今回は岐阜県高山市の飛騨国分寺について。
飛騨国分寺は高山の市街地の中心部に鎮座しており、境内はさほど大きくないものの、飛騨地方で唯一の三重塔や重要文化財の本堂などなど、見どころの多い内容となっています。
文化的・歴史的な価値は本堂のほうが上位ではありますが、町のランドマークである三重塔もおもしろい造りになっていたので、今回はこの2点に比重を置いて語って行こうと思います。
現地情報
所在地 | 〒506-0007岐阜県高山市総和町1-83(地図) |
アクセス | 高山駅から徒歩5分 高山ICから車で15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
表門
境内は裏口からも入れますが、正面側には表門があります。
2本の柱で屋根を支える、シンプルな門です。とはいえ内部を見てみると、柱の上や梁の中央に蟇股(かえるまたが)載っていて、ちょっと手の込んだ造りをしています。天井板がなく、垂木を一切包み隠すことなく見せている点も格好いいと思います。
鐘楼門と大イチョウ
表門を過ぎると、鐘つき堂(鐘楼)を兼ねた楼門、つまり鐘楼門があります。
1階部分は大きく面取りされた角柱が6本、2階部分は円柱が6本となっています。
2階部分には組物がありますがシンプルなものしか使っていません。1階・2階ともに屋根の垂木はやや疎(まばら)で、柱間はすべてが吹き放ちになっているからか、開放感あふれる外観になっています。
鐘楼門の裏には、国分寺の大イチョウ(銀杏)が立っています。
建設業者っぽい車が境内に出入りしていたので、まさか工事中かと焦ったのですが、造園業者が木の手入れをしているだけで、観光に支障はなかったので一安心。
木の洞(うろ)には地蔵が収められており、ご覧のとおりイチョウにしては異様なほどに幹が太く、立派です。
本堂
つづいて本堂。飛騨国分寺の伽藍は、表門・鐘楼門・本堂がほぼ一直線に並んでいます。
本堂は銅板葺の入母屋(平入)で、正面5間・側面4間、向拝1間。国重文です。
案内板(高山市教育委員会)によると、技法的に室町中期のものと考えられ、向拝の部分は安土桃山時代の金森氏による修理で現在の状態になったとのこと。内部には観音像と小烏丸太刀(こがらすまる たち)が収められており、両者とも重文。小烏丸は、切っ先の峰にも刃がついている刀です。
向拝の軒下。全体的に赤を基調とした彩色が特徴的。
虹梁の両端には麒麟と思われる彫刻。写真では見づらいですが、向拝の垂木を受ける手挟み(たばさみ)にも彫刻があります。この部分は安土桃山時代の工事とのことなので、彫刻はいちおうあるのですが控えめな配置になっています。
右側面。
一方で、向拝以外の部分は室町中期の造営なので、立体的な彫刻はほぼありません。
入母屋屋根の妻の部分に雲状の装飾が見られるだけで、軒下にいたっては平三斗(ひらみつど)というシンプルな組物と間斗束(けんとづか)くらいしか見当たらず、あっさりとした外観になっています。
三重塔
この境内の目玉ともいえるのが、三重塔。
屋根は銅板葺、母屋は正面3間・側面3間。柱はいずれも丸柱。高さは、相輪(屋根の上の金具のこと)も含めて22メートル。1821年の造営。
三重塔としてはそこそこの規模があり、上の写真は塔をてっぺんまで収めるために境内の外に出て路上から撮影しています。写真左に写っているのは前述の大イチョウ。
平行に配置された二重の垂木と、白色と茶色に塗り分けられた組物が非常に印象的。
2層目および3層目は、縁側の下にも平三斗(ひらみつど)というタイプの組物と間斗束(けんとづか)が使われています。また、縁側は壁面と直行に板を張った切目縁(きれめえん)になっています。
1層目を正面から見た図。
三手先(みてさき)の組物で大胆に梁を持ち出しているところが、やはり目立ちます。ですが壁面の上のほうをよく見てみると、組物と組物の間がおびただしい数の斗(ます)で埋め尽くされていて、非常に密度ある造形になっています。
長押(なげし:上の写真では六角形の釘隠しを打ってある水平材のこと)の上には蟇股や間斗束がいちおうあります。とくに蟇股は寺社建築や宮大工にとって「見せ場」と言えるパーツのはずなのですが、斗の数があまりにも多いせいで、いまいち目立たない存在になってしまっています。
最後に三重塔の全体図。
私の個人的な感想を言うと、この三重塔は近づいてディテール(細部)を眺めるのが面白いと思います。とはいえ、離れて見ると壁面の斗が詰組(つめぐみ:柱間に配置する組物)と錯覚してしまいそうなところも、これはこれで面白いかも。
ほか、境内にはさるぼぼの石像や境内社がありましたが、そちらは割愛。
以上、飛騨国分寺でした。
(訪問日2019/08/31)