今回も三重県津市の専修寺について。
その2では如来堂と御影堂について述べました。
当記事では通天橋や御廟などの伽藍について述べます。
通天橋
如来堂と御影堂のあいだは、通天橋という渡り廊下によってつながれています。
梁間1間・桁行9間、唐破風、本瓦葺。
1800年(寛政十二年)上棟。専修寺11棟として国指定重要文化財です。
屋根は本瓦ですが、唐破風のカーブにあわせて葺かれていて、瓦らしからぬ柔らかい曲面になっています。
床下は挿肘木のような腰組で受けられています。
内部の妻壁。
妻飾りは笈形付きの虹梁大瓶束。
虹梁の若葉は、唐草と波をあわせたような意匠。
大瓶束はやや角ばった円柱で、結綿などの意匠も凝っています。左右の笈形は雲の意匠。
破風板から下がる兎毛通は、雲に鶴。
柱は角柱。角面取りされていて、江戸後期にしてはC面が大きめ。
正面側には木鼻が設けられています。
柱と懸架材(虹梁や軒桁)のあいだには、繰型のついた持ち送りが添えられています。
軒裏は二軒まばら垂木。
屋根の外側は唐破風ですが、内部は三角の山形になっています。
柱間には梁がわたされ、その上では蟇股が棟木を受けています。
太子堂
如来堂の左側(西)には太子堂。
桁行3間・梁間3間、宝形、桟瓦葺。
造営年不明。聖徳太子を祀った堂のようです。
柱は角柱。上部に頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻が設けられています。
柱上の組物は出組。
中備えは板蟇股で、その上の組物は丸い肘木(木鼻?)と斗2つを組み合わせた風変わりなもの。
側面および背面。
組物や中備えは正面と同様。
壁面はしっくい塗り。軒裏は二軒繁垂木。
御廟
境内の東端には、親鸞の墓所である御廟が鎮座しています。
こちらも立派な伽藍ですが、山門・唐門や如来堂・御影堂の周辺と較べるとひっそりしています。
御廟の外には手水舎。
入母屋、本瓦葺。
飛貫虹梁には象鼻。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
飛貫中備えは、結綿の意匠の蟇股。台輪の上の中備えは、木鼻付きの平三斗。
内部は格天井。
御廟の正面中央には御廟唐門。その左右は透塀(すきべい)。
御廟唐門は一間一戸、四脚平唐門、檜皮葺。
透塀は檜皮葺。
1861年(文久元年)造営。専修寺11棟として国重文。
こちらの唐門は屋根側面の形状が唐破風になったタイプの門で、その1で述べた境内入口の唐門とは様式が異なります。こちらのほうが「唐門」という様式の本来の形といえます。
正面の軒下。
江戸後期のものなので彫刻が多め。
軒裏は二軒繁垂木。
柱は几帳面取りの角柱で、上端が絞られています。
虹梁の木鼻は菊の籠彫。台輪にも木鼻が設けられています。
組物は出組。桁下には軒支輪。中備えには唐獅子の彫刻。
塀の内側から見た側面(東面)。
台輪の上の中備えは花鳥の彫刻。蓮にヨシキリと思しき鳥が彫られていました。
妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形は菊の彫刻で、妻壁を覆いつくしそうなほどのサイズ。
破風板の拝みには鳳凰の彫刻。
主柱と前後の控柱のあいだの欄間にも、格子や彫刻などの意匠があります。
御廟を囲う透塀。
屋根は檜皮で葺かれ、欄間には菱形の吹寄せ格子や羽目板彫刻が見られ、かなり凝った造り。
御廟の西端には名称不明の堂。
宝形、本瓦葺。
御廟唐門は通行できませんが、通用門があるため塀の内に入ることができます。
こちらは御廟拝堂。神社で言うところの拝殿でしょうか。写真右奥には御廟の墳墓が見えます。
御廟拝堂は桁行5間・梁間3間、入母屋、正面背面千鳥破風付、正面軒唐破風付、本瓦葺。
瓦の銘文より1858年(安政五年)の造営と考えられています。こちらも専修寺11棟として国重文。
正面の軒下。
中央の1間はほかの柱間より広く取られています。
中央3間は桟唐戸、両端の各1間はしっくい壁。
頭貫の下の欄間には、格狭間に花鳥の彫刻が入っています。写真左は梅に鶯、右は笹に雁のつがい。
頭貫には拳鼻が設けられています。
台輪の上の中備えは蟇股で、はらわたは鳳凰の彫刻。
唐破風の小壁には笈形付き大瓶束。
左右の笈形は、波に菊花の彫刻。幕末らしい立体的で流麗な造形です。
正面の唐破風および軒唐破風。
唐破風の拝みと桁隠しには、くり抜かれていない猪目懸魚。
千鳥破風の拝みは三花懸魚、桁隠しは派手な鰭のついた蕪懸魚。
母屋柱は角柱。
頭貫と台輪に禅宗様木鼻が設けられています。
側面。
こちらは欄間彫刻が省かれ、一気に簡素な趣に。
壁面には格狭間の形状をした窓。
柱上の組物は、大斗と実肘木を組んだもの。
側面の入母屋破風。
正面千鳥破風とほぼ同じですが、こちらは拝みが蕪懸魚で、少し簡素になっています。
拝堂の後方には、御廟の本体である墳墓が見えます。
浄土真宗(専修寺は真宗高田派)の開祖である親鸞の墓です。1672年(寛文十二年)に造られたもの。
案内板(津市教育委員会)によると、親鸞の遺骨5粒が埋葬されているとのこと。
なお、親鸞の墓は当地のほか、京都市の西本願寺・東本願寺など複数あります。
茶所
つづいて境内の東側に移ります。
山門の後方の参道右手には茶所。
入母屋、向拝1間・向唐破風、本瓦葺。
1760年(宝暦十年)造営と考えられています(津市教育委員会の案内板より)。専修寺11棟として国重文。
茶所は大規模な寺院に設けられることがある堂で、参拝者の接待や休憩所として使われるようです。
内部をのぞき込んでみると軽食や土産物の店になっていて、現在も本当に茶所として使われている模様。重要文化財の茶店とは驚きました。
なお、訪問時は感染症対策のためか休業中でした。
水引虹梁は、左右両端に風変わりな渦巻の意匠がついています。中備えは竜の彫刻ですが、ハト除けの網がついていて見づらいです。
唐破風の梁は両端に菱形の文様がついていて、こちらも風変わり。梁の上は笈形付き大瓶束。
唐破風の拝みには兎毛通が下がっています。
向拝柱は几帳面取り。
木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。
唐獅子と獏とで大きさが揃っていないのと、網がクモの巣みたいに絡みついてしまっているのが気になります。
柱上は出三斗。
向拝内部は格天井。
母屋柱は角柱。
柱上の組物は出三斗と平三斗。壁面は組物をよけるようにしっくいが塗られています。
妻飾りは二重虹梁。
破風板の拝みには鰭のついた蕪懸魚。
鐘楼
茶所の近くには鐘楼。
入母屋、本瓦葺。
鬼瓦の銘より1711年(正徳元年)の再建と考えられています。茶所と同様に、専修寺11棟として国重文。
内部に吊られている銅鐘は1652年鋳造で、市指定文化財。
主柱は円柱で、内に転びがついています。
柱間には八角柱の控柱が各2本、つごう計8本立てられています。
飛貫木鼻は直角三角形に近い形状で、大仏様の木鼻。
頭貫木鼻は拳鼻で、標準的な禅宗様の木鼻です。
飛貫の上の中備えは板蟇股。
柱と台輪の上の組物は三手先。肘木は山門の組物と似た造りで、案内板によると東大寺鐘楼(奈良市)に似た大仏様風とのこと。
妻壁の内部には、虹梁と大瓶束が見えます。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
大玄関と対面所
御影堂の右手から境内東の奥へ進むと、大玄関と対面所があります。
こちらは大玄関。
入母屋(妻入)、正面軒唐破風付、本瓦葺。1785年(天明五年)再建。
唐破風の小壁に彫刻がありますが、正面の真下から見られないため題材はよく解らず。
こちらは対面所。
入母屋(妻入)、正面軒唐破風付、本瓦葺。1790年(寛政二年)再建。
大玄関、対面所ともに専修寺11棟として国重文。
木鼻は唐獅子と獏、蟇股は波、唐破風の妻飾りは竜の彫刻になっています。
太鼓門
境内東端、生活道路に面した場所には太鼓門。
四重、入母屋、本瓦葺。
寛文年間(1661-73)に造営され、文久年間(1861-64)の改装で現在の形態になったとのこと。専修寺11棟として国重文。
正面下層。
下見板やしっくい壁、出窓などが使われ、寺院というよりは宿場の門に似た趣。
下層の軒先(写真下端)に設けられた鼻隠しは、波打った意匠になっています。
上層の3層は軒裏に垂木が見え、一重まばら垂木となっています。
専修寺境内の伽藍については以上。
専修寺の門前に点在する子院・末寺については当該記事にて述べます。
以上、専修寺でした。
(訪問日2021/09/19)