今回は長野県千曲市の須須岐水神社(すすきみず-)について。
須須岐水神社はしなの鉄道線沿線の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。社伝によれば673年(白鳳二年)に創建された祝神社(ほうり-)が前身とのこと。貞観年間(859-877)には日吉大社が勧請され、山王宮、山王権現などと呼ばれました。現在の社名に改められたのは1781年(天明元年)。
当社は式内社ではありませんが、平安時代に存在した式外社のひとつと考えられ、松本市の須々岐水神社とともに「須々岐水神社」に比定されています。
創建以来、当地の水神として篤く信仰されたようですが、幾度も水害に遭い、1645年(正保二年)に現在地へ遷座しました。江戸時代には松代藩真田氏の崇敬を受けましたが、1843年(天保十四年)3月の大火で焼失しています。
現在の境内や社殿は江戸後期の再建。とくに本殿は諏訪の宮大工・2代目立川和四郎の手によるもので、彫刻で飾られた派手な作風の三間社です。また、境内社の祝神社(はふり-)は、式内社に比定される論社です。
現地情報
所在地 | 〒387-0007長野県千曲市屋代1851(地図) |
アクセス | 屋代駅から徒歩10分 更埴ICから車で5分 |
駐車場 | 3台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
須須岐水神社の境内は南向き。地区の幹線道路のつき当たりの、とてもよく目立つ位置に入口があります。
入口の鳥居は木造の明神鳥居。
貫には太いしめ縄がかけられています。扁額は「須須岐水神社」。
拝殿は、入母屋、向拝3間、銅板葺。
向拝にかかった白い垂れ幕には、三つ巴の紋が描かれています。
垂れ幕がかかっていて見づらいですが、向拝柱は角面取りされたものが左右各2本立てられています。
隅の向拝柱の前面と側面には木鼻。渦状の模様のついた禅宗様木鼻です。
柱上の組物は出三斗を2つ並べたもの。
向拝柱の上では板状の手挟が軒裏を受けています。
海老虹梁はゆるやかにカーブした形状。
虹梁中備えは蟇股。左右には若葉のような意匠が付き、中央には三つ巴があしらわれています。蟇股の上には巻斗が乗り、肘木を介さずに軒桁を受けています。
母屋柱は角柱。柱上は舟肘木。
軒裏は一重まばら垂木。
右側面(東面)。
縁側はありません。
入母屋破風には木連格子が張られ、破風板の拝みには梅鉢懸魚のようなものが下がっています。
本殿
拝殿の裏には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。
祭神は大国主、生魂命、事代主など。
桁行2間・梁間3間、三間社流造、向拝3間・側面2間、銅板葺。
1851年(嘉永四年)再建。
宮大工は立川和四郎富昌(2代目和四郎)。諏訪の宮大工の名跡で、諏訪大社上社本宮の拝殿などを造営した人物。この近くにある武水別神社本殿(1850年)の造営のため当地(矢代宿)に滞在し、その縁で当社本殿の再建を請け負ったようです。
正面の軒先が前方に大きく伸び、向拝は側面2間。前方の1間(写真左)にはまっすぐな虹梁がわたされ、後方の1間(写真右)には海老虹梁がわたされています。
造営年がほぼ同じで、棟梁も同じ人物のためか、武水別神社本殿とよく似た構造です。
向拝の前面の隅の柱。
金網がかかっていて見づらいですが、向拝柱は糸面取りで、前面に唐獅子、側面に獏の木鼻がついています。
柱上は出三斗。
向拝側面の虹梁。
虹梁の中央左寄りの位置にも柱が立ち、皿と木鼻のついた平三斗で虹梁を支えています。
向拝の後方の柱間。
海老虹梁は向拝柱の木鼻の位置から出て、母屋柱の頭貫の位置に取り付いています。向拝側は、下部に波状の持ち送りが添えられています。
写真左の向拝柱には、象らしき獣の木鼻がついていますが、金網でよく見えず。柱上には出三斗と、雲状の彫刻の入った手挟が見えます。
母屋の側面は2間。柱間は横板壁。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。脇障子はありません。
母屋柱は円柱。低い位置に長押が打たれ、柱の上部には頭貫と台輪が通っています。
柱上の組物は出組。中備えは蟇股。
妻飾りは二重虹梁。
大虹梁の上では出三斗が桁を受け、中央では力神がふんばっています。
二重虹梁の上には笈形付き大瓶束。笈形は平板でシンプルな造形。
背面は3間。
柱間や軒下に目立った意匠はありません。
頭貫木鼻は雲状の拳鼻。
妻虹梁の下には、雲の彫刻の入った支輪板が見えます。
左側面(西面)の妻壁にも、同様に力神が配されています。
屋根の全体図。
母屋に対して向拝が大きく、流造の本殿としては独特のバランス。平面の構成は武水別神社とほぼ同じなのですが、こちらは簡略化されて千鳥破風や唐破風がないせいか、独特のバランスが悪目立ちしてしまっているように感じます。
境内社
境内には小規模な境内社が点在しています。
こちらは拝殿向かって左手(境内南西)にある祝神社(はふり-)。
当初は一重山(屋代地区の東側の山)にあり、何度かの遷座を経て1999年に現在地へ移ったとのこと。長野市松代の祝神社(ほうり-)とともに、延喜式内社を主張する論社です。
様式は、一間社入母屋、向拝1間、銅板葺。
長野県内ではめずらしい入母屋の本殿。祭神は武五百建命と諏訪神。
向拝柱は几帳面取り。
蟇股や海老虹梁、頭貫木鼻、桟唐戸が使われています。
縁側がなく見世棚造のような構造ですが、前面には簡素な階段がついています。
本殿右側(境内東側)には養蚕社。
一間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺。
向拝柱には唐獅子の彫刻。
唐破風の小壁の彫刻は、菊に鷹。松に鷹はよく見かけますが、菊に鷹はめずらしいと思います。
母屋前面の扉の両脇には、人物像の彫刻。
妻飾りには竜らしき彫刻が見えますが、覆い屋が狭くてよく見えず。
脇障子にも人物の彫刻が見えます。題材は不明。
ほかにも境内北側に名称不明の境内社が並んでいます。
以上、須須岐水神社でした。
(訪問日2022/12/02)