今回は長野県松本市の牛伏寺(ごふくじ)について。
牛伏寺は松本市の山間にある真言宗智山派の寺院です。山号は金峯山。
創建は寺伝によれば聖徳太子の時代とのこと。もとは山岳信仰と修験道の道場だったようです。中信地方を代表する大寺院で、伽藍は江戸後期の再建ですが、4件8体の仏像が国重文に指定されています。
また、牛伏寺の近くにあるフランス式階段工は国重文に指定されています。
当記事では山門、如意輪堂、総門などについて述べます。
仁王門、観音堂、フランス式階段工については後編をご参照下さい。
現地情報
所在地 | 〒399-0023長野県松本市内田2573(地図) |
アクセス | 塩尻北ICから車で20分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 信州随一の厄除観音 金峯山 牛伏寺 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
牛堂
駐車スペースに車を置いて参道を進むとまず最初に見えるのが牛堂(うしどう)。
神社だと神馬舎という社殿があって馬の木像が置かれていることがありますが、それとよく似ています。
経を載せて善光寺へ向かっていた牛がこの麓で倒れたことが「牛伏寺」の寺名の由来とのこと。
正面入母屋、背面切妻、向拝1間、銅板葺。神社の春日造と似た構造です。
江戸後期に建立され、1974年に改築。
柱はいずれも角柱。
向拝内部は格天井が張られています。
入母屋破風には虹梁と大瓶束。
山門と鐘楼
参道を進むと冠木門があり、山門へ続く石段が伸びています。
参道や山門は西向き。後述する観音堂などは南向きです。
山門は三間一戸の四脚門、切妻、桟瓦葺。1923年再建。
扁額は「金峯山牛伏寺」。
柱はいずれも角柱。主柱は太い柱が使われていますが、その前後の控柱は異様に細くて頼りない印象。
主柱と控柱は梁でつながれ、梁は先端に繰型が彫られています。梁の上には組物が置かれ、正面(写真右)の組物は非常に長い肘木が使われています。
軒裏は二軒の繁垂木。内部は格天井が張られています。
柱の使いかたは四脚門の系統なのですが、梁の構造はどちらかといえば薬医門に近い造りをしているように見えます。四脚門と薬医門のハイブリッドといったところでしょうか。
鐘楼は桁行2間・梁間2間、入母屋、銅板葺。下層は袴腰。
庫裏(本坊)と如意輪堂
山門から見た庫裏(兼寺務所)。公式サイトには「本坊」と書かれています。
1797年(寛政九年)再建。
大きな切妻屋根で、破風の頂部には雀威し(雀踊りとも)という装飾がつけられています。
このような建築は松本盆地の住宅にしばしば見られ、本棟造と呼ばれています。公式サイトによると“本棟造では最大の規模”だそうです。
庫裏と如意輪堂をつなぐ玄関。左は授与所。
玄関は切妻(妻入)、銅板葺。
虹梁の上には笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠。破風から下がる懸魚も波です。
如意輪堂は寄棟(平入)、茅葺。南向き。1798年(寛政十年)再建。
軒裏は一重のまばら垂木。母屋から腕木を伸ばして小天井を張り、出桁で垂木を受けています。
母屋柱は円柱。柱間は引き戸になっていますが、扁額の下は虹梁が少し低くなっており、建具がありません。
総門
如意輪堂の前には総門が西向きに建っています。
一間一戸の薬医門、切妻、桟瓦葺。左右には袖塀。2007年再建。
虹梁中備えの竜の彫刻は再建前のものを再利用したらしく、正徳年間(1711-1716)の作とのこと。
柱の木鼻は正面が唐獅子、側面が象。
背面。正面とは意匠が大きく異なります。
虹梁中備えはくり抜かれていない蟇股、木鼻は繰型の象鼻。
山門、如意輪堂、総門については以上。