今回は青森県弘前市の誓願寺(せいがんじ)について。
誓願寺は弘前城の北西に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は光明山。
創建は1596年(慶長元年)。津軽為信が母の菩提寺として開いたのがはじまり。当初は大光寺村(現 平川市)にありましたが、弘前城の造営にともない、津軽信枚によって1615年(元和元年)に現在地に移転されました。その後は藩の庇護を受けて隆盛しますが、たび重なる火災で衰微しています。
現在の境内伽藍はおもに明治以降のもの。ただし国重文の山門は江戸中期から火災を免れて現存し、類例の見られない特殊な様式をしています。また、津軽家の重臣として知られる沼田佑光(面松斎)の墓もあります。
現地情報
所在地 | 〒036-8364青森県弘前市新町247(地図) |
アクセス | 中央弘前駅から徒歩30分、または弘前駅から徒歩45分 弘前大鰐ICから車で25分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
山門
誓願寺の境内は南東向き。
弘前城の北に境内があり、入口で後ろを振り返ると遠くに禅林街の木立が見えます。
本堂の手前には、非常に個性的な姿をした山門があります。
一間一戸、四脚門、二重、切妻(妻入)、こけら葺。
江戸時代中期の造営*1。国指定重要文化財。
門に妻入の屋根が採用されているという点だけでも風変わりですが、二重の四脚門というのは類例がありません。異例中の異例といえる建築様式であり、東北でも屈指の珍物件と言えます。
境内案内板*2では“量感あふれる力作”、“地方色豊かな建物”と評されています。
下層の正面。
前方の控柱には頭貫と台輪が通り、頭貫の下部には繰型のついた持ち送りが添えられています。台輪の上の中備えは蟇股。
蟇股の上は虹梁がわたされ、笈形付き大瓶束が立てられています。
虹梁の上の大瓶束は、斜めに紅白で塗り分けられています。大瓶束の中ほどから、左右に斗栱が出ているのも風変わり。
左右に添えられた笈形も、あまり見かけない独特の形状。
大瓶束の上部には、手前と左右に象鼻がついています。雲の意匠で、極彩色に塗り分けされています。
虹梁の両端には小さな大瓶束が立てられ、下層の屋根の棟木(桁?)を受けています。
内部の通路部分にも虹梁がわたされ、その上の欄間は彩色された菊唐草の彫刻が入っています。
門扉は緑色の連子が入った桟唐戸。
主柱および控柱の上端は、わずかに絞られています。
控柱の上部の頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物は出三斗。
左側面(西面)。
主柱(中央の柱)は円柱、前後(写真では左右)の控柱は角柱がつかわれています。この点だけを見れば、四脚門として標準的な造りです。
上層。
柱間に頭貫と台輪が通っている点は下層と同じ。ただし頭貫は菱形の幾何学的なパターンの文様が描かれています。
柱上の組物は出三斗。中備えにも出三斗があり、その左右には干支が描かれています。右は午(馬)、左は未(羊)。
妻虹梁の上では笈形が棟木を受けています。
上層の右側面。
下層と同様、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
こちらは頭貫の下の四角い枠内に干支が描かれています。右から寅、卯、辰、巳。
背面。
こけら葺の屋根が重なり、重厚な印象。
上層および下層の屋根の破風板には懸魚が下がっていますが、訪問時は修理工事中だったため養生がついていました。本来は鶴と亀を彫った懸魚が下がっているようで、この門は「鶴亀門」という別名もあるらしいです。
本堂
山門の先には本堂。
入母屋(妻入)、向拝1間 切妻(妻入)、鉄板葺。
本尊は阿弥陀如来。
向拝柱は几帳面取り角柱。
側面には象鼻、柱上は出三斗。
虹梁中備えは蟇股。その上の扁額は山号「光明山」。
妻飾りは二重虹梁で、小ぶりな笈形付き大瓶束が使われています。
本堂向かって左には、沼田面松斎顕彰像。
面松斎こと沼田祐光(?-1612)は上野国沼田*3の出身といわれます。経緯は不明ですが津軽為信の「軍師」となり、主君の津軽統一に貢献した人物。占術に精通していたらしく、弘前城の縄張りや町割りは彼の立案をもとに造られたとのこと。
当寺には沼田祐光をはじめ、弘前藩の藩士の墓がいくつかあるようです。
以上、誓願寺でした。
(訪問日2022/04/09)