甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲府市】旧睦沢学校校舎(甲府市藤村記念館)

今回は山梨県甲府市の旧睦沢学校校舎(きゅう むつざわがっこう こうしゃ)について。

 

旧睦沢学校校舎は甲府駅の北口広場に甲府市藤村記念館(こうふし ふじむらきねんかん)として保存・公開されています。

もとは睦沢村にて校舎として使われていた建物であり、2度の移転を経て現在地の甲府駅に移築されています。

竣工は明治期で、日本人の大工が洋風建築をまねて造った擬洋風建築(ぎようふうけんちく)というジャンルの建造物。旧睦沢学校校舎は擬洋風建築の中でも山梨県に特有の藤村式(ふじむらしき)と呼ばれる様式の建築で、その代表例として国指定重要文化財となっています。

 

現地情報

所在地 〒400-0024山梨県甲府市北口2-2-1(地図)
アクセス 甲府駅から徒歩1分
甲府昭和ICから車で15分
駐車場 なし
営業時間 09:00-17:00(※月曜日定休、外観は随時見学可能)
入場料 無料
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

藤村式建築とは

藤村式建築(ふじむらしき-)とは、擬洋風建築の様式の1つです。

明治初期の山梨県令(現在の県知事と同等の役職)であった藤村紫朗(ふじむら しろう、1845-1909、熊本県出身)は、政策の一環として小学校や官公庁の建設に擬洋風建築の採用を推奨しました。その結果、藤村紫朗が県令・県知事をつとめた約14年間で似た様式の擬洋風建築が県内に100棟以上も造られ、各村に1件はあるほどに普及したようです。

藤村紫朗が愛媛県知事に転任したことで藤村式建築の建設は終わりをむかえたものの、昭和期にはこの建築様式は「藤村式」という名前で呼ばれるようになっています。

最盛期には県内に100件以上を数えた藤村式建築ですが、現存しているのはごく一部で、重要文化財となっているのは2件(うち1件は県外へ移築)、県指定文化財は4件だけです。

 

藤村式建築の特徴としては、正方形に近い平面とプロポーション、正面側に2層のベランダ、神戸居留地に影響を受けたコロニアル風の意匠、といった特徴があります。

とくに学校建築では建物の中央に塔屋が設けられることが多かったため、その外観から各地域で「インク壺」と呼ばれて親しまれていたようです。

 

旧睦沢学校校舎

旧睦沢学校校舎

旧睦沢学校校舎の正面全体図。校舎は南向きで、広場をはさんで甲府駅北口とはす向かいの位置関係となっています。

甲府の中心市街地ではありますが、駅より北側は山梨大学や武田神社があるくらいで高いビルは多くなく、校舎の屋根が五月晴れの空に映えます。

 

旧睦沢学校校舎

木造2階建、屋根は宝形(ほうぎょう)、桟瓦葺。屋上に塔屋(太鼓楼)が設けられています。正面・側面ともに13.6mで、正方形の平面。

着工は1875年(明治8年)3月、竣工は同年12月。設計および施工は下山大工の松木輝殷(まつき てるしげ)。

1967年に国指定重要文化財(国重文)に指定登録されています。なお、国重文の藤村式建築は全2件あり、その1件である旧東山梨郡役所は博物館明治村(愛知県犬山市)に移築されています。

 

睦沢学校の校舎として巨摩郡睦沢村(現 甲斐市亀沢)の船形神社の社地に造られ、校舎としての役目を終えたあとは公民館として使用されていたものの、老朽化のため解体が検討されました。

解体処分の危機に瀕しましたが、藤村様式旧睦沢学校校舎保存委員会によって1966年に武田神社境内(武田氏館跡西曲輪)に移築され甲府市へ寄贈となり、市の再開発事業の一環として1990年に現在地へ再移築されています。

 

右側面ベランダ

正面のポーチとベランダを右側面(東面)から見た図。

Wikipediaによると正面に2層のベランダを設けるのが藤村式の大きな特徴の1つとのこと。

 

1階・2階ともにベランダの軒先を支える柱は円柱が使われており、上端・下端には礎盤の意匠。柱間は吹き放ちですが2階では柱間の上部に板幕が、下部に欄干がつけられています。

ベランダの中央部は1間ぶん突き出ていて、車寄せとなっています。なんとなく寺社建築の向拝を連想する構造。

 

校舎1階部分

1階部分。

窓と扉は両開きの板戸の下にガラス製の引き戸がつけられています。このガラス戸は後補ではなく、当初から二重扉だったとのこと。

窓と扉は上に黒いアーチがついた枠で囲われており、ここは洋風建築らしい意匠。

 

校舎2階部分

2階部分。

柱間の上部には、独特な曲線を描く板幕がつけられています。寺社建築の持ち送りや懸魚などの意匠を想起させる曲線だと思います。

天井は菱組の透かし打ちと呼ばれる技法が使われていて、ここも洋風の意匠。

 

校舎正面屋根

屋根は直線的な形状。

母屋の正面中央には車寄せがついているため、それにあわせて屋根も中央部が突き出ています。棟には正面に向けて鬼瓦が置かれています。

屋根面は大小の三角形が前後に連続した構図になっており、この車寄せの屋根のおかげで単調さが適度に緩和されているように感じられます。

 

屋根の上に設けられた塔屋は太鼓楼と呼ばれるもの。これも藤村式の特徴の1つ。

屋根はピラミッド状の宝形。上には宝珠のような先端の尖った装飾がのせられています。

太鼓楼の窓の下には裳階(もこし)のような小さな庇がついており、これもまた単調さを緩和させるのに一役買っています。

 

校舎側面

左側面(西面)。

壁面はしっくいで塗り固められており、柱や梁は外部から観察できません。

屋根は軒の出がかなり小さく、軒裏は壁面と同様にしっくい塗りで、垂木は見えず。

 

校舎右後方

右後方(北東)から見た図。

母屋の角部には黒い直方体の石が互いちがいに積まれています(隅石)。石造や煉瓦造りの建造物では隅石が補強のために使われますが、この校舎は木造なのでおそらくただの装飾でしょう。また、この隅石は擬石であって本物の石ではないとのこと。

 

外観については以上。

室内を見学することも可能で、藤村紫朗に関する歴史資料や山梨県内の藤村式建築に関するパネルが展示されています。内部も撮影可ですが、あいにく私には資料の価値が解らなかったのと、さすがに太鼓楼の内部や小屋組までは見られなかったので写真は割愛。

内部は正面側に小さい部屋が2室、奥側に大部屋が1室となっており、1階・2階ともに同様の構造。内装は良くも悪くも小ぎれいで、明治期の趣を感じるのはやや難しいかと思います。

 

以上、旧睦沢学校校舎(甲府市藤村記念館)でした。

(訪問日2020/06/20)