甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】東寺 その1(南大門など)

今回は京都府京都市の東寺(とうじ)について。

 

東寺は京都駅の南に鎮座する東寺真言宗の総本山です。山号は八幡山。別名は教王護国寺(きょうおうごこくじ)

創建は平安時代の最初期。西寺(現存せず)とともに都と国家の鎮護のため開かれた官寺です。東寺の記録書によると、796年(延暦十五年)に桓武天皇の命を受けた藤原伊勢人なる人物により開かれ、823年(弘仁十四年)に嵯峨天皇が空海に東寺を下賜したとのこと。

平安後期は一時衰退したようですが、鎌倉時代以降、天皇家や足利氏、豊臣氏、徳川氏の庇護を受け、何度も伽藍を再建しています。

現在の境内伽藍の配置と規模は、創建当初から変わっていません。伽藍そのものは室町後期から江戸初期のものですが、そのほとんどが国宝に指定されています。とくに境内南東端に立つ五重塔は仏塔として日本最大の高さを誇り、現代のビルや高層建築とくらべても市内屈指の高さがあり、京都を象徴するランドマークとなっています。

 

当記事ではアクセス情報および南大門周辺について述べます。

灌頂院、本坊、大師堂については「その2」

蓮花門、北大門、慶賀門については「その3」

五重塔、金堂、講堂については「その4」をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒601-8473京都府京都市南区九条町1(地図)
アクセス 東寺駅から徒歩5分
京都南ICから車で15分
駐車場 100台(600円)
営業時間 境内は05:00-17:00、拝観は08:00-17:00
入場料 境内は無料、金堂・講堂・五重塔は通常500円(特別展により金額の変動あり)、観智院は500円
寺務所 あり
公式サイト 東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺
所要時間 2時間程度

 

境内

南大門

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東寺の境内は南向き。境内の南側には水路が通り、南大門の手前は車通りの激しい幹線道路(九条通り)になっています。

駐車場は境内北東にあり、京都駅のほうから来た人もそちらから入場することになるため、こちらの南大門を出入りする観光客は少数派かと思われます。

 

南大門は、三間一戸、八脚門、切妻、本瓦葺。

1601年(慶長六年)造営、1895年(明治二十八年)移築。国指定重要文化財

当初は三十三間堂の西門として、豊臣秀頼の寄進で造られたもの。明治時代に東寺の南大門が焼失したため、三十三間堂から移築されました。

 

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正面は3間で、中央の1間が通路になっています。

門の向こうに見えるのは金堂(その4にて後述)。

中央の柱間は飛貫がなく、そのかわりに斗栱が頭貫を持ち送りしています。

 

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正面向かって右(東側)の柱間。

柱はいずれも円柱で、上端が絞られています。柱上の組物は出三斗。

飛貫の上の中備えは、蟇股。彫刻は題材不明。

頭貫の上の中備えは、木鼻付きの平三斗。

 

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頭貫には拳鼻がついています。

光の加減で見づらいですが、柱上は連三斗が使われています。

 

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右側面(東面)。

柱間は横板壁。築地塀がつながっています。

飛貫の中備えは蟇股、頭貫の中備えは皿斗をベースとした木鼻付き平三斗。

 

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妻壁。

中央の柱上からは、大きな木鼻のような部材が突き出ています。

破風板の拝みと桁隠しには、猪目懸魚が計5つ下がっています。

 

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妻飾りは二重虹梁で、大虹梁の上には平三斗と花肘木を組み合わせた意匠が見えます。

 

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通路内部、向かって左側。

前後の柱も貫でつながれ、中備えに蟇股と平三斗が置かれています。

内部には格天井が張られています。

 

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背面。

各所の意匠は正面とほぼ同じでした。

 

八島社殿

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南大門をくぐると、右手には八島社殿の拝所と本殿が西面しています。

境内案内板(設置者不明)によると、東寺の創建以前から鎮座していたとのこと。

 

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八島社殿の拝所は桁行1間・梁間1間、向唐破風、銅板葺。

柱間には建具がありません。拝殿というより拝所と言ったほうが適当でしょう。

 

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正面の軒下。

柱は面取りされた角柱。柱上は舟肘木。

妻虹梁は無地で、「八嶋殿」の扁額がかかっています。

唐破風の兎毛通は猪目懸魚。

軒裏は黒く塗られています。茨垂木はまばらで、最低限の本数だけが使われています。

 

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本殿は、一間社流造、銅板葺。

祭神は東寺の地主神とも大国主ともいわれます。

 

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向拝柱は几帳面取り。柱上は連三斗。側面には木鼻。

虹梁中備えは蟇股。

海老虹梁は向拝の組物の上から出て、母屋の頭貫の位置に取りついています。

破風板には、向拝の桁の木口を隠す猪目懸魚が下がっています。

 

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母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定。

柱上は大斗と実肘木。

妻飾りは大瓶束。

破風板の拝みには猪目懸魚。母屋の桁の木口には、懸魚(桁隠し)がありません。

 

八幡社殿

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南大門の左手には、鎮守社の八幡社殿。南大門に背を向けるように西面しています。

796年創建。平安京と東寺の鎮守として祀られたとのこと(境内案内板より)。

1868年に焼失し、現在の社殿は1992年に再建されたもの。

社殿の手前には明神鳥居が立っています。

 

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八幡社殿の拝殿は、入母屋、正面孫庇3間、銅板葺。

扁額は「八幡宮」。

柱はいずれも角柱。柱上は舟肘木。

 

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側面(北面)から見た図。

様式は入母屋ですが、その軒先から孫庇が出て、前方の1間は外陣と思しき空間になっています。あまり見かけない、風変わりな造り。

破風板の拝みは猪目懸魚。入母屋破風は木連格子。

 

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八幡社殿の本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。

祭神は誉田別命などの八幡神。空海が手ずから彫ったとされる神像が御神体とのこと。

 

縁側は4面にまわされ、前面に脇障子が立てられています。

妻飾りは豕扠首、破風板の拝みと桁隠しに猪目懸魚が下がっています。

神社本殿にしては床が低いのか、母屋が腰高な印象を受けます。屋根の箕甲は、神社本殿らしいやわらかな曲面です。

 

南大門の周辺については以上。

その2では灌頂院、本坊、大師堂について述べます。