今回は愛知県岡崎市の天恩寺(てんおんじ)について。
天恩寺は市南部の山際に鎮座している臨済宗の寺院です。山号は廣澤山。
創建は寺伝によると室町初期で、足利尊氏と足利義満によって開かれたとのこと。戦国期には長篠の戦いへ赴く徳川家康が当寺に泊まったようで、のちに家康からの寄進を受けています。
境内は石垣が何重にも積まれた城郭のような造りをしており、室町期の仏殿と山門が国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒444-3616愛知県岡崎市片寄町山下33(地図) |
アクセス | 本宿駅から徒歩1.5時間 岡崎東ICから車で10分 |
駐車場 | 50台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
総門
天恩寺の境内は南向き。
総門の向こうに写っているのは「家康公見返りの大杉」。当地で刺客に襲撃された徳川家康が、地蔵菩薩の霊験によって難を逃れたという伝説が残っています。
門については呼称がわかる案内板などがないですが、Google Mapによると「総門」とのこと。
総門は切妻、桟瓦葺。一間一戸の薬医門に近い造り。
柱はいずれも角柱。
柱上に置かれた大斗の上から実肘木と腕木を伸ばし、その先の桁で軒裏を受けています。軒裏は二軒まばら垂木。
後方から側面を見た図。
後方の柱(写真右)には繰型の彫られた木鼻がつけられています。
前後の柱は無地の梁でつながれ、その中央では角柱の束が棟を受けています。梁にも束にも目立った意匠はなく、ややさみしい感がなきにしもあらず。
総門の後方には、多数の石仏が並べられた小屋がありました。
仏殿
参道をまっすぐ進むと、3段にもなる石垣の上に仏殿が鎮座しています。
案内板(額田町文化財保護委員会)によるとこの石垣は江戸初期のもので、“整層樵石積み”(せいそう こりいしづみ)なる技法が使われているとのこと。寺社の石積みでこれほど高くてきれいなものは、とてもめずらしいと思います。
仏殿は桁行3間・梁間3間、入母屋、檜皮葺。
造営年については詳細不明ですが、建築様式から室町初期の造営と考えられています。国指定重要文化財(国重文)。
各所の意匠は禅宗様のもので構成されており、典型的な禅宗様建築となっています。
内部は来迎柱が立てられ、天井は鏡天井。土間に須弥壇と八角形の厨子が置かれていました。厨子は扉が開かれていたのですが、内部の仏像まではのぞき込めず。
正面。
柱間は3つあり、中央は両開きの桟唐戸、左右は火灯窓が設けられています。
正面の向拝や縁側がなく、すべて土間になっているのも禅宗様建築の特徴。
柱は上端がすぼまった粽の円柱。軸部は貫を多用して固定されています。
柱と頭貫の上には台輪がわたされ、その上には出組がびっしりと並べられています。本来の組物は柱の軸上に置くものですが、禅宗様建築なので柱間にも組物が配置されています(詰組)。
頭貫には、繰型の彫られた木鼻がつけられています。その上の台輪にも木鼻がつけられており、禅宗様の木鼻となっています。
軒裏は二軒繁垂木で放射状に伸びています。
後方には閼伽棚らしき構造がついていました。
破風板からは蕪懸魚が3つ下がっています。
入母屋破風の内部には、妻虹梁と大瓶束が見えます。
室町期らしい優美で尖った軒と、檜皮で葺かれた屋根が野山や灌木の緑に映えます。きれいに積まれた石垣の上にあるという点も独特で、この日に訪問した寺社仏閣の中でもとくに印象的で記憶に残りました。
山門
仏殿の右手には山門があります。
山門は一間一戸、薬医門、切妻、こけら葺。
造営年代は室町後期と考えられています。この門単体で国指定重要文化財となっています。
内部。左が正面側、右が正面側です。
柱はいずれも円柱で、前後の柱に梁(男梁)がわたされています。梁の上では大瓶束が棟を受けています。
柱上では笈形が軒裏を受けており、笈形は雲状の意匠が立体的に彫られていて、室町期にしては非常に良い造形。良い意味で、とても室町期のものとは思えません。
天井はなく、軒裏は化粧屋根裏。
手水舎と本堂
順番が前後してしまいましたが、山門のはす向かいには手水舎。桟瓦葺の切妻。
几帳面取りの角柱が貫と虹梁でつながれ、虹梁には大きな木鼻。中備えは平三斗。
内部は格天井、軒裏はまばら垂木。
山門の奥には本堂が鎮座しています。入母屋、桟瓦葺。
本尊は地蔵菩薩。
以上、天恩寺でした。
(訪問日2020/09/12)