甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【成田市】新勝寺(成田山) その3 釈迦堂と出世稲荷

今回も千葉県成田市の新勝寺について。

 

その1では総門、仁王門について

その2では大本堂、三重塔、一切経蔵について述べました。

当記事では釈迦堂と出世稲荷について述べます。

 

釈迦堂

大本堂向かって左、境内西側の区画には、釈迦堂が南面しています。

釈迦堂は、当寺の旧本堂として使われていた建物です。現在の大本堂の建設にともない、1964年に現在地へ移築されました。

桁行5間・梁間4間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 向唐破風付、瓦棒銅板葺。

1858年(安政五年)造営。「新勝寺 5棟」として国指定重要文化財。

 

向拝は1間。

堂の規模が大きいため、向拝も広く取られています。

 

向拝の軒唐破風。飾り金具には宝輪の紋があしらわれています。

破風板から下がる兎毛通は、牡丹の彫刻。金網がかかっていて観察しづらいのが惜しいです。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。

正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。虹梁の下面には波の意匠の持ち送り。

 

向拝柱の下端には、銅製の飾り金具。

紗彩菱の紋様と、唐獅子の彫金があります。

 

虹梁中備えは竜の彫刻がありますが、日光が金網に反射してしまい、まともな写真が撮れませんでした。

 

向拝を内部から見た図。

向拝の組物は出三斗が2つ並んだもの。手挟は、植物の意匠の籠彫りされたものが、2つ並んでいます。

海老虹梁は、向拝の虹梁の高さから出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

 

海老虹梁の母屋側には竜の彫刻が乗り、軒桁を受けています。

ここに大瓶束を立てる例は江戸中期あたりの大型仏堂でときどき見かけますが、このような彫刻を置いているのは初めて見ました。

 

屋根正面の千鳥破風。

妻虹梁の下には平三斗と竜の彫刻。上には力神らしき彫刻がありますが、陰になってしまいよく見えず。

 

母屋は正面が5間、側面が4間。柱間は、引き戸と桟唐戸が使われています。

縁側は切目縁が4面にまわされ、4面いずれも階段が設けられています。欄干は擬宝珠付き。

 

母屋柱は円柱。柱間には馬や麒麟を題材にした彫刻があります。

柱の上部に頭貫と台輪が通り、頭貫木鼻は唐獅子の彫刻。

柱上の組物は尾垂木三手先。組物のあいだの中備えにも彫刻があります。

 

正面中央の軒下。

こちらは虹梁がわたされ、中央に間斗束が置かれています。

柱間にも組物が置かれ、禅宗様の詰組になっています。

 

背面は5間。

背面側の柱間には長押が打たれ、窓の位置に彫刻がはめ込まれています。

 

背面中央。

正面と同様に、海老虹梁がわたされ、大瓶束が立てられています。

 

背面の桟唐戸の羽目板の彫刻。

左の縁側に立っている女性が、老婆に乳を飲ませているように見えるので、題材はおそらく二十四孝の「唐夫人」。

 

窓の位置の欄間彫刻には、大勢の人物像が描かれています。案内板(設置者不明)によると題材は「五百羅漢」で、“狩野一信の下絵に基づき、松本良山が十年の歳月を費やして彫刻したもの”とのこと。

 

側面の入母屋破風。

破風板の拝みには、鰭付きの懸魚。

妻飾りは二重虹梁。大虹梁の下には竜の彫刻。大虹梁の上では、力神が片膝をついたポーズで梁を支えています。

 

釈迦堂の周辺

釈迦堂のはす向かいには、手水舎が北面しています。

切妻、正面背面軒唐破風付、銅板葺。

 

柱は几帳面取り角柱。四隅の主柱に各2本の控柱が添えられ、つごう12本の柱が使われています。

 

主柱は内に転びがつけられています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。柱上の組物は出三斗。

控柱は、短い貫で主柱と連結され、内側には拳鼻がついています。柱上は、巻斗で頭貫を受けています。

 

正面中央の唐破風の部分の軒下。

台輪の上の中備えは蟇股。若葉のような意匠が彫られています。

唐破風の小壁では、短い大瓶束が棟木を受けています。

 

側面。

台輪の上の中備えに蟇股が使われている点は、正面と同様。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

釈迦堂の手前の参道両脇には、灯篭の覆い屋があります。参道の右側と左側とで同様の造りをしています。

切妻、銅板葺。

 

柱は几帳面取りで、正面側面ともに唐獅子の木鼻。

 

組物は出組で、柱間にも詰組が置かれています。

妻飾りは大瓶束。

 

破風板の拝み懸魚は、波に亀の彫刻。

 

釈迦堂向かって左には、土蔵のような外観をした聖天堂が南面しています。

宝形、向拝1間 向唐破風、桟瓦葺。

 

向拝は1間。扁額は「歓喜天」。

破風板の兎毛通は猪目懸魚。

 

虹梁は白地に黒色の絵様がつき、両端の下部には波の意匠の持ち送りが添えられています。

中備えの彫刻は竜。

唐破風の妻飾りは、蟇股か笈形付き大瓶束。扁額の影になっていて、どちらなのかわからず。

 

向拝柱は面取り角柱。側面には見返り唐獅子の木鼻。

柱上は出三斗。

向拝と母屋のあいだには海老虹梁がわたされています。

 

側面。

母屋はしっくい塗りの白壁となっています。

軒の出がほとんどなく、仏堂にしてはモダンな趣。

 

出世稲荷

釈迦堂の南側の丘には、出世稲荷という神社が東向きに鎮座しています。

創建は不明。案内板(設置者不明)によると、佐倉藩の初代藩主・稲葉正往(丹後守)が宝永年間(1704-1711)に寄進した神像が本尊とのこと。

入口の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「だ枳尼天尊」*1

 

鳥居のはす向かいには手水舎。

切妻、銅板葺。

 

柱は几帳面角柱で、虹梁と台輪がわたされています。虹梁には木鼻と持ち送りがついています。

組物は出三斗。台輪の上の中備えは平三斗。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝み懸魚は波の意匠。

 

参道を進むと本殿があります。拝殿はありません。

一間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺。

造営年不明。私の推測になりますが、その2で述べた三重塔や鐘楼と似た彩色や彫刻が使われているため、1700年代(18世紀)前半のものかと思います。

 

正面の軒唐破風。

破風板には飾り金具が付き、兎毛通は鳳凰の彫刻。

 

向拝の軒下、虹梁中備えは竜の彫刻。

その上の唐破風の小壁には、松の木の下で琴を弾く女性の彫刻があります。

 

向拝柱(写真左)は几帳面取り。正面と側面に、唐獅子と獏の木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。組物の上の手挟は派手な籠彫りとなっており、題材は梅の木と鳳凰。

向拝柱と母屋のあいだには海老虹梁がわたされ、向拝側は波の持ち送りが添えられています。

 

紫色の垂れ幕には、五円玉の意匠とよく似た抱き稲の紋。側面には鳥居が置かれています。

母屋の周囲4面には切目縁がまわされ、欄干は跳高欄。背面側は脇障子を立てています。

 

縁の下は三手先の腰組で支えられています。

土台の上の柱間には、窓のような格狭間があります。

 

側面の軒下。

組物は木鼻のついた出組。柱間にも詰組があります。組物のあいだには花鳥の彫刻。

 

こちらは右側面後方にある「柏にミミズク」。めずらしい題材です。

 

妻飾りは笈形付き大瓶束。

大瓶束の結綿の部分は、獅噛になっています。

 

背面。

こちらも組物のあいだに花鳥の彫刻があります。

頭貫木鼻は、斜め方向に唐獅子の彫刻が出ています。

 

釈迦堂と出世稲荷については以上。

その4では額堂、光明堂、薬師堂などについて述べます。

*1:「だ」の字は、口へんにモ