今回は長野県大桑村の定勝寺(じょうしょうじ)について。
定勝寺は中山道・須原宿に鎮座する臨済宗の寺院です。山号は浄戒山。
創建は室町初期で、木曽氏によって開山されたとのこと。伽藍は洪水によって何度か流失していますが、現在の伽藍は大部分が安土桃山時代に再建されたもので、本堂などの3棟がそれぞれ国指定重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒399-5502長野県木曽郡大桑村須原831-1(地図) |
アクセス | 須原駅から徒歩10分 中津川ICから車で45分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 08:30-17:00(冬季は16:00頃まで) |
入場料 | 無料(内部拝観は300円) |
寺務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 30分程度 |
境内
山門
定勝寺の境内入口と山門は北向き。後述の本堂と庫裡は西向きで、いずれもめずらしい方角を向いています。
山門は一間一戸、切妻、四脚門、檜皮葺。
1661年(万治四年)の造営。この山門単体で国指定重要文化財(国重文)となっています。
右側面(西面)。
中央の本柱は円柱で、上端がすぼまった粽(ちまき)となっています。対してその前後(写真では左右)の控え柱はエッジが大きくC面取りされた角柱。
柱上には組物が置かれ、虹梁(こうりょう)が渡されています。その上では、赤と白に塗り分けられた結綿(ゆいわた)のついた大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。
本柱をつなぐ梁の上には蟇股(かえるまた)。蟇股の内部は獅子の画が浮き彫りになっていて、鮮やかに彩色されています。
蟇股の上は実肘木(さねひじき)を介して桁を受けていて、この桁は大瓶束につながっています。
内部に天井はなく、化粧屋根裏。軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。
庫裏
山門をくぐると、左手に西向きの本堂と庫裡が現れます。まずは庫裏から。
庫裏は、切妻(妻入)、銅板葺。こちらも国重文。
造営年は庫裏内の案内板によると1598年(慶長三年)、文化遺産オンラインによれば1654年(承応三年)。
大棟には木材の肌がむき出しになった鬼板。丸に木瓜の紋が彫られています。
破風板の拝みからは懸魚が下がっており、地味ですが中央や左右の装飾も手が込んでいます。
庫裏の内部は、入口側は土間、後述の渡廊は板張り、ほかはすべて畳敷き。
写真の広間は吹き抜けですが、奥の部屋は踏み天井が張られて2階建てとなっており、武者隠し(警護の者のための控え間)として使われていたとのこと。
入口近くには大黒柱が立っています。また、広間には天井がないため小屋組が見えます。
数百年にわたって使われつづけた庫裏なので、梁や桁などの小屋組はもちろんのこと、柱まで煙で真っ黒にいぶされています。
渡廊
庫裏と本堂は渡廊でつながれており、銅板葺の向唐破風(むこう からはふ)の玄関がついています。
こちらは庫裏の附(つけたり)として国重文に登録されています。
渡廊の内部。写真は本堂側から見た図。
渡廊の床板は、踏むと「きゅっきゅ」と鳴る鶯張り(うぐいすばり)。
本堂
定勝寺の本堂は銅板葺の入母屋。
本堂内の案内板によると、庫裏と同じく1598年(慶長三年)の造営。
本尊は釈迦如来。
大棟の紋は丸に木瓜と笹竜胆。
ご覧のように塀に囲われており、本堂内部を見るには庫裏から渡廊を通って入ります。
本堂正面の軒下。
切目縁(きれめえん)の縁側が張られており、柱間は障子。障子の上には格子状の欄間が張られ、軒裏は一重のまばら垂木。
内部の入口側。左側が前、右側が奥になります。
入口側の空間は、天井板を面一(つらいち)に張った鏡天井になっており、柱と柱のあいだには大きくカーブした海老虹梁(えびこうりょう)がわたされています。
写真中央奥の扁額は「方丈」。
入口側の中央には二つ折れの桟唐戸(さんからど)。
上部の彫刻はやや珍しい題材が選ばれていて、写真の彫刻はタンポポ。反対側はリスとブドウでした。
この本堂が安土桃山期のものなのでこの彫刻も同じ時期のものと思われますが、安土桃山期にしてはかなり良い造形。
中央の間は畳敷きで、3部屋がひとつづきになっています。梁の上の欄間は吹寄せの菱欄間。
本堂内部の案内板によると「桃山建築は一般に華麗とされるが、対して定勝寺はきわめて簡素かつ豪壮であるところが特色」とのこと。
以上、定勝寺でした。
(訪問日2020/07/19)