今回は富山県高岡市の瑞龍寺(ずいりゅうじ)について。
瑞龍寺は高岡市の中心部に鎮座している曹洞宗の寺院です。山号は高岡山。
創建は1614年(慶長十九年)。加賀藩2代目・前田利長が金沢に開いた宝円寺(法円寺)という寺院を、3代目・前田利常が当地に移転して院号と寺号を改めたのが始まりです。江戸期を通して前田家から手厚い庇護を受けています。
現在の境内伽藍は江戸初期のもので、広大な回廊と芝生の中庭が特徴的。北陸屈指の大伽藍が竣工当時とほぼ同じ姿で保存されており、仏殿などの3棟が県内唯一の国宝(2021年現在)に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒933-0863富山県高岡市関本町35(地図) |
アクセス | 高岡駅から徒歩10分 高岡ICから車で10分 |
駐車場 | 100台(無料) |
営業時間 | 09:00-16:30 |
入場料 | 500円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 国宝高岡山瑞龍寺公式ホームページ |
所要時間 | 1時間程度 |
境内
総門
瑞龍寺の境内は東向き。
拝観料を払って伽藍へ向かうと、最初に総門があります。
総門は一間一戸、薬医門、切妻、檜皮葺。
正保年間(1645-1648)の造営。国指定重要文化財。
柱は角柱。梁の釘隠しは前田家の家紋である梅鉢をあしらったもの。
梁から腕木が突き出され、三斗を介して軒桁を受けています。
軒裏は二軒まばら垂木。
梁のあいだには腕木がわたされています。腕木の中央には板蟇股が配置され、こちらも梅鉢の紋。蟇股は花肘木を介して格天井を受けています。
薬医門に天井を設けるのは少し風変わり。
山門
総門の先には山門。
三間一戸、楼門、二重、入母屋、こけら葺。
1820年(文政三年)造営。国宝。
後述の仏殿や法堂とともに、加賀藩お抱えの宮大工・山上善右衛門の一門が造営したとのこと。気多大社(石川県羽咋市)の社殿を造営した宮大工です。
下層向かって左の軒下。
柱は円柱で、上端が絞られています。
柱の上部には頭貫が通り、台輪がまわされています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻が設けられています。
台輪の上には禅宗様の尾垂木三手先の組物。柱間にも組物が配置されており、詰組になっています。
軒裏は二軒繁垂木。下層が平行垂木であるのに対し、上層は扇垂木となっています。
上層正面の柱間は桟唐戸、扁額は「影向閣」。
組物や木鼻の意匠は下層と同様。
右後方から見た側面。
上層側面の柱間は横板壁。
破風板には鰭付きの猪目懸魚。破風内部は妻虹梁が使われているのが見えます。
背面。
下層の背面側は建具がない空間になっていて、左右の回廊につながります。
上層の背面は横板壁。
山門向かって左の袖塀および回廊。中央奥に少し見える屋根は禅堂。
袖塀および回廊の屋根はこけら葺。袖塀の柱間には火灯窓が使われています。
仏殿
山門をくぐると、回廊に囲われた芝生の中庭の中央に仏殿が鎮座しています。
桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、入母屋、鉛瓦葺。
棟札より1659年(万治二年)造営。国宝。
禅宗様建築の典型である「裳階(もこし)付き入母屋」という様式。
同様式は室町期の遺構が多いです。室町期のものとくらべるとこの仏殿は歴史的価値にやや劣りますが、江戸期の禅宗様建築の代表例として価値が高いため国宝に指定されています。富山県内で初の国宝です。
なお、裳階というのは下の屋根(厳密に言えば庇)のこと。裳階は屋根ではなく庇であり、この堂は二重ではなく一重(平屋)です。堂内に入ってみると、二階はなく天井の高い平屋であることがわかります。
下層(裳階の下)。
仏殿は高さ30センチメートルほどの基壇の上に建てられ、縁側はなく土間となっています。
柱は円柱で、礎盤の上に立てられています。
柱間は桟唐戸と火灯窓。どちらも禅宗様の意匠です。
柱は上端がすぼまった粽になっています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
組物は出三斗が使われ、柱間に配置された詰組には木鼻のついた平三斗が使われています。
左側面。
こちらも桟唐戸と火灯窓が使われています。各所の意匠は正面とほぼ同じ。
背面。
中央に桟唐戸があり、ここからも堂内に出入りできます。
中央以外は横板壁になっており、ここは禅宗様らしくない造り。禅宗様建築では、外壁の板壁を縦方向に張るのが典型です。
正面上層の組物は尾垂木三手先。柱間にもびっしりと並べられ、詰組になっています。尾垂木は先端が平たく、ここも禅宗様らしくない造り。
上層も柱が粽になっていて、頭貫と台輪に禅宗様木鼻が設けられています。
軒裏は上下とも二軒繁垂木で、下層(裳階)は平行垂木、上層(屋根)は扇垂木です。
なお、堂内は中央部の柱が省略されて正面3間・側面3間の空間に須弥壇が設けられていました。須弥壇には釈迦三尊などが祀られています。
法堂と回廊
仏殿を囲う回廊や、後方の法堂はいずれも堂内を見ることができます。
以下、法堂などの伽藍を大まかに紹介し、外観の細部意匠については割愛いたします。
仏殿の後方には巨大な法堂。
入母屋、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。
墨書より1655年の造営。国宝。
本尊は釈迦如来。
回廊は土間ですが法堂内部は板と畳の床になっています。部屋数が多く、仏堂というよりは住居に近い雰囲気でした。堂内では前田家の位牌を見ることができます。
仏殿に向かって右(北側)には大庫裏。
切妻、正面向唐破風付、こけら葺。
他の堂と同様、江戸初期の造営。回廊とあわせて国重文。
仏殿に向かって左(南側)には禅堂。
切妻、正面向唐破風付、こけら葺。
江戸中期(1746年頃)の再建。国重文。
法堂の裏には石廟。
前田利家・利長・利常の加賀藩主3世代のほか、織田信長・信忠父子の分骨が祀られているらしいです。通説だと織田信長は遺体が見つかっていないはずなのですが...
様式はいずれも切妻、妻入。石材は凝灰岩の一種である越前笏谷(しゃくたに)石を使用しているとのこと。
以上、瑞龍寺でした。
(訪問日2021/05/01)