちらは秋葉神社。
拝殿が本殿覆いを兼ねているようで、内部に小さい本殿が納められていました。
秋葉神社の前には謎の彫刻作品。
タイトルは「流星と四角い風」。
以上、素戔雄神社でした。
(訪問日2021/10/14)