今回は石川県羽咋市の妙成寺(みょうじょうじ)について。
妙成寺は郊外の田園地帯に鎮座する日蓮宗の北陸本山です。山号は金栄山。
創建は寺伝によれば1294年(永仁二年)、日蓮の孫弟子・日像の開基。安土桃山および江戸期には加賀藩・前田氏から篤い崇敬を受け、壮大な伽藍が造営されています。
現在の境内伽藍は江戸初期頃に整備されたもので、10棟もの堂宇が国重文に指定されています。大規模な本堂のほか、北陸3県で唯一の五重塔も現存。能登国はむろんのこと北陸でも随一の威容を誇る大伽藍です。
当記事ではアクセス情報および二王門、経堂、五重塔などについて述べます。
本堂、祖師堂、鐘楼などについてはその3をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒925-0002石川県羽咋市滝谷町ヨ1(地図) |
アクセス | 千路駅から徒歩1.2時間 のと里山街道 柳田ICから車で10分 |
駐車場 | 50台(無料) |
営業時間 | 08:00-17:00(※冬季は16:00まで) |
入場料 | 500円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 妙成寺(みょうじょうじ)公式ホームページ |
所要時間 | 1時間程度 |
境内
境内入口
妙成寺の境内入口は東向き。幹線道路から少し奥まった場所に入口があります。
周辺は田園地帯と林が入り混じる独特な景観の土地で、ちょうど農家が田植えをしていたり時折キジのほろ打ちが響いたり、非常にのどかな環境です。
入口には黒い高麗門が建ち、その脇から車で進入すると駐車場があります。
浄行堂
これ以降は有料(500円)の区画となります。
受付で拝観料を払って進むと、浄行堂(左)と二王門(右)が視界に入ります。
浄行堂は寄棟、茅葺。扁額は「浄行堂」。
内部には浄行菩薩(日蓮宗に特有の菩薩らしい)の立像があり、水をかけることで参拝者の煩悩を清めるとのこと。手水舎に相当する施設です。
内部の小屋組が独特で、化粧屋根裏になっています。
梁などの懸架材は使われず、縄で縛られた細い材と屋根そのものが小屋組の構造材として機能しているようです。
二王門(楼門)
つづいて二王門。
仁王門ではなく二王門です(パンフレットより)。なお、門の手前にある手書きの案内板には樓門(楼門)と書かれていました。
三間一戸、楼門、入母屋、桟瓦葺。
1625年(寛永二年)建立。後述の本堂などとあわせて国指定重要文化財。
下層。
柱はいずれも円柱。柱上の組物は三手先で、上層の縁側を受けています。
頭貫には木鼻がありません。頭貫の上の中備えは間斗束。
装飾的な要素が省かれた簡略な作風。
上層。扁額は山号「金栄山」。
縁側は切目縁で、欄干は跳高欄。
欄干の影になってしまっていますが、母屋の柱間には連子窓が使われていました。
柱上の組物は和様の尾垂木三手先。持ち出された桁の下には軒支輪と格子の小天井。
軒裏は並行の二軒繁垂木。
側面および背面。
こちらも下層・上層ともに頭貫木鼻が使われず、頭貫中備えはシンプルな間斗束です。
経堂
二王門をくぐると五重塔が視界に入りますが、順路だと経堂が先になっているためこちらから紹介。
梁間3間・桁行5間、寄棟、桟瓦葺。
1670年(寛文十年)建立。ほかの堂宇とあわせて国重文。
前方の1間は吹き放ちの外陣になっています。
屋根は宝形のように見えますが、文化遺産オンラインによると寄棟とのこと。
正面中央の柱間。
外陣の柱は角柱で、上端がわずかに絞られています。柱上には台輪がまわされ、中備えは彫刻の入った蟇股。ほかの柱間の中備えは間斗束でした。
この写真には写っていないですが、頭貫と台輪には木鼻が設けられていて、前述の二王門とくらべると装飾的な要素が多いです。
組物は小振りな三斗で、軒裏は二軒まばら垂木。
五重塔
妙成寺の象徴といえるランドマークがこちらの五重塔。その塔体は境内の外からも望めるほどの長身。
三間五重塔婆、とち葺。全高34.18メートル。
1618年(元和四年)建立。こちらも同様に国重文。
棟梁は建仁寺流大工で加賀藩お抱えの工匠・坂上越後守嘉紹。
北陸3県で唯一の木造五重塔。新潟県佐渡市にも国重文の木造五重塔がありますが、新潟は北陸地方に含まれたり含まれなかったりするため、「北陸3県」で唯一と言ったほうが語弊がないでしょう。
パンフレットによると、五重塔で屋根がとち葺であるのは全国唯一とのこと。
初重。
柱はいずれも円柱。軸部は長押で固定され、頭貫や木鼻は見えません。木鼻を使わないのは古風な造りです。
柱上の組物は和様の尾垂木三手先。持ち出された桁の下には軒支輪と小天井。
中央の柱間は桟唐戸。下の羽目板には、中国の故事を題材にしたと思しき人物像や、花鳥が彫刻されています。
桟唐戸の左右の柱間は、中の見えない連子窓(盲連子)が使われています。
二重および三重。
各部の意匠は初重とほぼ同じ。軒裏はいずれも二軒繁垂木です。
初重の縁側は擬宝珠付き高欄が使われていたのに対し、二重以降は跳高欄が使われています。
見上げた図。
母屋と屋根のバランスや各重の逓減率が良いのか、すらりと高く伸びていながら調和のとれたシルエットに見えます。江戸期の塔建築の中でも、秀作といえる物件ではないでしょうか。
二王門、経堂、五重塔などについては以上。