世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【長野市】長田神社 ~長大な社叢にたたずむ由緒正しき神明宮~

今回は長野県のマイナー観光地ということで、長野市の長田神社(ながた-)について。

 

長田神社は長野市の千曲川南岸の傾斜地にある集落の中に鎮座しています。

本殿は平成期の再建ですが創建は1089年とされ、伊勢の外宮に布などを献上したことから神宮領の御厨(みくりや)として「信濃七御厨」の1つに数えられます。

 

 

現地情報

所在地 〒381-0103長野県長野市若穂川田562-1(地図)
アクセス

長野駅にて保科温泉線に乗車 小出バス停下車

長野ICまたは須坂長野東ICから車で15分

駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

参道

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境内の入口は、菅平高原へと続く県道に面しています。

伊勢神宮領だった歴史があるので、鳥居は笠木がまっすぐな神明鳥居。屋根のついた笠木がちょっと長めになっているのが印象的。

 

境内は西向きで、訪問時は日没前の夕方です。たいていの寺社は南か東を向くものですが、この神社が西を向いているのは、伊勢の方角だからでしょうか?

ちなみに、同じく伊勢の御厨である仁科神明宮(大町市)麻績神明宮(麻績村)は南向きとなっています。

 

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参道の途中から、入口の鳥居のほうを振り返った図。

ケヤキの大木が並ぶ参道が、入口から本殿まで約500メートル続きます。参道の長さは市内でも屈指で、戸隠の奥社(約2km)に次ぐほどです。

 

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参道を進むと保科川(菱川)が境内と社叢を分断しています。橋の名前は「御厨橋」(みくりやばし)。

擬宝珠(タマネギみたいなやつ)がついた欄干は膝くらいの高さしかなく、踏み板がカタカタと鳴り、なんとなく不安を感じなくもないです。とはいえ、トラクターが渡っているのを見たことがある(※10年以上前の記憶です)ので、強度の心配は杞憂のはず...?

 

拝殿と幣殿・本殿

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橋を渡って車道を横断すると、神楽殿のような外見をした拝殿があります。

拝殿は鉄板葺の寄棟(平入)。四面すべてが吹き放ち。

 

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拝殿の奥には、一段高くなった場所に門が立ち、その向こうに幣殿と本殿が経っています。

門の屋根には、内削ぎの千木と、3本の鰹木。

 

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幣殿は神明造風な鉄板葺の切妻(平入)。前述の拝殿がありますが、参拝はここで行うことになっています。

 

賽銭箱の右隣には、なぜか宮司の湯本氏と羽生結弦選手の2ショット写真が飾られていました。どういった御縁なのかは謎。

帰宅後に調べてみたところ、羽生選手は長田神社のお守りを愛用(?)しているとのことで、ファンの間ではちょっとした聖地になっているみたいです。

 

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幣殿の左側面。

屋根はそれなりの高さがあるため、梁と束を組み合わせて棟を支えてあります。

束に、丸太のような桁が刺さっているのがちょっと変わっています。

 

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幣殿の裏には本殿があります。2000年の竣工とのこと。

本殿は鉄板葺の神明造(しんめいづくり)。正面3間・側面2間。

母屋の外にある円柱(棟持柱)が棟を支えており、破風板からは4本の棒(鞭懸)が突き出ています。写真では見切れてしまっていますが、千木の先端は水平方向にカットされた内削ぎ(うちそぎ)。千木には長方形の穴が開けられており、先端が二股に別れています。

これらはいずれも標準的な神明造の特徴。

 

礎石と縁側の有無も確認したかったのですが、瑞垣と灌木に阻まれて断念。

柱は掘立てで縁側があるのが正式なのですが、これは神明造の必須条件ではありません。

神明宮なので祭神はアマテラスとトヨウケ(豊受)ですが、案内板(設置者不明)によると諏訪、八幡、牛頭天王、稲荷、天神などなど、多数の神が合祀されているとのこと。

 

幣殿に置いてあったパンフレットによると、“戦国期 甲越両軍の戦火により、旧記一切焼失、社殿荒廃”とのこと。「甲越両軍」は武田と上杉のことと思われますが、著名な「川中島の戦い」を敢えて用いていない点が少々ひっかからなくもないかも。どういった意図で書いたのかは不明。

 

最後に、図書館で調べ物をしていたら偶然見つけた絵図を。

絵図は明治33年(1900年)のもので、左上から本殿、幣殿、神門、拝殿。描かれている本殿は1710年に再建されたものと思われます。

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(歴史図書社 信濃宝鑑(中)より、一部を抜粋して引用)

いずれも現在の社殿と外観・配置ともにほぼ同じですが、この絵図だと幣殿と本殿のあいだに釣屋(通路の屋根)がなく、本殿が独立していたようです。

 

以上、長田神社でした。

(訪問日2019/09/13)