今回も埼玉県所沢市の不動寺について。
当記事では弁天堂、丁子門、第二多宝塔、羅漢堂などについて述べます。
弁天堂

本堂向かって左(西側)には六角形の弁天堂が鎮座しています。
六角円堂、本瓦葺。
1659年から1693年の造営と考えられます。1948年移築。
井伊直孝の息女が父の供養のため、滋賀県彦根市の清凉寺に寄進したもので、もとは経蔵として使われていました。現在は東京上野の不忍池弁天堂の分霊が祀られているとのこと。

正面の軒下。扁額は「辨財天」。
正面の柱間には桟唐戸が使われ、扉を開いた内側には蔀が入っています。
軒裏は放射状の二軒繁垂木。


柱は円柱で上端が絞られ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出組で、六角形の母屋にあわせて変形させたものが使われています。
台輪の上の中備えには、何らかの故事を題材にした彫刻があります。

向かって右側の2面。
柱間は横板壁。台輪の上の中備えは正面と同様で、彫刻があります。
縁側は切目縁がまわされ、欄干は擬宝珠付き。
丁子門

本堂と弁天堂とのあいだの通路を進み、境内北側へ行くと、あまり目立たない場所に丁子門(ちょうじもん)が北面しています。
桁行1間・梁間1間、平入唐門、銅瓦葺。
1632年(寛永九年)建立。「旧台徳院霊廟勅額門、丁子門及び御成門」3棟として国指定重要文化財。
勅額門や御成門と同様に、台徳院(徳川秀忠)の霊廟の一部として造られたものです。なお、こちらの丁子門は、徳川秀忠継室の崇源院*1の霊廟の通用門だったようです。

柱間に通る頭貫には、銅板の飾り金具で三葉葵の紋があしらわれています。
頭貫の上の中備えは蟇股。蟇股は2つあり、蟇股の上には双斗が乗って、実肘木を介して軒桁を受けています。
軒桁は菱形のパターンの文様が描かれていますが、軒桁、蟇股ともに経年で退色してしまっています。

右側面(西面)。
前後をつなぐ頭貫にも三葉葵の紋があります。中備えは蟇股。
蟇股の上には妻虹梁がかかり、笈形付き大瓶束が棟木を受けています。

柱は上端の絞られた円柱。頭貫の位置に木鼻がついています。
柱上の組物は独特な形状。大斗をベースにして、繰型のついた肘木や木鼻を組んでいます。
また、軒桁の妻虹梁の位置に尖った形状の木鼻がある点も独特です。

側面の柱間には火灯窓。窓の内には格子が入っています。
窓の下には腰貫と束が入り、板壁が張られています。

破風板の拝みと桁隠しには、銅板でカバーされた懸魚が下がっています。
拝み懸魚や屋根の棒瓦にも三葉葵の紋があります。
康信寺と第二多宝塔

本堂から参道に戻り、境内東側へ進むと、2棟の伽藍が東面しています。こちらは康信寺で、不動寺の塔頭と思われます。
康信寺本堂は、一重、裳階付き、銅板葺、入母屋、向拝1間 向唐破風、桟瓦葺。

正面の向拝部分。扁額は「仰高」。
扁額の上の虹梁には笈形付き大瓶束が立てられ、兎毛通は雲状の懸魚が下がっています。

向かって左の向拝柱。
向拝柱は細い几帳面取り角柱。虹梁の位置に木鼻がつき、柱上は出三斗。
裳階、向拝、屋根、3つの軒が直交して重なり、入り組んだ取り合いになっています。

向拝内部には格天井が張られています。母屋の扁額は寺号「康信寺」。
母屋柱は角柱で、柱上は出三斗。

康信寺の右隣には第二多宝塔。
三間多宝塔、本瓦葺。
1435年(永享七年)造営、1964年移築。赤松教康によって兵庫県加東市の椅鹿寺に造られたもの。
室町前期の建築なので国の重要文化財になってもおかしくないのですが、文化財指定はないようです。

下層。
正面は3間。柱はやや細い円柱が使われ、軸部の固定には長押が多用されています。
柱間は、中央が板戸、左右各1間が連子窓。

縁側は切目縁がまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

組物は和様の尾垂木二手先。中備えはありません。
組物には木鼻がありますが、頭貫木鼻は使われていません。
下層の軒裏は平行の二軒繁垂木。

上層。
こちらの軒裏は放射状の二軒繁垂木で、禅宗様の技法です。

上層の組物は尾垂木四手先。隅へ伸びる組物には、雲肘木のような部材が使われています。

頂部の宝輪。
路盤、反花、九輪、頂部に宝輪といった構成。九輪の上と隅棟とのあいだは鎖でつながれています。
大黒堂と鐘楼

第二多宝塔の近くには、大黒堂が南面しています。
入母屋、向拝1間、本瓦葺。
造営年不明。1963年に奈良県安堵町の極楽寺から移築されたもの。

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上の組物は皿付きの出三斗。
虹梁中備えは蟇股。木鼻は象鼻です。

母屋柱は角柱で、柱上は舟肘木。
柱間は正面側面ともに3間。正面は格子の引き戸、側面は連子窓が設けられています。

大黒堂入口から通路をはさんだはす向かいには鐘楼。
切妻、本瓦葺。

柱は円柱。頭貫の位置に小ぶりな木鼻がつき、木鼻は若葉の意匠のものと渦状の線彫りのものが使い分けられています。
柱上の組物は大斗と舟肘木。

柱間は貫でつながれています。頭貫の中備えは板蟇股。
妻虹梁の上では大瓶束が棟木を受けています。
軒裏は一重まばら垂木。
羅漢堂

鐘楼の向かいには羅漢堂があります。こちらは羅漢堂の手前にある山門。
山門は、薬医門、切妻、銅板葺。
造営年不明。虎ノ門の田中平八郎邸から1954年に移築されたもの。

主柱は円柱で、桟唐戸が設けられています。桟唐戸の羽目板には三葉葵の紋。
主柱の上には冠木がわたされています。

向かって右の主柱。
主柱の上から前方へ梁が伸びており、その下側には繰型のついた腕木が添えられています。
梁の上の妻飾りは板蟇股。

山門の先には羅漢堂があります。
桁行3間・梁間3間、宝形、正面軒唐破風付、銅板葺。
1895年造営。
井上馨の還暦を祝って、井上馨の邸宅(港区の麻布にあった)に造られたもの。天皇からの下賜金をもとに、山県有朋、伊藤博文、大隈重信らの発願で造られました。外観は東大寺二月堂の経堂を模倣したとのこと。昭和の戦災でも焼失を免れ、戦後に現在地に移築されています。堂の周囲にある灯篭は、台徳院霊廟から移設されたものです。


柵や灯篭に阻まれて詳細を確認できませんが、桟唐戸、火灯窓といった禅宗様の意匠が多く使われているのが確認できます。
桜井門

大黒堂と羅漢堂の左側を通って境内北へ進むと、道の先に桜井門があります。こちらは門の背面側です。

正面図。
薬医門、切妻、本瓦葺。
造営年不明。
奈良県十津川村の桜井寺の山門として造られたもの。桜井寺は幕末に天誅組の本陣として利用されたとのこと。

向かって左の主柱。面取り角柱が使われています。
主柱から前方に腕木と梁が突き出て、花肘木のような部材を介して軒桁を受けています。腕木と梁の先端には繰型がついています。

向かって左の妻面を内側から見た図。
梁の上の中備えは、雲の意匠の蟇股。
妻虹梁の上では笈形付き大瓶束が棟木を受けています。大瓶束には大ぶりな結綿がつき、左右の笈形は渦のような形状です。

背面の軒下。
背面の控柱のあいだには虹梁がわたされ、木鼻がついています。中備えは蟇股。
以上、不動寺でした。
(訪問日2024/05/31)
*1:通称は江。浅井長政の三女で、淀殿の妹にあたる。徳川家光、徳川忠長の実母。