今回は三重県津市の専修寺(せんじゅじ)について。
専修寺は市北部に鎮座する真宗高田派の寺院です。山号は高田山。通称は本山専修寺、一身田専修寺(いしんでん せんじゅじ)。
創建は室町後期の文明年間(1469-1487)。当寺の前身である本寺専修寺(栃木県真岡市)の第10世・真慧が、布教の拠点として当地に無量寿院という寺院を開いたのがはじまり。江戸初期の1645年の火災で境内伽藍を全焼し、津藩主の藤堂高次の寄進を受けて現在の伽藍が再建されました。
境内伽藍は三重県内で最大級の規模を誇り、山門などの11棟が国重文に指定され、きわめて充実した内容。そして専修寺の中枢である如来堂と御影堂の2棟は、三重県内の建造物として初の国宝に指定されています。
当記事ではアクセス情報および唐門と山門について述べます。
通天橋と御廟などについては「その3」をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒514-0114三重県津市一身田町2819(地図) |
アクセス | 一身田駅から徒歩5分、または東一身田駅から徒歩15分 津ICから車で15分 |
駐車場 | 100台(無料) |
営業時間 | 09:00-16:00 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 真宗高田派本山 専修寺 |
所要時間 | 1.5時間程度 |
境内
唐門
専修寺の境内は南向き。
浄土系寺院は西方浄土を拝むため東向きにすることが多いですが、風向きや街道などの位置関係を考慮して南向きになったようです。
駐車場から境内へ向かうと、最初に目に入るのが巨大な唐門。
一間一戸、四脚門、切妻、正面背面軒唐破風付、檜皮葺。
1844年(天保十五年)上棟。他の堂宇とあわせて「専修寺11棟」として国指定重要文化財となっています。
棟梁は近江国八幡(現 滋賀県近江八幡市)の高木作衛門光規・光一の2代。弘誓寺本堂(滋賀県東近江市五個荘町)を造営した宮大工です。
江戸後期に造られたもののため、軒下の各所に彫刻が配されています。
ただし、金網が張られていて若干見づらいのが惜しいです。
まずは左右の控柱から。写真は向かって左側のもの。
控柱は几帳面取りの角柱。
虹梁の少し下(写真中央)には、正面側と外側に象鼻がついています。内側は腕木を伸ばし、巻斗と女梁(肘木)を介して虹梁の下部を持ち送りしています。
虹梁の木鼻は拳鼻。その上の台輪にも木鼻が設けられています。
虹梁の中備えは詰組。
組物は出組で、軒桁を持出ししています。
詰組のあいだには力神。こちらは正面向かって左側のもの。
座り込んで桁を担いだポーズ。
正面背面の左右に各1体、つごう計4体あります。
唐破風の軒下には、笈形付き大瓶束。
大瓶束は太く短い形状。
左右の笈形は雲の意匠となっています。
唐破風の拝みには懸魚(兎毛通)が下がっています。
こちらも精巧な彫刻となっているのですが、金網がかかっていて題材がよくわかりません。
内部の通路部分。
天井は設けられておらず、唐破風の茨垂木が見えます。
左右にわたされた梁には菊と五七の桐の紋。
梁の上下にも彫刻が配され、下側は菊唐草、上側は戯れる唐獅子。
内部右手側(西側)の様子。
写真中央の主柱と、写真左右の控柱のあいだには欄間が張られています。欄間は透かし彫りで唐草が造形されていて、精巧かつ立体的で見栄えする造形です。
写真左に見える門扉(桟唐戸)は上部の羽目に彫刻があり、中央に菊の紋、その周囲は唐草(菊の葉?)となっています。
側面および妻壁。
こちらも非常に豪華で密度の高い造り。
台輪の上では組物によって妻虹梁が持ち出され、二重虹梁となっています。
破風板の拝みと桁隠しには三花懸魚。銅板でカバーされ、経年で緑青の色になっています。
妻壁の二重虹梁の部分。
組物は巻斗が2段重ねになっています。
中央の中備えは唐獅子。
妻壁には竜の彫刻。
背面から見た図。
正面だけでなく、背面側にも軒唐破風が設けられています。
各所の意匠も正面とおおかた同じで、ほぼ前後対称の造りをしています。
唐門から見た如来堂。
手水舎(唐門側)
唐門をくぐると、参道右手には手水舎があります。
入母屋、本瓦葺。
柱は几帳面取りの角柱。
飛貫木鼻は拳鼻と象鼻。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
飛貫虹梁の上の中備えは蟇股。
頭貫と台輪の上の中備えは、木鼻のついた平三斗が配置されています。
内部は棹縁天井。中央が垂れ下がってしまっているように見えます。
軒裏は一重の繁垂木。
山門
唐門から東側へ数十メートルほどの場所には山門が鎮座しています。南向き。
唐門と山門が同じ道路に面して並立しており、専修寺には事実上の正門が2つある模様。
道の左右に立てられた塀は釘貫門(くぎぬきもん)と言うようで、石橋や水路とともに寺の内外を隔てる境界だったとのこと。
釘貫門は江戸中期後期のものらしく、市指定文化財。
手前の石橋は1760年頃のもので、こちらも市指定文化財。
山門の様式は、五間三戸、楼門、二重、入母屋、下層背面向拝3間、本瓦葺。
1704年(宝永元年)頃の再建。唐門と同様に専修寺11棟として国指定重要文化財。
間口20メートル、奥行き9メートル、高さ15.5メートル(津市教育委員会の案内板より)。
柱間は5間あり、そのうち3間が通路になっています(五間三戸)。
五間三戸は門の様式としては最大規模。
また、下層にも屋根がついており、二重の楼門となっています。
向かって右端の柱間。柱はいずれも円柱。
左右の両端の柱間だけ飛貫があり、頭貫とのあいだに連子のような欄間がついています。
中備えは平三斗。
軒裏は二軒繁垂木。
端の部分の組物のアップ。
組物は三手先の出組なのですが、肘木を柱に挿して持出ししています。これは挿肘木といい、大仏様(天竺様)の意匠。
母屋から隅にむけて斜めに大きく突き出した肘木は、先端が大仏様木鼻になっています。
側面は横板壁になっていました。軒下の意匠は正面側と同様。
山門の左右には袖塀があります。
上層。扁額は山号「高田山」。
母屋の組物は三手先。こちらは下層とちがって通常の斗栱となっています。
持ち出された桁の下には軒支輪。
軒裏は二軒繁垂木。こちらも平行の垂木です。
縁側の欄干については、ひだのついた禅宗様の意匠になっていました。
この山門の最大の特徴が、背面に設けられた庇(向拝)。
門に向拝が付くだけでも異例なのですが、背面に向拝が付くのは異例中の異例。このような様式の門は、私の知るかぎりではほかに例がありません。
なぜこのような構造になったのかは不明。
向拝柱は円柱、組物は母屋下層と同様の挿肘木、突き出した屋根の側面には縋破風が使われています。
手水舎(山門側)
山門の裏の右手側にも手水舎。
入母屋、本瓦葺。
軒裏は二軒繁垂木。
内部は格天井。
柱は几帳面取り角柱。内転びがついています。
飛貫虹梁の木鼻は獏と唐獅子。
写真上端には、頭貫と台輪の木鼻が見えます。
飛貫虹梁の中備えは蟇股。花鳥が彫られていますが題材がよく解らず。
台輪の上の組物は出組。桁下の板支輪には波が彫られています。
唐門と山門については以上。