この記事では、当ブログに頻出する寺社建築用語について簡単に説明いたします。
行別:あ / か / さ / た・な / は / ま・や・ら・わ
あ
校倉造
寺社の倉庫の建築様式。
校木(あぜき)という三角柱(実際は五角柱か六角柱)の部材を井桁に積み上げて造る。ぎざぎざの外壁が特徴。
校木がなぜこのような形状をしているのかは諸説ある。「校木が気温や湿度の影響で伸縮し、すきま風で適温が保たれる」といわれるが、この説は否定されている。
成立年代は不明。著名な正倉院は奈良時代のものとされ、遅くともこの頃には成立していたと考えられる。
安土桃山時代
織豊時代(しょくほう-)、桃山時代とも言う。
日本史における時代区分。16世紀終盤から17世紀初頭までを指す。当サイトでは1573年から1603年までを安土桃山時代としている。
どの年を始期・終期とするかはさまざまな解釈があり、文化史・芸術史の観点では、豊臣氏の滅びた1615年をおわりとみなすことが多い。当サイトでは、江戸幕府が開かれた1603年をおわりとみなしている。
雨仕舞
雨水を適切に排水し、室内に浸入させないようにするための構造や工法の総称。
八幡造や比翼春日造は、屋根に大きな谷間が生じ、排水が難しくなるため、雨仕舞に課題がある。
い
一宮
「一ノ宮」「一之宮」とも書く。
その地域でもっとも格が高いとされる神社のこと。たいていは国(律令国)の一宮を指す。
選定の基準や規定については、とくに史料が残っていないため不明。基本的に1国につき1社だけが選定されるが、選定者や史料によって記述がちがったり、時代によって変遷があったりして、一宮を主張する神社が複数存在する国もある。
国によっては二宮(にのみや)以下もあり、上野国では九宮まである。また、伊勢神宮や石上神宮のように特別な由緒のある神社は、別格としてあえて一宮に選ばれないこともある。
一間一戸
門の規模をあらわす用語。
正面の柱間が1間で、その1間が通路(戸)になっているという意味。
四脚門と高麗門はほぼすべてが一間一戸である。薬医門は一間一戸が多数派だが三間のものもあり、楼門は三間が多数派だが一間一戸や五間のものもある。
一間社
「いっけんやしろ」とも読む。
母屋の正面が2本の柱で構成され、間口の柱間が1つの社殿のこと。社殿の規模としては最小で、神社本殿の大半は一間社である。
「一間社〇〇造」といったふうに社殿の規模と様式を表現する。
なお、ここで言う間(けん)は長さの単位ではなく、柱間の数を指している。
石の間
権現造の社殿の、拝殿と本殿のあいだに設けられる社殿(幣殿に相当)のうち、内部が土間床のものを「石の間」と呼ぶ。
たいていの場合、屋根は両下造(妻入の切妻)で、拝殿・幣殿(石の間)・本殿の3つをあわせて1棟としてあつかわれることが多い。
・参考→権現造
伊東忠太
建築家、建築史家。1867年生、1954年没。
日本の建築史研究の創始者。
「architecture」の和訳として、「建築」という言葉を提唱し、定着させた。
建築家としては、西洋の技法を取り入れた独特の作風の寺院建築を残した。いっぽうで、神社建築については保守的な作風だった。代表的な作品は、築地本願寺、橿原神宮、俳聖殿など多数。
豕扠首
扠首(さす)とも言う。
屋根の妻面の外壁に使われる飾り(妻飾り)の一種。和様建築の意匠のひとつ。
妻面の梁の上に、3本の棒材を山形に組み合わせて立てる。中央の束は扠首束(さすづか)、左右の材は扠首竿(さすざお)と言う。
古風な和様の意匠で、寺院・神社どちらにも使われるが、古式を重視する神社建築で使われることが多い。大仏様・禅宗様では大瓶束が採用され、豕扠首は使われない。
入母屋
入母屋造(いりもやづくり)とも言う。
下部は寄棟、上部は切妻の構造で、上部には破風が生じる。日本をはじめ、東アジアに広く見られる建築様式。日本では、寺院、神社、住宅いずれの建築でも採用されている。
日本最古の入母屋は法隆寺金堂。神社建築で最古の入母屋は、鎌倉時代の御上神社本殿。
・参考:屋根の分類
う
内削ぎ
神社の屋根にある千木のうち、先端が水平に削られたもののこと。また、そのような削り方のことを指して内削ぎと言う。女千木と呼ばれることもある。
・参考:鰹木と千木
え
江戸時代
日本史における時代区分。1603年から1868年までを指す。
ただし、文化史・芸術史の観点では、豊臣氏の滅びた1615年を江戸時代のはじまりとみなすことが多い。
当サイトでは、江戸幕府が開かれた1603年をはじまりと見なしている。加えて、開府から貞享までを江戸前期(1603-1688)、元禄から安永までを江戸中期(1688-1781)、天明から明治維新までを江戸後期(1781-1868)と区分している。この区分は、各期の長さがなるべく均等になるよう機械的に区切っただけで、政治的・文化的な観点は考慮に入れていない。
海老虹梁
「蝦虹梁」とも書く。
庇(向拝)の柱と母屋の柱をつなぐ懸架材(梁)のうち、曲線的な形状をしたもの。
高低差のある場所をつなぐ海老虹梁は、S字状に大きく湾曲する。
もとは禅宗様建築の意匠で、裳階の柱と母屋の柱をつないだ。時代が降ると向拝柱と母屋柱の接続に使われるようになり、神社建築でも採用されていった。
江戸後期の海老虹梁は、立体的な竜の彫刻を施したものも見受けられる。
縁側
縁(えん)とも言う。住宅建築では「濡れ縁」「廻り縁」とも言う。
母屋の外周に床板を敷いた、通路状の構造物のこと。
母屋の周囲の4面すべてにまわされる場合もあれば、背面や側面にはまわされない場合もある。内部が土間床の建築(禅宗様建築や権現造の石の間など)は、縁側を設けない。
敷かれた床板の長手方向が母屋と平行のものを「くれ縁」、直行のものを「切目縁」という。切目縁のほうが格式が高いとされるため、寺社建築では切目縁が使われる傾向にあるが、古風な建築ではあえてくれ縁が採用されることがある。
延喜式
平安時代の法典。927年成立。全50巻。
原本は現存せず、写本のみが伝わっている。
とくに巻9と巻10は「神名帳」(じんみょうちょう)と呼ばれる。神名帳は当時の朝廷が選定した官社の一覧表で、全国各地の神社2861社と、そこに祀られる神の3132座が羅列されている。神名帳に記載のある神社は「式内社」と呼ばれる。官社(式内社)の選定には政治的な背景もあったようで、当時すでに確立されていたが神名帳に記載のない神社も多く存在する。
・参考→式内社 しきないしゃ / 式外社 しきげしゃ
エンタシス
円柱のうち、上部に向かって徐々に細くなる形状のもの。
目の錯覚で、ふつうの円柱よりも安定して見えるため、巨大な建造物の柱に使われる。パルテノン神殿の柱が著名。
寺社建築の徳利柱や胴張りは、エンタシスの一種といえる。日本では、法隆寺金堂の柱が代表例。
伊東忠太は徳利柱とエンタシスの類似性から、飛鳥時代日本の建築の起源は古代ギリシャにあるとする説を学位論文で発表したが、のちに自説を否定している。しかし古代ギリシャ起源説は、和辻哲郎の『古寺巡礼』(1919年)で広く知れわたった。
円柱
→丸柱 まるばしら
お
大棟
屋根の棟のうち、もっとも高い位置にあり、水平方向に伸びたもののこと。単に「棟」と読ぶ場合、大棟を指すことが多い。
単純な切妻や入母屋の場合、大棟は一直線になる。対して、権現造のように複数棟が合わさった建築では、大棟がT字や十字型に交差する。
大社造
置き千木
千木のうち、破風板と一体でないもののこと。
元来の千木は破風板と一体し、屋根から突き出て上へ伸びる。このような千木は雨仕舞に問題があるため、破風板から独立して別部材にした千木を棟に置いた。「置く」ように設置されることからこの名前がある。
今日の神社建築の千木は、ほとんどが置き千木となっている
尾垂木
組物から斜め下方向へ突き出る棒状の部材。
屋根の内側の加重を利用し、てこのように軒先をはね上げる役割がある。当初は構造材だったが、平安時代に同様の役割を持つ桔木が普及したことで、組物や尾垂木は装飾としての役割が主となった。
和様と禅宗様とで形状が異なり、和様のものは先端が平たく、禅宗様のものは先端が尖っている。
鬼瓦 / 鬼板 / 鬼面
大棟の両端に、妻方向に向けて取り付けられる板状の装飾的な部材。鬼の顔がなくても鬼瓦と呼ぶ。平板な造形のものは鬼板とも呼ばれる。
家紋や文字をあしらったものや、鬼の顔のような意匠のものが多い。単なる装飾ではなく、魔除けや火防といった性質もある。
彩色されて面(お面)のような外観になったものは、鬼面と呼ばれる。甲信地方の寺社建築は鬼面が使われることが多々あり、筆者の観察では山梨県北西部から長野県中東部にかけて多く見受けられる。
親柱
複数ある柱のうち、幅や径が太かったり、中心部にあったりする主要な柱のこと。主柱ともいう。控柱に対する語句。
四脚門の場合は、側面中央の柱が親柱で、前後の柱が控柱になる。薬医門や高麗門の場合は、手前の柱が親柱になる。
欄干の親柱は、たいてい擬宝珠などの装飾がつく。
御柱
諏訪大社やその関連社の祭事で、境内に立てられる柱のこと。おもに長野県内で見られる。
境内や社殿の四囲に1本ずつ、つごう4本立てるのが正式。向かって右手前が「一の御柱」で、時計回りに二、三、四とつづく。
柱の大きさや樹種は、神社によってさまざま。
諏訪地域では、諏訪大社とは無関係に思える小祠や石碑にまで御柱を立てることがめずらしくない。