今回は石川県羽咋市の気多大社(けた たいしゃ)について。
気多大社(氣多大社)は海沿いの高台に鎮座しています。能登国一宮。
創建は不明。社伝によれば出雲から下向した大己貴命(大国主)が当地の鬼などを退治し、当地に祀られたのが始まりとのこと。
気多大社が文献で最初に確認できるのは奈良時代の『万葉集』で、大伴家持が当社に参拝したときの歌が掲載されています。平安期の『延喜式』には、名神大社として記載されています。詳細な時期は不明ですが鎌倉以降は能登国一宮として信仰され、室町期は能登国守護の畠山氏、江戸期は加賀藩の前田氏による庇護を受けています。
境内には多数の文化財が立ち並び、神門は安土桃山期、拝殿は江戸中期の造営で国重文。江戸後期の本殿も国重文で、両流造というめずらしい建築様式。一宮にふさわしい充実した境内となっています。
現地情報
所在地 | 〒925-0003石川県羽咋市寺家町ク1-1(地図) |
アクセス | 千路駅から徒歩40分 のと里山街道 柳田ICから車で5分 |
駐車場 | 200台(無料) |
営業時間 | 08:30-16:30 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 能登國一之宮 氣多大社 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
鳥居と手水舎
気多大社の境内は南西向き。
社頭の鳥居は二の鳥居で、一の鳥居は参道を下った先に立っています。
二の鳥居は木造の両部鳥居。前後の控柱は八角柱が使われています。扁額は「氣多大社」。
参道右手には手水舎。
切妻、銅板葺。
柱は角柱。大小の柱がならび、共有した舟肘木を介して桁を受けています。
木鼻はΣ型に繰り取られた形状で、シンプルな繰型がついています。
中備えの板蟇股には桜の花が彫られています。反対側や側面も同様の意匠。
蟇股は巻斗と舟肘木を介して桁を受けています。この部分に実肘木ではなく舟肘木を使った例はめずらしいと思います。
内部に天井はなく、化粧屋根裏になっています。
神門
参道の先には神門。
一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。
安土桃山時代の造営とされ、社伝によれば1584年のもの。国指定重要文化財。
写真左端に見える控柱は角柱が使われ、四脚門のセオリーに則っています。面取りがやや大きく、古風な印象。
虹梁は無地の細い材が使われ、中備えは出三斗。木鼻は拳鼻。
内部から見た妻面。
柱上の組物の上に妻虹梁がわたされ、妻虹梁の上では板蟇股が棟木を受けています。
軒裏は一重繁垂木で、化粧屋根裏。
拝殿
神門の先には妻入屋根の拝殿が鎮座しています。
入母屋(妻入)、檜皮葺。
1653年(承応二年)の造営。国指定重要文化財。
棟梁は加賀藩の宮大工・山上善右衛門。同市の妙成寺や、国宝の瑞龍寺(富山県高岡市)の造営にもかかわった名工です。
拝殿にしてはめずらしく、向拝がありません。
正面は3間で、中央は桟唐戸、左右は舞良戸。
内部は格天井。
柱は上端が絞られた円柱(粽)。
柱上には台輪がまわされ、台輪と頭貫に禅宗様木鼻が設けられています。
組物は出組で、柱間にも組物が配置されています(詰組)。
桟唐戸、粽、詰組など神社の社殿にしては禅宗様の要素が多め。
向かって右側面。
各所の意匠は正面とほぼ同じ。こちらは全ての柱間が舞良戸です。
軒裏は二軒繁垂木。
本殿
拝殿の後方には3棟の本殿が鎮座しています。
まずは向かって右(東側)の摂社・白山神社本殿から。
白山神社本殿は桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
1787年(天明七年)造営。棟梁は清水次左衛門と清水多四郎。国指定重要文化財。
祭神はイザナミ、イザナキ、ククリヒメの3柱と思われます。
梁間(奥行)2間の母屋に前室1間を設け、さらに正面の屋根の中央部をのばして幅1間の向拝を設けたもの。越中国一宮の気多神社本殿(富山県高岡市)と同じ様式で、滋賀県などの近畿地方でよく見られるタイプの流造です。
向拝柱は几帳面取り。側面の木鼻は獏。
虹梁には唐草が彫られ、下部は挿肘木で持ち送りされています。時代がちがいますが白山神社本殿(新潟県糸魚川市能生)でも使われている技法です。
中備えの竜は空間いっぱいに彫刻が彫られ、虹梁の上にまで頭をもたげています。江戸後期らしいのびのびとした作風で、野趣に富んでいると思います。
柱上の組物は連三斗。獏の木鼻が持ち送りになっています。
側面。
建具のついた母屋は奥行き2間。見づらいですが、母屋の前方に吹き放ちの前室があります。
つづいて中央の気多大社本殿。
気多大社本殿は桁行3間、梁間4間、三間社両流造、向拝1間、檜皮葺。
1787年(天明七年)造営。国指定重要文化財。
祭神は大国主。
母屋は梁間(奥行)2間で、その前後の軒下に各1間の前室・後室を設けたもの。前室1間、母屋2間、後室1間で、つごう梁間4間。構造的には、前述の白山神社本殿に後室をプラスした発展型といったところ。
このような様式の流造本殿を両流造(りょうながれづくり)といい、類例の少ない貴重な建築様式です。また、神社本殿として非常に大規模なものです。
反対側。
貴重な様式の本殿ではありますが、向拝部分が板でふさがれているうえ遠目に観察することしかできないのが惜しいです。
最後に向かって左(西側)の摂社・若宮神社本殿。
若宮神社本殿は一間社流造、檜皮葺。
1569年(永禄十二年)造営。国指定重要文化財。
気多大社の境内の社殿のうち、もっとも古いもののようです。
向拝柱は角柱で、面取りは大きく取られていました。
虹梁中備えは透かし蟇股で、獅子らしき題材が彫られています。虹梁の木鼻は象鼻。
前述の気多大社本殿や白山神社本殿とくらべても、明らかに古風な造りをしています。
その他の境内社
境内東側には太玉神社。
神明造、桟瓦葺。
母屋柱が角柱ですが、室外に立てられた棟持柱は円柱で、神明造の基本を押さえた造り。
太玉神社の南には菅原神社。学問や受験の神。
手前の石橋は「合格橋」なる名前がついています。3歩もあれば簡単に渡りきれる短さで、努力とか苦労とかいった息苦しい言葉とは無縁なところが素敵。個人的にこの神社でいちばん好きなスポット。
境内西側の駐車場と参道のあいだには養老大国像奉安殿。
一間社流造、銅板葺。
縁側の欄干などが省かれ、やや簡易的な造り。
木鼻や実肘木の繰型は良い造形だと思います。
虹梁は唐草が彫られ、中備えは蟇股。木鼻は象鼻。
柱上の組物は皿付きの大斗の上に実肘木を組み、桁を受けています。
以上、気多大社でした。
(訪問日2021/05/01)