今回は青森県弘前市の長勝寺(ちょうしょうじ)について。
長勝寺は禅林街の最奥部に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は太平山。
創建は1528年(享禄元年)。大浦氏(のちの津軽氏)の大浦盛信が、父の菩提寺を種里(鰺ヶ沢町種里町)に開いたのが始まり。弘前市賀田や同市堀越へ移転を繰り返し、1610年(慶長十五年)に現在地へ移転しました。江戸時代は藩主・津軽氏の菩提寺として隆盛しました。
現在の境内は江戸時代初期に整備されたもの。禅林街のランドマークである三門だけでなく、本堂や津軽家の霊屋など、多数の伽藍が国重文となっています。
現地情報
所在地 | 〒036-8273青森県弘前市西茂森1-23-8(地図) |
アクセス | 中央弘前駅から徒歩30分、または弘前駅から徒歩45分 大鰐弘前ICから車で30分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 09:00-16:00(拝観は4月-11月のみ) |
入場料 | 境内は無料、庫裏と本堂の内部拝観は300円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
総門
長勝寺の境内は東向き。禅林街の西端にあり、存在感あふれる立派な三門がそびえています。
三門の手前には総門。
一間一戸、薬医門、切妻、鉄板葺。
内部、向かって右側。
腕木を前方(写真右)に突き出し、天井と軒桁を受けています。ここに天井を設けるのは風変わりだと思います。
妻飾りは間斗束。
なお、禅林街の記事で栄螺堂とあわせて紹介した黒門は、長勝寺の伽藍の一部というあつかいのようです。
黒門は長勝寺の入口から東へ300メートルほどの路上にかかっています。
三門
総門の先には三門。左右には手水舎。
三門は、三間一戸、楼門、入母屋、とち葺。
1629年(寛永六年)造営。国指定重要文化財*1。
境内の案内板の解説は下記のとおり。
三門は、寛永六年(1629)二代藩主津軽信枚により建立されたものである。以後数回の改造を経て、文化六年(1809)には火燈窓(かとうまど)を設けるなど、ほぼ現在の形となった。上下層とも桁行9.7m、梁間5.8mで棟高は16.2mである。組物を三手先詰組とし上層縁廻の匂欄(こうらん)親柱に逆蓮柱(ぎゃくれんばしら)を用いるなど、禅宗様の手法を基本としている。また、柱はすべて上から下までの通し柱で、特殊な構造となっている楼門である。
正面向かって左。
軸部は長押と頭貫で固定されています。
左右の柱間には火灯窓が設けられています。ここは江戸後期の改造とのこと。
柱は円柱で、上端が絞られています。
柱上には台輪が通り、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
組物は三手先で、柱間にも組物が置かれています(詰組)。
内部の通路部分は鏡天井。
通し柱が使われているようで、左右の柱は上層まで途切れず伸びているのがわかります。
上層。扁額は山号「太平山」
正面中央の柱間は桟唐戸、左右は縦板の引き戸。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
下層と同様に粽柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
組物は尾垂木三手先。柱間には詰組。
左後方(南西)から上層を見た図。
側面の柱間は縦板壁になっています。
破風板の拝みには三花懸魚。
背面。
上層の柱間は3間とも縦板壁。
下層の背面は吹き放ちになっています。
本堂
山門をくぐると、正面に本堂、右手に庫裏が現れます。
本堂は庫裏と廊下で接続されていて、庫裏のほうから出入りするようです。
訪問時は、本堂の手前に雪が積もっていました。
本堂は、入母屋、こけら葺。
寺伝によると1610年(慶長十五年)の造営。曹洞宗の本堂として最古級らしいです。
庫裏とあわせて国指定重要文化財。
案内板の解説は下記のとおり。
本堂は、慶長十五年(1610)に造営されたと伝えられている。桁行22.7m、梁間16.3m、入母屋造。内部は板敷廊下があるが、以前は土縁であった。中央に両折桟唐戸を吊り、上に筬欄間(おさらんま)を設けている。部屋は八室構成とし、間仕切りは一間毎に角柱を立てて二本溝の仕切りを置く。仏間は板敷きとし、正面中央に円柱を立て、左右の脇間には菱欄間を設けている。古い形式を随所に遺し、津軽氏菩提寺の本堂として記念すべき遺構である。
左側面(南面)。
外部の柱は円柱で、柱上は舟肘木。
壁面は、下は下見板、上はしっくい塗りの壁になっています。
破風板の拝みには蕪懸魚。入母屋破風は木連格子が張られています。
庫裏
本堂向かって右、境内北側には庫裏が南面しています。
切妻、茅葺。
寺伝によると、1502年(文亀ニ年)造営の大浦城台所を移築したものとのこと。
本堂とともに国指定重要文化財。
右側面(東面)の妻壁。
梁と束を組み合わせた小屋組になっています。
破風板の拝みには蕪懸魚。
その他の伽藍
庫裏の手前には鐘楼。
切妻、銅板葺。
内部に吊るされている銅鐘(嘉元鐘)は国重文。
嘉元四年(1306年)の銘があるほか、当時の鎌倉幕府執権・北条貞時の法名があるようです。東北地方では中世の文献が少なく、貴重な資料とのこと。
本堂向かって左には、蒼龍窟(元禅堂)が北面しています。
入母屋(妻入)、銅板葺。
破風の内部には、妻虹梁と大瓶束。
妻虹梁の下は、大斗を2つ重ねて木鼻を付加した部材が使われています。
破風板の拝みには三花懸魚。
ほか、境内の裏手にも多数の伽藍がありますが、常時の拝観はできないようです。
御影堂1棟と、津軽家霊屋5棟がそれぞれ国重文となっています。
以上、長勝寺でした。
(訪問日2022/04/09)
*1:附 棟札1枚。