今回は長野県松本市の田村堂(たむらどう)と波多神社(はた-)について。
田村堂と波多神社は、松本市波田の山際に鎮座しています。松本市街から上高地へ向かう途中の道沿いに「重要文化財 田村堂」と書かれた案内板があるので、見逃すことはまずないでしょう。
田村堂そのものは、仏堂としてごく小規模なものですが、周囲には多数の建築物や文化財があり、充実した境内になっています。
現地情報
所在地 | 〒390-1401長野県松本市波田4570(地図) |
アクセス |
上高地線 渕東駅から徒歩5分 松本ICから車で20分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
田村堂
仁王門
境内でまず目につくのがこの赤い仁王門。
銅板葺の入母屋(平入)で、正面3間・側面2間、柱はいずれも角柱でした。
門に収められている木造の仁王(金剛力士)像は1322年の作とのことで、長野県宝に指定されています。
もとは西光寺という寺院にあったもののようです。
阿弥陀堂
仁王門をくぐって真っすぐ進んだ先には阿弥陀堂があります。
内部には木造阿弥陀如来坐像が収められています。左に写り込んでいるのは、信州名物(?)のぴんころ地蔵。
田村堂
短い参道を脇道へ折れると、田村堂が鎮座しています。写真は、田村堂の覆い屋です。
もともと田村堂は、若澤寺(にゃくたくじ)という山奥の寺院の境内にあったのですが、廃仏毀釈によって廃寺となったため現在地へ移されたとのこと。若澤寺は「信濃日光」と呼ばれるほどの大寺院だったようで、伽藍が跡形もなく取り壊されているのは惜しいとしか言いようがありません。
覆いのガラス戸から中を覗き込むと、田村堂を拝めます。横幅はせいぜい1メートルといった程度で、仏堂というよりは厨子(ずし)に近いでしょう。造営は室町末期とのこと。
うまく写真に写せなかったのですが、屋根はこけら葺の入母屋(妻入)。正面1間・側面1間。
正面の梁の上には、二手先の出三斗(でみつど)というタイプの組物が4組も並んでいます。組物の間には間斗束(けんとづか)まであり、梁の上は隙がなくてにぎやかな印象。
なお、組物は柱の真上に配置するのがふつうですが、田村堂の組物は梁の柱間にも配置されています。これは詰組(つめぐみ)といい、禅宗様(唐様)建築の意匠です。また、二重になった垂木を見ると、棒材が放射状に配置されていますが、これは扇垂木(おうぎだるき)といい、これもまた禅宗様の意匠です。
案内板(松本市教育委員会)によると正面の扉は桟唐戸(さんからど)で、格子の紋様は“輪違紋”(わちがいもん)、“花狭間”(はなざま)と言うようです。
内部には坂上田村麻呂の像が収められているとのこと。この田村堂が元あった若澤寺は田村麻呂の東征の折に再興されたと伝えられています。ちなみに、ここからさほど遠くない場所にある清水寺(山形村)にも同じような寺伝があります。
波多神社
拝殿
田村堂の鎮座する境内と隣接する場所に、うっそうと茂った社叢があります。
このあたりは旧波田町といい、社名と地名が同音異字です。地名も元は波多と表記したのですが、戦前に水道の敷設をめぐって騒動になったことを忌んで「波田」と改めました(wikipediaを参照)。なので、波多という表記のほうが歴史的には正しいみたいです。
拝殿は桟瓦葺の切妻(平入)で、向唐破風の向拝1間。
向拝には鳳凰、龍、獅子の彫刻が配置されています。立川流っぽい配置です。造形はやや立体感に乏しいかも。
本殿
拝殿の後方には本殿がありますが、正面側が鉄板(トタン)で塞がれてしまっています。
屋根は銅板葺の流造。母屋は正面が不明、側面1間・背面3間。柱はいずれも角柱。神社本殿の母屋は円柱を使うのが基本なのですが、角柱が使われています。
ほか、写真左のほうの脇障子がないことと、全体的に木材に節が目立つのが気になります。
案内板(設置者不明)によると“(西暦一五〇三年)に現神殿が建築され、その後改修されてきたものと推測される”とのこと。真偽のほどは不明ですが、この本殿は全体的に質素な造形をしているので、室町時代から同じ形を留めている可能性も無くはないと思います。
境内については以上。
上高地と松本の市街、2つの超メジャー観光地をつなぐ道沿いにあるものの、重要文化財と書かれた案内板には目もくれず通り過ぎてゆく人がほとんど... といった雰囲気のスポットです。
この近辺に若澤寺という大寺院があったことを知っている人は県内でも少ないですが、田村堂は廃仏毀釈の爪痕を現代に伝える貴重な遺産ですので、長野県民ならば一見の価値はあるかと思います。
以上、田村堂と波多神社でした。
(訪問日2019/08/31)