今回は長野県のマイナー観光地ということで、千曲市の屋代(やしろ)の小ネタについて。
屋代は千曲市の中心地で、国道18号線の屋代駅近辺は商業施設が充実しています。その一方で、松代方面へ向かう国道403号線はあまり商業施設がなく、住宅街の中を何度も曲がりながら走る道が続きます。国道18号線は北国街道(軽井沢と善光寺を結ぶ)、国道403号は谷街道(屋代から千曲川東岸を進んで新潟に至る)に相当し、両者とも歴史ある道なのですが、現状を見るに後者はなんとなく不遇な印象があります。
しかし、403号線の沿線は意外に小ネタが充実しており、自転車で走ってみるととても面白い道だと思います。当記事では屋代の403号沿線の小ネタを3件ほど取り上げます。
生蓮寺
〒387-0007長野県千曲市屋代1951(地図)
屋代駅前を出発し、403号線に乗って松代を目指すと最初に目に付いたのが生蓮寺(しょうれんじ?)でした。
国道に面した広い駐車場の端には、まるで奈良の正倉院のような校倉造(あぜくらづくり)が、小さいながらも圧倒的な存在感を放っています。
瓦葺きの立派な門をくぐって進むと、本堂と思しき建物がありました。
屋根には鴟尾(しび:棟の端に乗っている金色のしゃちほこみたいなやつ)が乗っています。
校倉造りを見た直後のせいか、この本堂はなんとなく東大寺の大仏殿と造りが似ているような気がしたのですが、実際に見比べてみると向拝の形状が違うし、東大寺は裳階(もこし)がついていて2層に見えるのでこの本堂とはぜんぜん似ていません。完全に気のせいでした...
以上、生蓮寺でした。
須須岐水神社
現地情報
所在地 | 〒387-0007長野県千曲市屋代1851(地図) |
アクセス |
屋代駅から徒歩15分 更埴ICから車で5分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
続いて今回のメイン、須須岐水神社(すすきみず-)。
同じ字面の須須岐水神社(すすきがわ-)という神社が松本市にありますが、そちらとの関係性は謎です。
鳥居の前の交差点。国道403号線はここで右折するので、この神社は車で前を素通りするだけでも印象に残ります。
拝殿。中には御輿が置かれています。
この日は改元の日だったので国旗が立てられていました。石灯籠の周りに立てられている竿やざるは、お祭りに使う道具でしょうか?
拝殿の近くにあった摂社。祝神社(はふり-)といい、タケミナカタ(諏訪大社の祭神)などが祭られているとのこと。
読みも字面もほぼ同じ祝神社(ほうり-)という諏訪の系統の神社が長野市松代にあり、何かしらの関係がありそうです。
拝殿の後ろには、大規模な三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)の本殿。
屋根の破風板はひらがなの「へ」の字の形をしていて、流造のお手本のような形状です。
側面。
柱の形状をよく見ると、写真右半分、つまり本殿前方は角柱が使われています。一方で左半分、床が高くなっている後方は円柱(丸柱)が使われています。そして、前方と後方をつなぐ区間には海老虹梁の意匠もあります。
同市内にある武水別神社の拝殿と本殿もこれに似た造りをしています。
右側面を前方から撮った図。
案内板によると、江戸末期の1843年に火災で延焼したが、近くにある武水別神社の工事のため滞在していた宮大工・立川和四郎に依頼して現在の本殿を造ったとのこと。
立川和四郎は宮大工の名跡で、年代からして2代目・和四郎富昌でしょう。諏訪大社本宮など、多数の国重文を造営した人物です。
他にも、立川和四郎が手がけた摂社が境内にあります。
こちらは養蚕社。正面に唐破風がついた一間社流造。
以上、須須岐水神社でした。
伏見稲荷
〒387-0007長野県千曲市屋代742(地図)
引き続き403号線を走っていると、赤い鳥居が並んだ神社が道沿いにありました。おおかた察しがつくと思いますが、お稲荷さんです。
家と家の間の狭い空間に鳥居が立ち並んでいます。鳥居はやや傷みが目立ちますが、それも含めて風情ある境内だと思います。
数十メートルほど鳥居の道を進むと、社殿があります。社殿については特に語ることが見つからないので割愛。
稲荷神社は人気のない場所が多く、林立する鳥居がなんとなく異空間の趣をかもしていて少々不気味なところが多いですが、ここの稲荷神社は住宅街の中なので夜間でもそんなに怖くなさそうですね。
以上、伏見稲荷でした。
(訪問日2019/05/01)