今回は長野県千曲市の長楽寺(ちょうらくじ)について。
長楽寺は山間の田園地帯に鎮座する天台宗の寺院です。山号は姨捨山。
創建は不明。武水別神社の神宮寺だったという説もあるようですが、明治の廃仏毀釈で古記録を失い、沿革についても不明となっています。
所在地の姨捨*1(おばすて)については『古今和歌集』(905年)に言及があり、古くから月見の名所として知られていたようです。江戸時代には松尾芭蕉や小林一茶をはじめ、数多の文人が当地を訪れて短歌や俳句を残しています。
現在の境内は江戸後期のものと考えられ、多数の歌碑・句碑が点在しています。観音堂の裏に鎮座する姨岩からは善光寺平を一望でき、境内周辺の棚田は「姨捨(田毎の月)」として国の名勝に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒387-0023千曲市八幡姨捨4984(地図) |
アクセス | 姨捨駅から徒歩10分 更埴ICから車で15分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
本堂など
長楽寺の境内は北東向き。こちらは境内の下側にある正面の入口で、棚田につづく農道に面しています。
入口には冠木門。
左の石碑は「芭蕉翁面影塚」。松尾芭蕉は1688年に中秋の名月を見るため当地を訪れて「おもかげや姨ひとりなく月の友」という句を詠み、それを記念して後年に立てられたもの。
冠木門をくぐると、左手に月見堂があります。扁額は「月見堂」。
宝形、茅葺。
18世紀後半の再建と考えられています。
柱は細い角柱。
軒裏は一重まばら垂木。放射状に伸びた扇垂木で、垂木は丸い材が使われています。
背面には引き戸と障子戸が入っています。
月見堂の裏には句碑と境内社。
境内社は、三間社流造、銅板葺。
月見堂の向かいには、本堂および月見殿(観月殿)があります。左側が本堂、右側が月見殿です。
本堂は、切妻、こけら葺。1804~1829年頃の再建と考えられます。
月見殿は、入母屋、茅葺。1864年頃の再建と考えられます。
本堂の玄関の庇。
庇の柱は面取り角柱で、大斗で桁を受けています。
虹梁は唐草の絵様が彫られ、中備えは蟇股。木鼻はありません。
破風板の拝みには、独特な形状の懸魚が下がっています。
本堂および月見殿を俯瞰した図。左手前が本堂、右奥が月見殿です。
本堂はこけら葺、月見殿は茅葺で、2つの堂の屋根の接続部を境界にして屋根葺きの素材がかわっています。
観音堂
境内の中心部には、掛け造りの観音堂が鎮座しています。写真左の巨岩は姨岩。
観音堂は、宝形、茅葺。
1751~1771年頃の再建と考えられています。
観音堂は石垣の上に立ち、縁の下は石垣よりも前に突き出ています。
正面の軒下。扁額は右横書きで「大悲■」(■部はおそらく「願」だが、判読できず)。
虹梁は唐草の絵様が浮き彫りになっています。
柱は面取り角柱。
柱上には実肘木がありますが、頭貫の位置に薄い木鼻が付き、実肘木に添えられています。
堂内には禅宗様の厨子が安置されています。
正面の屋根に軒唐破風が付き、扉は桟唐戸、組物は尾垂木二手先。
屋根は宝形で、非常に傾斜が急です。
頂部には円形の路盤が置かれ、擬宝珠は下部がくびれた形状。
観音堂の裏にも句碑が並んでおり、こちらから姨岩に登って善光寺平(長野盆地)を一望することができます。
姨岩は小石が集まってできた礫岩で、足場はあまりよくありません。転落防止の柵も低いです。
上の写真は北を望んだ図。中央奥は飯綱山、右奥は千曲市街です。
東側は「月見田」と呼ばれる棚田が見えます。
秋に稲を刈り取ったあとに水を入れ、棚田の水面に映った月を鑑賞したようです。
姨捨駅
長楽寺とはとくに関係のない施設ですが、姨捨駅もあわせて紹介。
上の写真は駅のホーム。長楽寺と同様に、善光寺平を一望できます。
姨捨駅は長楽寺の最寄り駅で、姨捨駅→長楽寺は徒歩10分程度です。ただし逆の長楽寺→姨捨駅は急な登りになるため、15分程度かかります。
姨捨駅は眺望が良いだけでなく、スイッチバックが現在でも行われる駅として知られます。
上の写真2枚は、左が本線(左手前は長野方面、奥は松本方面)、右が姨捨駅です。姨捨駅は本線から分岐した先にあり、当駅に出入りする列車は本線上で一時停車して進行方向を変えます*2。
姨捨駅の北側は、線路が行き止まりになっています。
終着駅でもないのに、すべての線路が行き止まりになっている駅はめずらしいと思います。
以上、長楽寺でした。
(訪問日2023/05/04)