甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】興正寺 前編(三門と御影堂)

今回は京都府京都市の興正寺(こうしょうじ)について。

 

興正寺は西本願寺の南に隣接する真宗興正派の本山です。山号は円頓山。

創建は不明。寺伝によると1212年に親鸞が山科に開いた寺院が前身で、順徳天皇の勅願により興正寺と号したとのこと。事実上の創建は1328年頃で、第7世・了源によって汁谷(現在の東山区)に移転し、後醍醐天皇によって「佛光寺」の寺号を与えられました。

室町後期から桃山時代にかけては本願寺と行動を共にし、寺号を興正寺に復しましたが、応仁の乱や石山合戦などの兵火で荒廃し、1591年に豊臣秀吉の命で現在地へ移転しました。江戸時代には、隣接する西本願寺とともに隆盛しました。1876年には本願寺派から独立して真宗興正派となり、巨大な本堂を建立したようですが、1902年に火災で焼失しました。

現在の境内伽藍は江戸後期から明治にかけてのもので、東西の本願寺と同様に大きな御影堂と阿弥陀堂が並立しています。

 

当記事ではアクセス情報および三門と御影堂について述べます。

鐘楼、阿弥陀堂、経蔵などについては後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒600-8261京都府京都市下京区花園町70(地図)
アクセス 梅小路京都西駅から徒歩10分、または京都駅から徒歩15分
駐車場 なし
営業時間 06:00-17:00
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 本山興正寺
所要時間 20分程度

 

境内

三門(楼門)

興正寺の境内は東向き。入口は国号1号線、堀川通に面しています。

向かって右奥は西本願寺の境内で、一見すると西本願寺の一部のようにも見えます。

 

入口の三門は、三間三戸、楼門、入母屋、本瓦葺。

1912年建立。

 

下層。

正面は3間で、3間すべてが通路となっています(三間三戸)。

正面と背面の柱筋には、壁や建具はありません。

 

正面中央の柱間。

柱はいずれも円柱で、上端が絞られています。

柱間には飛貫虹梁がわたされ、虹梁両端には持ち送りが添えられています。飛貫虹梁の上の中備えは蟇股。

柱の上部には頭貫と台輪が通っています。台輪の上の中備えは蓑束。

 

向かって左の柱。

飛貫虹梁の位置には、正面と側面に唐獅子の木鼻がついています。

 

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は二手先。

 

内部中央の通路部分。奥に見えるのは御影堂。

柱の脇の欄間部分には、唐草の彫刻が入っています。

 

通路部分を背面側から見た図。

門扉は桟唐戸で、頭貫に藁座をつけて軸を受けています。

 

桟唐戸の羽目板。

中央には菊、その周囲には唐草が彫られています。

 

上層。

こちらも正面3間です。

軒裏は放射状の二軒重垂木。

金網がかかっていて詳細の確認が難しいですが、中備えの蟇股や、頭貫と台輪の木鼻、尾垂木三手先の組物が確認できます。

 

左側面(南面)。

側面の柱間には、格子戸が入っています。

入母屋破風の妻飾りは二重虹梁。

 

背面から見た図。

各所の意匠は正面と同様で、ほぼ前後対称の構造となっています。

 

御影堂

三門の先には、当寺の本堂に相当する御影堂が鎮座しています。

入母屋、向拝3間、本瓦葺。

1912年(明治四十五年)建立。

 

向拝は3間。

 

向拝柱は几帳面取り角柱で、上端が絞られています。側面には獏の木鼻。

柱上の組物は皿付きの連三斗。獏の頭に巻斗が乗り、組物を持ち送りしています。

虹梁はシンプルな渦状の絵様が彫られたもので、中備えの蟇股には鶴乗り仙人(王子喬)が彫られています。

 

向拝を左側(南)から見た図。

軒裏を受ける手挟にも彫刻がありますが、金網に阻まれ詳細を確認できず。

縋破風の桁隠しは、波の彫刻。

 

母屋部分は、前方と両側面の各1間通りが吹き放ちの庇の空間となっており、1間奥まった筋に壁や建具が設けられています。西本願寺の御影堂と同様の構造です。

 

庇部分の正面中央の軒下。

柱は上端が絞られた円柱。柱間には虹梁がわたされ、その上に台輪が通っています。

中備えは蟇股と組物が使われています。

 

隅の柱。

虹梁と台輪には禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は尾垂木三手先。

 

母屋の前面の扉はいずれも桟唐戸。

 

側面は桟唐戸と板戸が使われています。

 

縁側および庇の後方は、脇障子のような格子戸を立ててふさがれていました。

 

母屋の軸部は長押と虹梁でつながれ、飛貫虹梁には唐獅子の木鼻があります。飛貫虹梁の上の中備えは笈形付き大瓶束。

頭貫虹梁の上の中備えは蟇股。彫刻がありますが、詳細が見えず題材不明。

柱上の組物は尾垂木三手先です。

 

左側面と妻壁。

妻飾りは二重虹梁で、大瓶束や蟇股が使われています。妻壁中央の蟇股には、鳳凰の彫刻。

破風板は銅板でカバーされ、拝みと桁隠しに三花懸魚が下がっています。

 

御影堂向かって右手前には手水舎。

入母屋、本瓦葺。

 

柱は几帳面取り角柱。上端が絞られています。柱と梁をつなぐ持ち送りの金具は、猪目(ハート形)の穴が開けられています。

頭貫には木鼻。頭貫の上には台輪が通っています。

柱上は出三斗。

 

台輪の上の中備えは蟇股。こちらの彫刻は竜。

 

三門、御影堂については以上。

後編では鐘楼、阿弥陀堂、経蔵などについて述べます。