甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【松本市】今井神社(績麻神社・兼平神社)

今回は長野県松本市の今井神社(いまい-)について。

 

今井神社は市南西の上今井地区の集落に鎮座しています。

創建は不明。今井神社は別名を兼平神社(かねひら-)といい、応永年間(1394-1428)に当地の住人が今井兼平*1を祀ったのがはじまりとされます。その後、江戸時代から明治時代にかけて、周辺の神社を合祀して今に至ります。

績麻神社(つうそ-、續麻神社)は今井神社境内の200メートルほど北に鎮座していた神社です。創建や沿革については、1784(天明四年)に火災で社記を消失したため不明。1947年に本殿と神楽殿を現在地へ遷座し、今井神社の一部となっています。

現在の境内は戦後に整備されたもので、伝承によると今井兼平の館の跡地といわれます。社殿は今井神社・績麻神社ともに江戸後期のもので、計4棟で国の登録有形文化財となっています。

 

現地情報

所在地 〒390-1131長野県松本市今井上新田1077(地図)
アクセス 広丘駅から徒歩1時間
塩尻北ICから車で15分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

神楽殿と拝殿

今井神社の境内は南東向き。入口は集落の生活道路に面しており、伝承によるとこの道は、西洗馬薬師堂(朝日村の光輪寺のこと)へつづく道だったとのこと*2

入口の鳥居は木造の両部鳥居。扁額は「今井神社 績麻神社」。

績麻は「つうそ」と読むようです。長野県民ならば「おみ(麻績)」と読みたくなると思います。

 

奥に見える神楽殿は切妻、桟瓦葺。1853年(嘉永六年)造営。国登録有形文化財。

訪問時は鳥居周辺の改修工事の最中でした。

 

境内は鳥居、神楽殿、拝殿が一直線に並んでいます。

拝殿は、入母屋、向拝1間 向唐破風、銅板葺。

 

向拝は、母屋から唐破風が突き出て庇としています。

向拝の軒裏は、まばらな茨垂木。

破風板の兎毛通には猪目懸魚。

 

向拝柱は角柱。大きめに面取りされています。

正面と側面には象鼻。大仏様木鼻とも禅宗様木鼻ともつかない中間的な造形。

柱上の組物は出三斗。実肘木は使われていません。

 

向拝柱のあいだには貫がわたされ、中備えは透かし蟇股。やや古風な造形。

妻虹梁の上にも蟇股。こちらはさらに古風な人の字型のもの。

 

績麻神社本殿

拝殿の後方には2棟の本殿が鎮座しています。

向かって右が績麻神社本殿。祭神は天棚機姫命(栲幡千千姫命)。

一間社流造、銅板葺。

1859年(安政六年)造営*3。前述の神楽殿と同様に、「續麻・今井(兼平)神社」として国登録有形文化財です*4

 

一間社のため、向拝は1間。

中備えは竜の彫刻。

軒裏は二軒繁垂木で、飛檐垂木(軒先に近いほうの垂木)だけ木口が銅板でカバーされています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面には唐獅子、側面には象の木鼻。

柱上の組物は出三斗と連三斗を組み合わせたもの。

海老虹梁は向拝の虹梁の高さから出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

 

母屋の前面には引き戸。戸板は波状の透かし彫りで、あまり見かけない独特な意匠。

 

母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定。

縁側は3面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。背面をふさぐ脇障子の彫刻は、竹林の七賢。

 

柱の上部には頭貫と台輪が通っています。頭貫には拳鼻。

組物は出組。妻虹梁の下の支輪板には、波の彫刻。

妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形は渦巻く雲の意匠。

破風板の拝みには、雲状の鰭のついた蕪懸魚。

 

背面。

羽目板や中備えなどの意匠はありません。

 

今井神社本殿(兼平神社本殿)

向かって左は今井神社本殿(兼平神社本殿)。祭神は今井兼平と誉田別命。

一間社流造、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

1833年(天保四年)造営*5。前述の績麻神社本殿と同様、国登録有形文化財

 

向拝は1間。

こちらは正面に軒唐破風が付き、屋根の上には千鳥破風があり、績麻神社よりも凝った造り。

虹梁中備えは竜の彫刻。唐破風の兎毛通には菊の彫刻。

軒裏は二軒繁垂木で、飛檐垂木だけ銅板でカバーされているのも績麻神社と同様。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面には唐獅子、側面には象の木鼻。

組物は、出三斗と連三斗を組み合わせたものを2つ並べて連結しています。

 

海老虹梁には、波に亀の彫刻。母屋側は、頭貫の位置に取り付いています。

向拝柱の組物の上の手挟は、菊の葉の意匠の籠彫り。

 

母屋の正面には、縦格子の扉。これもあまり見かけない意匠。

扉の両脇の羽目板には、雲の彫刻。

 

向拝の下の階段は5段。

階段の下には浜床。

 

母屋柱は円柱。柱間は横板壁。

縁側は3面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。背面をふさぐ脇障子の羽目板には竹と老人の彫刻。

 

縁の下は、縁束と腰組。腰組には木鼻がついています。

組物のあいだの羽目板には渦に紅葉の彫刻。ここに彫刻を入れるのはめずらしいと思います。

 

破風板の拝みには雲状の懸魚。

 

妻飾りは二重虹梁となっています。

大虹梁の上には鶴の彫刻。その上には、大きな唐獅子の彫刻が配されています。派手な彫刻を多用した、江戸後期らしい作風です。

 

妻虹梁の下の部分。

軸部は長押と頭貫で固定。頭貫木鼻は波の意匠。

組物は二手先で、一手先だった績麻神社よりも明らかに格上の造り。

中備えや支輪板には、波の彫刻。

 

神明社

2棟の本殿の左には神明社。切妻、鉄板葺。

1780年(安永九年)の造営と考えられます。国登録有形文化財

祭神はとくにいないようです。社名から推察するに当初はアマテラスが祀られていたと思われますが、かつては浅間社(コノハナノサクヤビメ)や疱瘡社も祀られていたとのこと。

神明社のとなりには「兼平塚」なる石。こちらは詳細不明。

 

以上、今井神社でした。

(訪問日2022/12/07)

*1:源義仲(木曽義仲)の筆頭家臣として仕えた武将。粟津の戦いで主君とともに討死した。『平家物語』の「木曽の最期」の段で語られる今井兼平は、忠臣の鑑として名高い。

*2:境内入口の案内板(設置者不明)より

*3:棟札より

*4:2022年10月31日登録

*5:棟札より