今回は山形県鶴岡市の致道博物館(ちどうはくぶつかん)について。
致道博物館は鶴岡市の中心市街にあります。
名前は庄内藩の藩校「致道館」に由来し、致道館や近隣の地方の民俗資料が展示されているほか、山形県を代表する擬洋風建築が敷地内に移設・展示されており、3件の建造物が国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒997-0036山形県鶴岡市家中新町10-18(地図) |
アクセス | 鶴岡駅から徒歩30分 鶴岡ICから車で10分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 09:00-17:00(12月~2月は16:30まで、入場は閉館30分前まで) 年末年始および12月~2月は水曜定休 |
入場料 | 800円 |
公式サイト | 致道博物館 Official site |
所要時間 | 1.5時間程度 |
場内
旧西田川郡役所
受付から敷地に入るとまず右手にあるのが旧西田川郡役所(きゅう にしたがわぐん やくしょ)。
木造2階建。1階は入母屋(平入)、2階は宝形。桟瓦葺。
1881年(明治14年)竣工。棟梁は高橋兼吉と石井竹次郎。後述の旧鶴岡警察署庁舎とともに、建設には山形県令・三島通庸(みしま みちつね)がかかわっています。
1972年移築。国指定重要文化財。
ジャンルとしては擬洋風建築(ぎようふうけんちく)という分類に属します。擬洋風建築は洋風建築とは似て非なるもので、寺社建築の棟梁が洋風建築をまねて造った日本特有の建築です。
日本に擬洋風建築が出現するのは明治維新の前後で、明治後半になって本格的な洋風建築が日本人の手によって造られるようになってくると、しだいに姿を消していきます。擬洋風建築が造られたのは明治前半のせいぜい20年程度の短期間でした。
この旧西田川郡役所は明治14年に完成したものなので、末期の擬洋風建築といえるでしょう。
正面には建物の中央から突き出た車寄せ(ポーチ)があります。
車寄せの庇を支える柱は、上に行くほど細くなる円柱(エンタシス)。見切れてしまっていますが下部の柱脚台はルネサンス風の意匠とのこと。
壁面はペンキで白く塗られた板壁で、壁板の下端を重ねて張る下見板(したみいた)という技法が使われています。これは後期・末期の擬洋風建築で多用された技法。
軒の出は短いですが、よくみるとわずかに垂木が突き出ているのが見えます。ガラス窓は2つのサッシをロープでつないで上げ下げするタイプ。この垂木と窓もルネサンス様式に則っているようです。
2階部分。上部には塔屋と時計塔が載っています。
2階、塔屋、時計塔のバランスが独特で、上に行くほど小さくなってゆく様子は五重塔や天守閣のよう。
内部は資料館になっており、縄文時代から幕末明治にいたるまでの庄内地方の歴史的な遺物・資料が展示されていて、大半はこの建物とあまり関連のない内容です。後述の旧鶴岡警察署庁舎もそうでしたが、エアコンのない部屋がほとんどだったため、暑くてゆっくり見ている余裕がありませんでした...
2階まであがることができ、2階内部は吊階段がありますが、塔屋までは昇れません。
旧鶴岡警察署庁舎
受付の左手には旧鶴岡警察署庁舎(きゅう つるおかけいさつしょ ちょうしゃ)があります。
木造2階建。1階は入母屋、正面に入母屋の車寄せ。2階は宝形、正面に入母屋のバルコニー。桟瓦葺。
1887年(明治17年)竣工。設計および棟梁は高橋兼吉。こちらも三島通庸の令によって建設されたものですが、三島が山形県令を辞任したのちに着工したものです。
1957年移築。国指定重要文化財。
正面には車寄せ。こちらの車寄せは角柱でベランダを支えており、上下の装飾も簡素。
柱と柱のあいだには波のような形状の板で装飾されていますが、寺社建築の懸魚を思わせる形状をしています。
車寄せ内部は格天井になっており、ここは明らかに日本の既存の建築の意匠です。
前述の旧西田川郡役所と同様、壁面は下見板、軒の出は短くわずかに垂木が突き出し、ガラス窓は上げ下げ式。窓の上には三角形の装飾のついた庇(ペディメント)。
車寄せの屋根(写真左下)は入母屋で、正面に破風が見えます。
棟には鬼板が乗り、破風板から下がる懸魚の中央には菊の紋。ここは純粋な洋風建築ではありえない意匠です。
2階のバルコニーは、1階の車寄せとほぼ同じ意匠。
側面の入母屋破風。
破風板の拝みには懸魚が下がっていますが、鶴が彫られています。
内部は解説パネルなどが展示されており、2階に昇ってバルコニーに出ることができます。
原則として室内は撮影禁止ですが、この取調室だけは例外で撮影可です。
奥の椅子に警官が座り、取り調べを受ける人は手前のむしろに座ったとのこと。
取調室というとかつ丼の出前が届きそうですが、この取調室はどちらかというと奉行所のお白洲に近いです。
旧渋谷家住宅
敷地の奥には独特のシルエットをした茅葺の古民家、旧渋谷家住宅(きゅう しぶやけ じゅうたく)があります。
木造3階建。茅葺。兜造(かぶとづくり)。
兜造とは、屋根の中央を高くした形状の屋根のこと。民家(住宅建築)の一形式。妻側から見た形状が兜のようなのでこの名称があります。
1822年(文政5年)の造営。1965年移築。国指定重要文化財。
もとは鶴岡市田麦俣にあった民家で、江戸期は出羽三山の参拝者の案内や荷物運びをしていましたが、明治期に養蚕業に転じたためそれにあわせて各所を改造したようです。
寺社建築で言うところの千鳥破風のような窓が設けられており、これは「高ハッポウ」と呼ぶようです(案内板より)。養蚕のための通風・明かり取りを目的に付け加えられたものとのこと。
建物内部では、唐箕や千歯こきなど定番の農具の展示を見学できます。
ほか、致道博物館の敷地内には多数の資料館がありますが、各種資料は撮影禁止のうえ量があまりにも多くてきりがないため割愛。郷土資料館としても圧倒的なボリュームと見ごたえがあります。
個人的に記憶に残った展示物をひとつ挙げるなら、庄内藩の歴代藩主や藩士たちの愛用した釣竿でしょうか。当地ではなぜか磯釣りが武士のたしなみになっていて、藩士は磯釣りに並々ならぬ情熱を傾けたらしく、良質な釣竿は刀と同じくらい大切にされていたとのこと。
以上、致道博物館でした。
(訪問日2020/08/12)