甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【成田市】新勝寺(成田山) その1 総門、仁王門

今回は千葉県成田市の新勝寺(しんしょうじ)について。

 

新勝寺は成田市街に鎮座する真言宗智山派の大本山です。山号は成田山。通称は成田山新勝寺。

創建は940年(天慶三年)。朱雀天皇の勅命を受けた寛朝が、平将門の乱の鎮圧を祈願するため当地で祈祷をしたのがはじまり。平安時代から鎌倉時代は源氏の庇護を受けて隆盛しましたが、室町後期には戦乱の中で荒廃したようです。江戸時代には江戸幕府や水戸徳川家の庇護を受けて復興し、江戸中期に初代市川團十郎が当寺に深く帰依したことで、江戸の庶民からも広く信仰を集めました。現代に至っても、国内でもっとも参詣者の多い寺院とされます。

現在の境内伽藍は江戸後期から近現代にかけて整備されたもので、広大な境内には多数の伽藍が点在しています。伽藍は彫刻で満たされた派手な三重塔をはじめとする5棟が国重文のほか、本尊の不動明王像も国重文に指定されています。

 

当記事ではアクセス情報および総門と仁王門について述べます。

大本堂、三重塔、一切経蔵については「その2」

釈迦堂と出世稲荷については「その3」

額堂、光明堂、薬師堂については「その4」をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒286-0023千葉県成田市成田1(地図)
アクセス 成田駅から徒歩15分
成田スマートICから車で10分
駐車場 なし(※周辺にコインパーキング多数あり)
営業時間 06:00-16:00
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 大本山成田山新勝寺
所要時間 1.5時間程度

 

境内

総門

新勝寺の境内は南向き。成田駅から新勝寺までの道中は歩行者天国で、観光客向けの店が立ち並んでいました。

境内入口には総門。

五間三戸、楼門、入母屋、正面背面軒唐破風付、銅瓦葺。

2006年竣工。大林組と金剛組による施工とのこと。

 

柱の配置で判断すると五間三戸(柱間が正面5間で、うち3間が通路になっている)という建築様式なのですが、左右両端の1間が狭いため、規模的に三間三戸や三間一戸の門と大差ありません。

 

下層。柱は円柱が使われ、中央の3間が通路となっています。

柱間には虹梁がわたされ、中備えは蟇股。柱から挿肘木の斗栱が出て、虹梁を持ち送りしています。

台輪の上には組物がびっしりと並び、上層の縁側を受けています。

 

柱の上部には頭貫と台輪が通り、頭貫には唐獅子の頭の彫刻。金網がかかっていて彫刻が見づらいのが残念。

柱上の組物は二手先の出組。

 

側面は2間。

こちらも台輪の上に詰組が並んでいます。

 

柱は八角形の礎石の上に立ち、飾り金具がついています。

 

内部は小組の格天井。

こちらも虹梁中備えに蟇股があり、挿肘木の持ち送りがついています。

 

上層も正面5間。柱間は桟唐戸や火灯窓。

中央の軒先に唐破風が設けられています。その下の扁額は山号「成田山」。

 

上層の組物は和様の尾垂木三手先。詰組です。

縁側の欄干は擬宝珠付き。親柱の擬宝珠は禅宗様の逆蓮。

 

上層の側面。

軒裏は二軒繁垂木。禅宗様の扇垂木です。垂木の先端には飾り金具。

 

背面の全体図。

各所の意匠は正面とほぼ同じ。こちらも中央の軒先に唐破風がついています。

 

仁王門

総門の先には急な石段があり、その上に仁王門が建っています。

三間一戸、八脚門、入母屋、正面千鳥破風付、正面背面軒唐破風付、銅板葺。

1830年(文政十三年)造営。「新勝寺 5棟」として国指定重要文化財。

 

正面は3間で、中央の1間が通路。

 

中央の通路部分には巨大なちょうちんがかかっています。扁額は山号「成田山」。

柱間には虹梁がわたされ、虹梁両端の下部には、彫刻の入った持ち送りが添えられています。

金網がかかっていて彫刻が観察しづらいのが惜しいです。

 

正面中央の軒唐破風。

唐破風の虹梁には若葉の絵様。その上の小壁は、花鳥らしき彫刻。

 

向かって左の柱間。

柱はいずれも円柱。上部に頭貫と台輪が通り、頭貫には唐獅子の彫刻。

飛貫と頭貫のあいだの欄間には、故事を題材とした彫刻が入っています。彫刻は後藤亀之助という工匠の作とのこと。

組物は二手先で、柱間にも詰組が置かれています。詰組のあいだには鳥獣を題材とした小さな彫刻が入っているのですが、金網に阻まれてよく見えず。

 

右側面(東面)。

側面は2間。柱間は板壁で、柱の根元には黒い金具がついています。

 

側面の軒下にも彫刻。側面中央の柱は、唐獅子ではなく獏の彫刻。

 

右側面後方の欄間の彫刻。

題材は「司馬温の甕割り」。水がめに落ちて溺れている子供を助けるため、かめをたたき割るという話。よく見かける題材です。

 

こちらは背面向かって右の欄間の彫刻。

題材は『捜神記』の「北斗星と南斗星」。早死にを宣告された若者が、死をつかさどる北斗星(碁盤の左に座る老人)に延命を頼み込む場面。

ほかの柱間にも欄間彫刻がありましたが、私には題材がわからなかったので割愛。

 

正面だけでなく、背面にも軒唐破風がついています。

兎毛通は、竜の顔をした怪鳥の彫刻。

 

軒裏は二軒繁垂木。垂木が放射状に伸び、扇垂木となっています。

 

通路上の、ちょうちんがかかっている場所を、後方から見た図。

内部の通路部分には虹梁がわたされ、両端には波の意匠の持ち送り。

 

内部の左右の欄間にも彫刻。上の写真は鳳凰。

 

後方から全体を見下ろした図。

 

仁王門の周辺

仁王門の手前、参道左手には手水舎。

切妻、銅板葺。

象鼻、組物、蟇股、懸魚などの意匠が使われています。軒裏は一重の吹き寄せ垂木。

 

仁王門の手前、参道左手には光輪閣。信徒向けの斎場のようです。

光輪閣の門は、一間一戸、四脚門、切妻、桟瓦葺。

 

正面の軒下。

柱は円柱。柱の上部には頭貫と台輪が通り、組物は尾垂木二手先。

軒裏は二軒重垂木。

 

頭貫には見返り唐獅子の彫刻。手に持った鞠は、輪違の文様の透かし彫りで、かなり力の入った造形に見えます。

 

反対側、正面向かって右の見返り唐獅子。

こちらは鞠のかわりに牡丹の花を持ち、その茎を口にくわえています。

 

妻飾りは二重虹梁。

大虹梁の下の支輪板には、菱形の文様。

暗くて見えないですが、二重虹梁の上には束が立てられています。

破風板の拝みには鰭のついた懸魚。

 

背面。

こちらも柱の側面に見返り唐獅子がありますが、正面のものほど凝った造形ではありませんでした。

 

門の先には光輪閣。

RC造、二重、入母屋、銅板葺。正面の車寄せは向唐破風。

1975年竣工。

 

仁王門の先の石段を参道左手にそれると、こわれ不動堂なるものがあります。

何度修理しても壊れることが名前の由来で、現在の堂は明治期のものらしいです。

梁間1間・桁行1間、向唐破風、銅板葺。

 

屋根は向唐破風。

破風板の兎毛通には鶴の彫刻がありますが、金網で厳重に保護されています。

 

母屋正面には桟唐戸。扉の上下左右の欄間にも彫刻。

軒下は詰組が並んでいますが、金網でよく見えず。

 

向かって左の側面。

壁面には唐獅子の彫刻。

 

総門と仁王門については以上。

その2では、大本堂、三重塔、一切経蔵について述べます。