今回は岐阜県恵那市の武並神社(たけなみ-)について。
武並神社は国道19号沿線の住宅地に鎮座しています。
創建は伝承によると1220年(承久二年)。当地を領する新田四郎左衛門義晴とその息子の新田淡路守義綱が、鎌倉幕府の将軍3代(源頼朝・頼家・実朝)の像を当地に祀ったのがはじまりとされます。その後、従一位の社格と「武並大権現」の神号が認められ、当地一帯の総鎮守となりました。室町後期は戦災で荒廃しましたが、1564年(永禄七年)、遠山景任の命で社殿が再建されています。江戸時代にも大規模な造営があり、1672年(寛文十二年)に当地の庄屋によって改修が行われ、現在の社殿が造られました。明治時代には神仏判然令を受けて社宝の一部が近隣の寺院に譲渡されています。
現在の境内は江戸中期に整備されたものです。本殿は室町後期に造られたもので、国の重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒509-7201岐阜県恵那市大井町1101(地図) |
アクセス | 恵那駅または東野駅から徒歩15分 恵那ICから車で10分 |
駐車場 | 40台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道と拝殿
武並神社の境内は南西向き。境内東側には国道19号が通っています。
入口には石造明神鳥居が立っています。扁額は「武並神社」。
参道左手には手水舎。切妻、銅板葺。
柱と梁には石材が使われています。
柱の桁行方向(上の写真の左右方向)をつなぐ桁や梁はありません。
拝殿と幣殿
境内は3段に区画分けされており、参道を進むと中段の区画に拝殿があります。
桁行3間・梁間2間、入母屋(妻入)、檜皮葺。
正面の入母屋破風。
破風板の拝みには蕪懸魚が下がり、破風には粗い木連格子が張られています。
鬼板には笹竜胆の紋が見えます。
右側面(東面)。
柱は角柱で、柱上に組物などの意匠はありません。
柱間はガラス戸が入っています。
拝殿の後方には幣殿と思われる建物(写真中央の低い棟)が伸び、本殿前方の中門(写真右の高い棟)につながっています。
中門は、一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。
左右につながっている袖塀は、切妻、檜皮葺。
案内板によると、伊勢神宮の本殿の古材が再利用されているとのこと。
中門の妻面。
破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。
妻虹梁の上には豕扠首が使われています。
手前の控柱(写真左)には、唐獅子と獏の木鼻がついています。
本殿
境内の最奥部、上段の区画には、玉垣に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は大国主、誉田別命、スクナビコナ。
桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝3間、檜皮葺。
1564年(永禄七年)再建。棟梁は栗田源左衛門。国指定重要文化財*1。
向拝は3間あります。
柱上の組物は、出三斗と連三斗が使われています。
隅の向拝柱は、側面に木鼻がついています。
向拝柱と母屋柱のあいだには、繋ぎ虹梁がわたされています。母屋側は頭貫より少し高い位置に取り付いていて、柱から出た斗栱で持ち送りしています。
反対側、左側面(西面)の向拝柱。
向拝柱は面取り角柱。柱間に虹梁がわたされ、中備えに透かし蟇股が使われています。蟇股には花鳥を題材にした彫刻が入っていますが、遠くて詳細までは観察できず。
母屋は正面3間・側面2間。
正面には3組の板戸が設けられています。側面は横板壁。
母屋の正面と両側面には縁側がまわされ、母屋正面の階段の下には浜床が張られています。
母屋の右側面。
柱は円柱が使われ、軸部は長押と貫で固定されています。頭貫に木鼻はなく、和様の造りです。
頭貫の上の中備えは撥束。こちらも和様の意匠。
柱上の組物は木鼻のついた出組。
破風板の拝みには、猪目懸魚が下がっています。
妻飾りは、虹梁の上に大瓶束が使われています。これは禅宗様や大仏様の意匠です。
境内社
境内の各所には、境内社が点在しています。こちらは境内上段の、本殿向かって右側に並ぶ神明神社。
一間社流造、銅板葺。見世棚造。
神明神社の右側にも、2棟の社殿があります。
写真左は「秋葉神社 洲原神社 市杵島神社」。右は七宮神社。
本殿向かって左側には多度神社。
一間社流造、銅板葺。見世棚造。
拝殿の手前の、境内下段の区画には五郷稲荷神社があります。
一間社流造、銅板葺。
向拝柱に円柱が使われ、軒桁を直接受けるという風変わりな造りをしています。ふつう、向拝柱は角柱を使い、組物や肘木を介して軒桁を受けます。
母屋正面の扉も、少し奥まった位置に設けられています。山梨県の甲府盆地周辺でときどき見かける造りですが、風変わりだと思います。
以上、武並神社でした。
(訪問日2020/06/27,2024/03/30)
*1:附:銘札2枚、棟札1枚