今回は山梨県甲府市の武田神社(たけだ-)について。
武田神社は甲府市街の北端に鎮座しています。
創建は1919年(大正八年)。武田氏の本拠地だった躑躅ヶ崎館の跡地が境内となっていて、武田信玄が祭神として祀られています。
社殿は大正時代の創建当初のもので、日本建築史の大家・伊東忠太と大江新太郎による設計。屋根葺きに桧皮が使われていて、近現代の社殿としては力の入った造りをしています。
現地情報
所在地 | 〒400-0014山梨県甲府市古府中町2611(地図) |
アクセス | 甲府駅から徒歩30分 甲府昭和ICから車で20分 |
駐車場 | 150台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 甲斐 武田神社 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
武田神社の境内は南向き。石垣の上にあり、周囲は水堀に囲われています。
鳥居は石造の明神鳥居で、扁額は「武田神社」。
境内は武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)として国指定史跡となっています。また、日本100名城にも選定されています。
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は武田氏の本拠地だった場所で、1519年に武田信虎(信玄の父)によって石和から移転したのが始まり。武田氏滅亡後、文禄年間(1593-1596)に甲府城が造られたため、躑躅ヶ崎館は省庁としての役目を終えて破却されました。室町末期から安土桃山時代にかけての約70年間、甲斐国の中心地として機能していたようです。
神社は大正期の創建なので、どちらかと言えば神社そのものよりも敷地の土台や縄張りの遺構のほうが歴史的・文化的価値が高いようです。
参道左手には手水舎。切妻、銅板葺。
柱は角面取り。木鼻は拳鼻をアレンジしたような意匠。
大棟の紋は武田菱。
参道の左手に大きく逸れると神楽殿があります。
切妻(妻入)、銅板葺。扁額は「甲陽武能殿」。
かなり新しいもののようですが、木鼻や蟇股、梅鉢懸魚などの意匠が使われています。
二の鳥居は石造の明神鳥居。扁額はなく、額束になっています。
奥は拝殿、左奥は社務所と宝物館。宝物館は有料(300円)で、国重文の刀などが展示されています。
社務所。入母屋(妻入)、銅板葺。
正面入口に向拝のような庇がついていますが、よく見ると軒下の壁面から伸びていて、孫庇のような構造になっています。
拝殿
拝殿は入母屋、向拝1間・軒唐破風付、檜皮葺。
1919年(大正八年)造営。後述の本殿などとともに、伊東忠太と大江新太郎による設計。
大きな唐破風の向拝が突き出しており、非常に正面性の強いデザイン。
母屋・向拝ともに、屋根葺には檜皮が贅沢に使われています。
甲府のメジャーな観光地なのでふだんは混雑しますが、この日は雨降りのため昼間でも人出がなく、じっくりと社殿を見られました。私のイメージする武田神社は良くも悪くも賑やかな場所なのですが、人出のないときに来ると意外に落ち着いた印象を受けます。
向拝を真横(向かって右側)から見た図。
向拝の破風は、母屋の軒先から急カーブを描いて正面へ伸びています。
向拝の軒下。垂れ幕がかかっているせいで柱がよく見えず。
虹梁中備えは蟇股。その上は笈形付き大瓶束のような意匠。
向拝の軒下を横から見た図。
軒裏はまばらな茨垂木。
母屋の扁額は「武田神社」。
神門と本殿
拝殿の後方には神門(左手前)と本殿が鎮座しています。
神門や本殿の近くへ行くことはできず、遠目に見ることしかできません。
神門は一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。
後方(写真右のほう)には、本殿へと続く釣屋らしき屋根が伸びています。
神門の左右には透かし塀が伸び、本殿を囲っています。こちらの塀の屋根も檜皮葺です。
本殿は流造、檜皮葺。規模からしておそらく三間社流造。
案内板によると祭神は“武田晴信命(たけだはるのぶのみこと)”、もとい武田信玄。
神格化された信玄を祀るために神社がつくられてしまうのも驚きですが、檜皮葺の屋根をこれほど惜しげもなくふんだんに使っている点も驚きです。山梨県民の信玄に対する敬愛が見てとれます。
以上、武田神社でした。
(訪問日2021/01/23)