今回は静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐう せんげんたいしゃ)について。
富士山本宮浅間大社は市の中心部に鎮座する駿河国一宮です。
創建は不明。社伝『富士本宮浅間社記』*1によると第11代・垂仁天皇の時代の創建で、坂上田村麻呂によって現在地に社殿が造営されたらしいです。
平安時代には朝廷の崇敬を受け、『延喜式』には「浅間神社」として名神大社に列しています。鎌倉以降は武家の崇敬を受け、源頼朝が富士の巻狩の折に流鏑馬を奉納したほか、北条義時によって社殿が造営されています。室町以降は、足利氏、今川氏、武田氏、豊臣氏などの寄進を受けました。江戸時代は徳川家康によって現在の主要な社殿が再建され、歴代将軍の崇敬を受けました。
社号は幕末まで「富士浅間宮」「富士権現」などの呼称がありましたが、1871年に「富士山本宮浅間神社」となり、1982年に現在の社号に改められました。
現在の境内の主要部は江戸初期に整備されたものです。重要文化財の本殿は、神社本殿として特異な二重の建築様式で造られ、「浅間造」とも呼ばれます。ほか、楼門と本殿が県の文化財、境内東にある湧玉池が国の特別天然記念物となっています。
当記事ではアクセス情報および随神門と拝殿などについて述べます。
現地情報
所在地 | 〒418-0067静岡県富士宮市宮町1-1(地図) |
アクセス | 富士宮駅または西富士宮から徒歩10分 新富士ICから車で15分 |
駐車場 | 第一駐車場は75台(30分無料、以降は1時間200円) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 富士山本宮浅間大社:トップ |
所要時間 | 30分程度 |
境内
参道と手水舎
富士山本宮浅間大社の境内は南向き。境内南側に駐車場があり、社号標と一の鳥居が立っています。右奥には富士山が見えます。
社号標は「冨士山本宮浅間大社」。社号の表記は、富(うかんむり)と冨(わかんむり)が混在していますが、公式サイトを見るかぎり前者が現状の正式な表記のようです。
一の鳥居は赤い明神鳥居。扁額は「富士山本宮」。
参道を進むと二の鳥居があります。
石造明神鳥居。扁額はなく、額束が使われています。
二の鳥居の先には随神門が建ち、その左手前に手水舎があります。
手水舎は、切妻、銅板葺。
柱は面取り角柱。主柱の内側に控柱が添えられ、つごう12本の柱が使われています。
頭貫の位置には拳鼻。若葉を渦状にアレンジした意匠が彫られています。
柱上の組物は連三斗のようなものが使われています。
南側の妻面。
頭貫の上の中備えは蟇股。内側の彫刻は、幾何学的な曲線を組み合わせて植物のような意匠としています。
妻虹梁は若葉の絵様が彫られ、中央部に大瓶束が立てられています。大瓶束には猪目(ハート形)の意匠。大瓶束の左右の笈形は、波にスイセンと思しき花の彫刻。
随神門
境内中心部は一段高い位置にあり、回廊や塀で囲われた区画にあります。正面の入口には随神門。
随神門は、三間一戸、楼門、入母屋、檜皮葺。
1614年(慶長十九年)造営。県指定有形文化財。
下層は正面3間で、中央の通路部分の柱間は広く取られています。
左右の柱間には緑色の連子窓。
中央の柱間。
しめ縄のかかった頭貫の上には、中備えとして撥束が2つ置かれています。
向かって左の柱間。
柱はいずれも円柱。柱間は貫でつながれていますが、木鼻はありません。
柱上の組物は二手先。頭貫の上の中備えは、こちらも撥束。
内部の中央には桟唐戸が設けられています。この門は和様の意匠を中心に構成されていますが、桟唐戸は禅宗様の意匠です。
奥に見えるのは拝殿。
上層。鳥除けの網が張られています。扁額は「冨士山本宮」。
正面は3間で、中央は板戸、左右は連子窓です。
向かって左の柱間。
軸部の連結に頭貫が使われ、木鼻はついていません。下層と同様の造り。
組物は尾垂木三手先。中備えは撥束。
縁側の欄干は跳高欄。
背面。
各所の意匠は正面と同様で、ほぼ前後対称の構造です。
随神門の左右には回廊がつながっています。こちらは正面向かって右側(東)の回廊。
屋根は銅板葺。柱は円柱で、長押を多用し、柱間は連子窓。
向かって左側(西)にも同様の回廊がありますが、写真を撮り忘れたため割愛。
拝殿
楼門の先には拝殿が鎮座しています。
梁間3間・桁行4間、正面入母屋(妻入)、背面切妻、向拝1間、檜皮葺。 1604年(慶長九年)造営。県指定有形文化財。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面には見返り唐獅子の木鼻が付いています。
柱上の組物は出三斗。
虹梁は若葉状の絵様が浮き彫りになっています。
中備えの彫刻は竜。
向拝柱(写真右)の上では、手挟が軒裏を受けています。手挟には波に鶴の彫刻。
海老虹梁は向拝柱の虹梁や木鼻の高さから出て、母屋柱の頭貫の下に取り付いています。
母屋の正面は3間。建具は、中央が桟唐戸、左右が半蔀。
縁側は切目縁で、欄干はありません。
向拝の下には、角材の階段が設けられています。
母屋の正面中央。扁額は「淺間大社」。
頭貫の上の中備えは蟇股。内側には花鳥の彫刻があります。
母屋柱は円柱。軸部は長押と貫で固められています。
頭貫に木鼻はありません。
柱上の組物は、大斗と舟肘木を組んだもの。
側面(写真左)は、頭貫の上の中備えが省略されています。
正面の妻飾り。
破風板の拝みには猪目懸魚が下がっています。
妻飾りは、虹梁と大瓶束が使われています。
拝殿の左右後方には、このような小屋がつながっています。こちらは拝殿向かって左(西側)のもの。
桁行3間・梁間2間、切妻、背面孫庇付、檜皮葺。内側は幣殿と接続。
こちらは向かって右の小屋の右側面(東面)。
柱は角柱、柱上は舟肘木で、柱間は連子窓。正面と両側面の計3面に切目縁がまわされています。
妻飾りは豕扠首。破風板の拝みには、鰭付きの猪目懸魚。
背面には、軒下に孫庇が設けられています。
随神門、拝殿などについては以上。
*1:寛政年間(1789-1801)に編纂されたもの