甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【所沢市】不動寺(狭山不動尊) 前編 勅額門、御成門、第一多宝塔

今回は埼玉県所沢市の不動寺(ふどうじ)について。

 

不動寺は狭山湖畔に鎮座する天台宗の別格本山です。山号は狭山山。通称は狭山不動尊(さやまふどうそん)

創建は1975年(昭和五十年)。堤康次郎の収集していた建造物を当地へ移築し、寛永寺の協力を得た堤義明によって開基されました。

境内は昭和後期に整備されたものですが、伽藍は各地の寺社から移築されたもので、文化財に指定されているものが多数あります。旧台徳院霊廟の3棟は増上寺から移築されたもので国の重要文化財、第一多宝塔は県の文化財に指定されています。

 

当記事ではアクセス情報および勅額門、御成門、第一多宝塔などについて述べます。

弁天堂、丁子門、第二多宝塔、羅漢堂などについては後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒359-1153埼玉県所沢市上山口2214(地図)
アクセス 西武球場前駅から徒歩5分
入間ICから車で20分
駐車場 15台(無料)
営業時間 09:00-16:00
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 別格本山 狭山山不動寺
所要時間 40分程度

 

境内

勅額門

不動寺の境内は西武球場の北側にあります。こちらは境内東端の出入口。

右の寺号標は「別格本山 狭山山不動寺」。

門柱の先には勅額門(ちょくがくもん)が南東向きに建っています。

 

勅額門は、四脚門、切妻、銅板葺。

1632年(寛永九年)建立。2代将軍徳川秀忠の霊廟の門として、3代将軍家光によって増上寺(東京都港区)に造られたもの。

「旧台徳院霊廟勅額門、丁子門及び御成門」3棟として国指定重要文化財

 

向かって左の柱。

柱から内側(写真右)に腕木を伸ばし、先端に置いた平三斗で軒桁を受けています。風変わりな構造です。

腕木は大小2本が使われ、先端には禅宗様木鼻のような繰型がついています。腕木の下側には持ち送り材が添えられています。

 

向かって右の柱。

柱は上端が絞られ、頭貫に禅宗様木鼻がついています。柱上の組物は出三斗。

軒桁には牡丹と唐草が描かれています。

 

右側面。

柱はいずれも円柱が使われています。中央の主柱は棟木の近くまで伸び、頂部の頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

前後の柱間は貫でつながれ、主柱と軒桁とのあいだには短い妻虹梁がわたされています。

破風板は赤く彩色され、拝みと桁隠しに鰭付きの三花懸魚が下がっています。

 

内部の通路部分には太い虹梁がわたされています。虹梁には金色の彩色で雲が描かれています。

扁額は徳川秀忠の戒名「台徳院」。この字は後水尾天皇の宸筆とのこと。

 

扁額の後方の欄間にも彫刻があります。題材は牡丹に戯れる唐獅子。

欄間彫刻の上には頭貫と台輪が通っています。台輪の上の中備えは平三斗と鳳凰と思しき鳥の彫刻。

 

向かって右の妻面を内部から見た図。写真右が正面側です。

 

後方の控柱のあいだには虹梁がわたされ、通常の四脚門と同じ構造になっていました。

虹梁には牡丹唐草や神獣が描かれ、中備えは極彩色の平三斗。

 

背面。

門は四半敷きの石畳の上に建ち、門扉は桟唐戸が使われています。

 

御成門

勅額門をくぐると、階段の先に御成門(おなりもん)が鎮座しています。

梁間1間・桁行2間、一間一戸、切妻(妻入)、銅瓦葺。

1632年建立。「旧台徳院霊廟勅額門、丁子門及び御成門」3棟として国指定重要文化財

 

先述の勅額門と同様に、この門も徳川家光によって父・秀忠の霊廟として増上寺に造られたものです。

屋根の様式は妻入りの切妻で、門の様式としてはきわめてめずらしいです。国宝重文の門でこのような屋根のものは、私の知る範囲では誓願寺山門(青森県弘前市)くらいしか例がありません。

 

正面の軒下。

勅額門は桃山風の極彩色でしたが、こちらは赤を基調とした配色です。

 

破風板は銅板でカバーされ、三葉葵の紋が彫金されています。

破風板の拝みには、三花懸魚を変形させたような形状の懸魚。桁隠しにも独特な形状の懸魚が下がっています。

 

妻飾りは二重虹梁。

大虹梁の上には金色の天女の彫刻が置かれ、その左右には板蟇股。板蟇股の外側にも金色の雲の彫刻があります。

板蟇股の上には木鼻のような部材があり、皿斗を介して桁と二重虹梁を受けています。二重虹梁の上にも同様の板蟇股と木鼻が使われ、棟木を受けています。

 

向かって右の柱。

屋根の形式も独特でしたが、柱のまわりの装飾も独特です。

 

柱は円柱で、上端に逆蓮が彫られています。柱上の台輪には禅宗様木鼻。虹梁の位置には銅板の飾り金具がつき、角ばった形状の木鼻がついています。

虹梁木鼻の下には雲状の板材があります。その下には腰貫が通り、虹梁のものに似た角ばった木鼻がついています。

 

正面の柱間には虹梁がわたされています。虹梁は渦状の絵様が彫られ、両端の袖切の下面に持ち送りが添えられています。

虹梁中備えは波の彫刻と板蟇股。その上の台輪の中備えは、波の彫刻と組物(出組)が使われています。

 

右側面。

側面は2間。こちらも虹梁と台輪の上に波の彫刻があります。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

背面。

正面とほぼ同じ造りで、こちらも二重虹梁に天女の彫刻があります。

 

正面から内部を見た図。

内部には桟唐戸が設けられています。桟唐戸の外側には、火灯状曲線の枠が設けられています。

主柱(扉筋の柱)と控柱とのあいだには火灯窓が設けられています。火灯窓は窓枠に波状の意匠がつき、盲連子が張られています。

 

桟唐戸の手前の空間には天井が張られ、中央の円い部分には竜と思しき天井画が描かれています。

 

総門と本堂

御成門から左手(西)へ参道を進むと、本堂の手前に総門があります。

総門は、一間一戸、薬医門、切妻、銅瓦葺。

造営年不明。

長州萩藩毛利家の江戸屋敷の門として建てられたもののようです。地方を代表する大大名の屋敷の遺構として価値があると思うのですが、文化財指定はとくにないようです。

 

内部向かって左側。写真左が正面です。

写真中央の主柱から腕木(男梁)を持ち出し、太い桁を介して軒裏を受けています。腕木の下には短い梁(女梁)が添えられています。

 

主柱は角柱が使われ、太い冠木がわたされています。冠木の扁額は山号「狭山山」。

 

後方には控柱が立てられています。主柱と控柱とのあいだは、梁や貫でつながれています。

門扉は桟唐戸。

 

破風板の拝みには鰭付きの猪目懸魚。

大棟鬼板には毛利家の家紋「一文字に三つ星」があしらわれています。

 

総門の先には本堂(護摩堂)。

宝形、鉄板葺。

 

第一多宝塔

本堂向かって右(東側)には第一多宝塔が鎮座しています。

三間多宝塔、本瓦葺。

1607年(慶長十二年)造営(上層の隅木の墨書より)、1961年移築。県指定有形文化財。

もとは大阪府高槻市の畑山神社にあり、別当寺の永福寺の多宝塔として建てられたもののようです。

 

下層。

正面側面ともに3間。柱間は、中央が板戸、左右は連子窓。連子窓の下には長押が打たれ、板壁が張られています。

母屋の周囲には切目縁がまわされています。欄干はありません。

 

正面中央の柱間。

柱は円柱で、軸部は長押と貫で固定されています。柱上の組物は二手先。

組物のあいだの中備えは蟇股。竜の彫刻が入っています。

 

向かって右。

こちらは中備えに蓑束が使われています。

頭貫には拳鼻。

 

上層。亀腹の上に円形の縁側と母屋が造られています。

上層も柱は円柱。組物は和様の尾垂木四手先。

軒裏は上層下層ともに平行の二軒繁垂木。

 

頂部の宝輪。

路盤の上に反花、九輪、頂部に宝珠といった構成。

 

勅額門、御成門、総門、第一多宝塔については以上。

後編では弁天堂、丁子門、第二多宝塔、羅漢堂などについて述べます。