今回は長野県阿智村の神坂神社(みさか-)と廣拯院(こうじょういん)について。
神坂神社
所在地:〒395-0304長野県下伊那郡阿智村智里3577(地図)
駐車場:30台
神坂神社(みさか-)は阿智村の山間を通る旧東山道・神坂峠の近くに鎮座しています。
創建は不明で、山奥の立地にもかかわらず住吉三神が祀られています。境内については杉の大木などがあるほか、明治期の本殿は多数の彫刻が取り入れられた派手なものとなっています。
境内
神坂神社の境内は東向き。社殿は覆い屋を兼ねた拝殿と、本殿があるだけのシンプルな内容です。
拝殿前の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「神坂神社」。
境内入口にはこのような山中にしては広い駐車場があり、なぜかほぼ満車となっていました。このあたりは山歩きのコース(自然歩道)としてそれなりの人気がある模様。
ひっそりとした神社だと思って来たのですが、立地のわりには意外と人気があってにぎやかな上、境内もきれいに整備されていて雰囲気も良好。
拝殿兼本殿覆い屋は鉄板葺の切妻(妻入)。
写真左に見切れているのはトチノキの大木、右は日本杉(ヤマトスギ)の大木。後者は樹齢千年を超えるとのこと。
覆い屋の中にある本殿は一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。覆い屋がせまく、屋根が見えないためどのような素材で葺いているのかわからず。
案内板*1には“明治二十二年に木曽郡上松出身の坂田亀吉(通称木曽亀)の建造によるものであるが、障壁、虹梁等の透し彫りの精巧さが見事である”とあり、1889年の造営とのこと。坂田亀吉は立川流の宮大工です。
祭神は住吉三神。ほか、ヤマトタケルなどが江戸中期以降に合祀されているとのこと。
正面の軒先を支える向拝柱は几帳面取りの角柱。前面には唐獅子、側面には象の木鼻がついています。
向拝の中備えには竜の彫刻。サイズや造形はもちろんのこと、部材の使いかたも豪快かつ大胆。ふつうの本殿は2本ある向拝柱を梁でつなぎますが、大胆にもそれを省略してしまっています。
向拝柱と母屋をつなぐ海老虹梁(えびこうりょう)は、これまた豪快な造形で竜が彫刻されています。こちら側は降り竜、反対側は昇り龍。ここは非常に立川流らしい作風。海老虹梁の上では籠彫りで牡丹を彫った手挟(たばさみ)が垂木を受けています。
母屋の頭貫にも彫刻が施されており、頭貫の木鼻は雲状の拳鼻。
写真左奥に見える妻壁は、妻虹梁が一手先に持出しされており、その上には大瓶束(たいへいづか)が見えます。
母屋の正面には両開きの桟唐戸(さんからど)。その左右と上にも彫刻。
壁面の腰羽目にも彫刻がありますが、これ以上角度をつけて撮ることができず、題材はよくわかりません。
縁側の脇障子は「松に鶴」。反対側は不明。
非常に見ごたえがあってにぎやかな本殿なので、できれば背面までじっくり鑑賞したかったところ。ほぼ正面からしか見えないのがやや惜しいです。
以上、神坂神社でした。
廣拯院(信濃比叡)
所在地:〒395-0304長野県下伊那郡阿智村智里3592-4(地図)
駐車場:20台
廣拯院(こうじょういん)は神坂神社と同様に神坂峠の山道の沿線に鎮座しています。宗派はおそらく天台宗、山号は不明。
創建は平安期とされ、最澄(伝教大師)が東山道・神坂峠を越えたとき道の険しさに難渋したため、旅人のために布施屋を作ったことが由来のようです。伽藍は平成期に整備されたもので、本山である延暦寺(滋賀県大津市)からの許可を得て信濃比叡(しなのひえい)を名乗っています。
境内
こちらが信濃比叡の中心地である月見堂(薬師堂)。銅板葺の入母屋、向拝1間。扁額は院号「廣拯院」。
案内板((阿智村教育委員会)による設置)によると“月見堂は通称で、本来は薬師堂であり薬師如来をまつってあります”、“眺望がよく、かつて文人等がここで中秋の名月を賞した記録が残っています”とのこと。
向拝柱の木鼻や海老虹梁がありますが、ほかは特に寺社建築の意匠は見られず。
後述の本堂などとは少し距離を置いた場所にあるからなのか、手入れも少々なおざりな感が否めません。
寺務所と思われる建物とそば屋の前を通って廣拯院の境内に入りなおすと、最澄の像。
像の脇を通り過ぎると大規模な唐門があります。本瓦葺、一間一戸の唐門(妻入)。
柱は円柱、木鼻は禅宗様のもの、虹梁の上には大瓶束。
寺号標は「信濃比叡廣拯院」、扁額は「一隅を照らす」。
上から本堂、名称不明の堂、鐘楼。
以上、廣拯院(信濃比叡)でした。
(訪問日2020/06/27)
*1:阿智村教育委員会による設置