今回も長野県松本市の牛伏寺について。
当記事では仁王門、観音堂、フランス式階段工について述べます。
仁王門(楼門)
如意輪堂の右手には西向きの仁王門。そして手前には狛犬ならぬ駒牛。
仁王門は三間一戸の楼門、桁行3間・梁間2間、入母屋、銅板葺。
1726年(享保十一年)再建。市指定文化財。
下層。扁額は「福聚楼」。
柱は上端がわずかに粽になった円柱。
柱上には台輪がわたされ、中備えには蟇股。頭貫と台輪に禅宗様の木鼻がつけられています。
組物は二手先。
右側面(南面)。
壁板は横方向に張られています。
台輪の上の中備えは蓑束となっています。
上層。扁額は判読できず。
組物は和様の尾垂木が出た三手先。持ち出された桁の下には軒支輪。
見えにくいですが中備えは間斗束。
右側面。
こちらの意匠は正面とはあまり差異がないようです。
右側面の入母屋破風。
鬼板は丸に「金峯山」と書かれています。
破風板の拝みには蕪懸魚。入母屋破風の妻壁は妻虹梁が見えますが、その上の束などはよく見えず。
観音堂
境内の奥には観音堂が南向きに鎮座しています。
桁行5間・梁間4間、入母屋、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。
1713年(正徳三年)再建。市指定文化財。
向拝柱は几帳面取り。木鼻は正面が唐獅子、側面が象。
虹梁は唐草が彫られ、中備えはなし。扁額は「厄除 大悲閣」で、額縁に波と竜が彫られています。
向拝柱と虹梁の上には組物を2つ並べて肘木で連結し、軒桁を受けています。
唐破風の中央から下がる兎毛通は、雲間を飛ぶ竜。
唐破風の上の鬼板には雲(あるいは波?)の意匠の装飾がつけられ、中央には梵字があしらわれています。
向拝と母屋を連結するつなぎの梁はありません。
母屋の前方の2間は外陣として壁のない吹き放ちになっています。
母屋柱は円柱で、上端はわずかに絞られて粽になっています。
頭貫には象鼻。柱上には台輪がまわされています。
組物は出組(一手先)。中備えは蟇股と間斗束。
右側面(東面)。
側面(梁間)の柱間は5つあるように見えますが、後方の1間は組物がなく壁板の張りかたも異なるので、おそらく後補でしょう。
右側面の破風。
拝みと桁隠しに蕪懸魚が下がっています。
妻壁は二重虹梁。
その他の伽藍
観音堂の右手には奥殿(宝物庫)。唐破風の庇が印象的。
右奥には名称不明の境内社。春日造で大棟に鬼面が載っています。
観音堂の向かいには鐘楼と太子堂が北向きに鎮座しています。
鐘楼は入母屋、銅板葺。江戸後期の建立。
柱は粽の円柱で、内に転んでいます。頭貫と台輪に禅宗様木鼻。中備えは蟇股。
太子堂は宝形、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。1854年(嘉永七)再建。
向拝柱に唐獅子と象の木鼻、兎毛通に牡丹の彫刻があります。
向拝柱の間隔が狭いせいか、縦に長いプロポーションに見えます。
フランス式階段工(牛伏川本流水路)
最後に、フランス式階段工について。こちらは牛伏寺の境内伽藍ではありませんが、当記事で紹介いたします。
牛伏寺から階段工までは車で5分足らずの距離。
通称はフランス式階段工ですが、正式名称は牛伏川本流水路(うしぶせがわ ほんりゅう すいろ)です。
奇妙な名称でどのようなものなのか想像しづらいですが、手短にいえば近代の河川工事(土木建築)です。
当ブログの趣旨には添わないですが、ついでで寄ったので紹介。
こちらがフランス式階段工の第1号堰堤。国指定重要文化財です。
概要については下記のとおり。
牛伏川本流水路(階段工)は、1918年(大正7年)に完成した砂防施設です。
その概要は、延長141mの流路に19基の床固(段差)、1段の高さ約1m、落差約23mで、コンクリートを使用せず、空石積みなどの日本の伝統的な技術により、つくられているのが特徴です。
この石積技術による建造物は、技術的・歴史的に高い評価を受け、平成24年7月9日に国(文部科学省)の重要文化財に指定されました。
設計は、長野県内務部土木化が行い、内務省の池田圓男(まるお)が指導にあたり、フランスのアルプス渓流砂防の水路を参考としたため、「フランス式階段工」とも呼ばれています。
牛伏川砂防施設保全活用連絡協議会
補足で解説すると、牛伏川はたびたび土砂災害を起こしており、その対策のため造られたとのこと。また、Wikipediaによると砂防施設で国重文になったのは富山県の白岩堰堤に次いで2例目とのこと。
以上、牛伏寺とフランス式階段工でした。
(訪問日2020/10/21)