今回も岐阜県多治見市の永保寺について。
後編の当記事では開山堂とその他の伽藍について解説していきます。
開山堂
観音堂の前の池を迂回して境内の西の端へ進むと、その奥には開山堂(国宝)が鎮座しています。
正面図だとただの入母屋に見えますが写真は礼堂(外陣)で、その後方には祠堂(内陣)という入母屋の堂が付加されており、礼堂と祠堂は相の間で連結されています。各所の意匠は典型的な禅宗様。
案内板(永保寺の設置)によると1352年(文和元年)の造営。こちらも国宝に指定されています。
礼堂は桁行3間・梁間3間、入母屋、桧皮葺。
祠堂は桁行1間・梁間1間、一重、裳階付、入母屋、桧皮葺。
案内板によると“礼堂 祠堂及びこれをつなぐ相の間が巧みに複合され美しい変化に富んだ一堂を構成している これは後の神社建築(権現造)の原型となった”とのこと。
「権現造」というのは神社建築の一様式で、拝殿と本殿を相の間(石の間ともいう)で連結するのが特徴。著名な例に日光東照宮や北野天満宮があります。なお、権現造は八幡造(石清水八幡宮など)が原型だとする説もあります。
2つの堂が前後に連結されているのが最大の特徴なのですが、開山堂の周囲はほとんどが立入禁止の区画で、肝心の側面や背面がよく見えないのが非常に惜しいです。
正面の軒下。
軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木で、放射状に延びた扇垂木になっています。
組物は三手先で、突き出た尾垂木は先端が尖っています。また、柱間にもびっしりと組物が並べられています(詰組という)。これは禅宗様建築の組物の典型。
柱は粽。頭貫と台輪には禅宗様の木鼻。
写真右下に見切れている両開きの扉は桟唐戸(さんからど)。
本堂、鐘楼など
国宝の観音堂と開山堂が中世のものであるのに対し、本堂などの伽藍は平成期の再建で文化財指定もないようです。
本堂は入母屋、桧皮葺。大寺院のだけあって、屋根葺きは豪華に檜皮が使われています。
本堂と庫裡をつなぐ玄関。
向唐破風(むこう からはふ)の軒下には、獅子の顔のような意匠がついた大瓶束があり、その両脇にはもはや笈形(おいがた)の原型をとどめていない鳳凰の彫刻。その下の中備えの蟇股(かえるまた)には五三の桐が彫られていました。
庫裏は本瓦葺の切妻。庇は檜皮葺。
束と梁を何重にも連続させた妻壁が印象的。
鐘楼は本瓦葺の入母屋。
軒裏が平行垂木だったり詰組が使われていなかったり、禅宗様の要素がほぼないですが、それでも見栄えのする造り。
観音堂の右手(東側)の小島にある境内社。一間社流造、桧皮葺。
造営年は不明。あまり目立つ意匠がなくあっさりした外観ですが、室町あたりのシンプルな作風が踏襲されていて、決して手抜きではない造りです。
観音堂の裏の岩山にある六角堂。霊擁殿(れいようでん)の別名があるようです。母屋も屋根も六角形。様式は六角円銅、茅葺。
案内板によると内部には千体地蔵が安置されているようですが、「入るな」の札があって立入禁止。
こちらは六角堂の近くにある塔頭・保壽院(ほじゅいん)の山門。南向き。山号は永保寺と同じ虎渓山。
山門は一間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。四脚門の上に1間四方の母屋をのせた構造。
赤を基調とした外観は神社っぽいですが、本瓦の屋根は寺院っぽく、どちらともつかない雰囲気。
ほか、永保寺の周辺には何件か塔頭があるようですが、すべて掲載するときりがないうえ、いずれも特筆する点が見つからなかったので割愛。
以上、永保寺でした。
(訪問日2020/07/19)