今回も三重県津市の専修寺について。
当記事では如来堂と御影堂について述べます。
如来堂
専修寺の中枢といえる伽藍のひとつが、こちらの如来堂。境内中央の西側(向かって左)にあります。
仏堂として規格外といっても過言でないサイズで、禅宗様の建築として国内最大。後述の御影堂とともに、三重県内で初めて国宝に指定された建造物です。
周囲に高い建物がほぼないため、境内から1キロメートルほど離れた場所からでも屋根が視認でき、遠目に見てもなお圧倒的な存在感を放っています。
堂内も無料で拝観でき、金箔が貼られた建具や宮殿(くうでん、厨子に相当するもの)が見られます。宮殿は如来堂の附(つけたり)として国宝指定されています。
内部の撮影は、個人的な利用に限って可能(不特定多数への公開は禁止)。よって写真は割愛。
様式は、桁行5間・梁間4間、一重、裳階付、入母屋、裳階正面向拝3間・軒唐破風付、本瓦葺。
1748年(延享五年)造営。国宝。
本尊は阿弥陀如来。
屋根は二重に見えますが、下の屋根は裳階(もこし)という庇になっています。堂内に入ってみると、単層の建物であることがわかります。
裳階の正面には柱間3間の向拝がついています。
向拝柱は几帳面取りの角柱。
正面には唐獅子、側面には象の木鼻。象は非常に鼻が長く、良い造形だと思います。
柱上の組物は連三斗。象の頭の上にのった皿斗によって持ち送りされています。
虹梁中備えは蟇股で、はらわたには仙人らしき人物像が彫られています。
こちらは向かって右の中備えで、鶴にまたがった仙人が題材。
向拝の中央部分。
中備えには空間いっぱいに竜の彫刻が配されています。豪快な造形。
その上では笈形付き大瓶束が唐破風の棟を受けています。笈形は鳳凰が彫られていました。
軒唐破風は、兎毛通と桁隠しに菊の彫刻が下がっています。
破風板には飾り金具がつき、菊の紋があしらわれています。
向拝の軒下には、ゆるやかにカーブした海老虹梁がわたされています。海老虹梁の下部には、菊の籠彫りの持ち送りが添えられています。
手挟は花鳥らしき題材が彫られていますが、ハト除けの網のせいでよく見えず。
母屋正面の柱間は2つ折れの桟唐戸。戸の羽目板には菊唐草が彫られています。
向かって左の側面(西面)。
こちらは桟唐戸のほか、火灯窓も使われています。
縁側の後方は、引き戸のついた脇障子のような建具でふさがれていました。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
写真右の唐破風の屋根は通天橋。その3にて後述。
母屋柱は円柱。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻が設けられています。
台輪の上の中備えは蟇股。向拝の蟇股と同様、仙人らしき人物像が彫られています。
柱上の組物は出組。持ち出された軒桁の下には軒支輪。
縁の下。
母屋は亀腹の上に建てられています。
縁束は円柱で、礎盤の上に立てられています。縁束の上の組物は、大斗と肘木を組み合わせたもの。
つづいて裳階の上の様子。こちらは禅宗様の意匠が散見されます。
よく見ると柱は上部が絞られ、粽になっています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
組物は尾垂木四手先で、尾垂木は竜の頭の彫刻になっています。また、柱上だけでなく柱間にも配置されています(詰組)。
軒裏は扇垂木の二軒繁垂木。放射状の垂木(扇垂木)は禅宗様の典型的な意匠です。
わかりづらいですが側面は4間。
禅宗様建築は正方形の平面が多く(たいていは正面側面ともに3間)、床は土間にするので、この如来堂は純粋な禅宗様建築とは言えないでしょう。
びっしりと並んだ詰組と放射状の垂木、そしてこの巨大さもあいまって、圧巻の軒下。
破風の内部は二重虹梁になっており、中央には鶴の彫刻。この彫刻はWikipediaによると左甚五郎の作だそうですが、左甚五郎というのは名工の二つ名のようなものであり、特定の人物を指すものではありあません。
破風板には金色の五七の桐の紋。拝みと桁隠しには、鰭のついた三花懸魚が下がっています。
御影堂
山門の先、如来堂の東側(向かって右)には御影堂(みえいどう)が鎮座しています。
Wikipediaによると正面42.73メートル・奥行33.50メートルで、国宝の木造建築の中では5番目に大きいとのこと。如来堂と同様、境外の遠くからでも視認できる巨大な仏堂となっています。
様式は、桁行9間・梁間9間、入母屋、向拝3間、東面向拝1間・入母屋(妻入)、本瓦葺。
1666年(寛文六年)再建。国宝。
棟梁は江戸坂本三左衛門。脇棟梁には当地の宮大工の森万右衛門という人物も居たとのこと(津市教育委員会の案内板より)。
親鸞の坐像や歴代住持の肖像が安置されているため御影堂と呼ばれます。
如来堂と同様にこちらも無料で堂内を拝観できます。堂内内陣は極彩色の梁や格天井で飾られ、安土桃山風の華美な造りになっています。内部は撮影可ですが、例のごとく公開禁止のため写真は割愛。
向拝は3間。巨大な堂のため、向拝は幅も高さも非常に大きくなっています。
比較対象となるものが写り込んでいないのでスケール感がわかりにくいですが、写真奥の母屋の障子戸のサイズを見れば、この巨大さが解るかと思います。
向拝柱は角柱。垂れ幕がかかっていて見えないですが、几帳面取りされていました。
木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。
組物は連三斗。
虹梁中備えの蟇股は、金箔が貼られ極彩色に塗り分けられています。ここは安土桃山期の流れを感じる作風。
写真は向拝の中央の間のもので、はらわたの彫刻は竜です。
ほとんどの材が無塗装の素木であるのに対し、ここだけ金ぴかの極彩色で、やや浮いている感がなきにしもあらず。
向拝の軒下の様子。写真右が母屋側。
向拝柱と母屋柱はまっすぐな梁でつながれ、梁の中央には笈形付き大瓶束。大瓶束の上部と母屋に小さな海老虹梁がわたされています。
ここの構造が善光寺本堂(長野県長野市、1707年再建)とよく似ていることが境内案内板(津市教育委員会)で指摘されており、時代的にも近いです。江戸初期中期の大型仏堂に見られる意匠、といったところでしょうか。
柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定されています。
頭貫には拳鼻。
組物は出組。木鼻が竜の頭の彫刻になっています。
持ち出された桁の下には、軒支輪と格子の小天井。
軒裏は二軒繁垂木。
側面。
柱間は連子窓と2つ折れの桟唐戸。
木鼻や桟唐戸は禅宗様の意匠なので、この堂は純粋な和様ではなく、和様寄りの折衷様になるでしょう。
とはいえ、隣の如来堂が禅宗様をベースとした意匠であるのに対し、こちらの御影堂は和様をベースとしていて、対照的です。
右側面(東面)の遠景。
保護のためなのか、板が張られていて美観を損ねてしまっているのが惜しいです。
こちらの側面には、入母屋(妻入)の向拝が設けられています。
破風板は黒い材に飾り金具がつき、重厚な趣。五七の桐の紋があしらわれています。拝みと桁隠しには鰭のついた三花懸魚。
東面の縁側内部には、懸魚の古材が展示されていました。
これは1666年の再建時の材で、現在の御影堂の破風板に下がっているのは平成の大修理(2000~2007年)の際に交換された新しい材とのこと。
私の目測になりますが、上端から下端まで2メートルほど。
ふだんは遠目に見ることしかできない部材ですが、近くで見ると予想よりもはるかに大きくて圧倒されます。
如来堂と御影堂については以上。