今回は長野県上田市の高仙寺(こうせんじ)について。
高仙寺は市の北端の山中に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は驚覚山。
創建は寺伝によると806年(大同元年)。坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折に当地に堂宇を建立したのがはじまりで、当寺は大日堂の別当として開かれたとのこと。当初の伽藍は“方十二間四面の伽藍及朱門十二坊仁王門”*1の立ち並ぶ大規模なものだったらしいです。室町時代に現在の大日堂が再建され、1548年(天文十七年)に武田氏の侵攻(上田原の戦い)で諸堂を焼失したものの、大日堂は延焼を免れました。
現在の高仙寺の境内伽藍は戦後のものと思われますが、境内の裏手に建つ大日堂は室町時代の造営とされる大規模な堂宇であり、市の文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒386-1106長野県上田市小泉2075(地図) |
アクセス | 西上田駅から徒歩1時間 坂城ICから車で20分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
本堂など
高仙寺の境内は南東向き。境内は丘陵の斜面に立つ集落の最奥部にあります。
山門などはとくにありません。
本堂入口の塀。
壁はかまぼこ状に盛られ、屋根は垂木のない化粧屋根裏の切妻。
本堂は、入母屋、向拝1間 向唐破風、銅板葺。
本尊は大日如来。
向拝の中備えは板蟇股。
唐破風の妻飾りは大瓶束。
破風板の兎毛通には猪目懸魚が下がっています。
向拝柱は几帳面取り。正面と側面には象鼻。
柱上の組物は出三斗で、実肘木を使わずに妻虹梁の眉欠きの部分を受けています。
向拝と母屋の柱のあいだには、まっすぐな梁が渡されています。中備えには間斗束が立てられ、こちらも実肘木を使っていません。
向拝の軒下には格天井が張られています。
母屋前面には、桟唐戸や舞良戸のデザインの引き戸が使われています。
扁額は寺号「高仙寺」。
母屋柱は角柱で、柱上は舟肘木。
妻壁には束が立ち、豕扠首のような三角形になっています。
破風板の拝みは猪目懸魚。
本堂の手前、参道右手には鐘楼。
入母屋、銅板葺。
柱は面取り角柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上は出三斗。
飛貫虹梁の上の中備えは蟇股。台輪の上の中備えは平三斗。
内部は格天井。
参道
本堂の西側には並木の参道が伸び、大日堂へとつづいています。
趣のある並木道がふもとから伸びていて、本来はそちらが表参道なのですが、それとは別に車道や駐車場が整備されているため、表参道で登ってくる人は少数かと思われます。
参道および並木は「高仙寺参道並木」として市指定記念物。参道の全長は350メートル、樹種はスギが主で、樹齢300年程度とのこと。
参道右脇にはこのような小屋があり、内部に化石が保存されています。
化石は「小泉のシナノイルカ」として県指定天然記念物。
当地は海からかなり距離のある場所ですが、1000万年前の長野県周辺は海面下にあったようで、長野市や松本市の山中でもクジラの化石が見つかっています。
大日堂(小泉大日堂)
境内の最奥部には大日堂が鎮座しています。
桁行5間・梁間5間、宝形、銅板葺。
室町時代中期の造営と考えられています*2。市指定有形文化財。
宝形(ピラミッドのような四角錐の屋根形状)の堂として、県内最大規模とのこと。宝形は小規模な開山堂などでよく採用される様式のため、これだけの規模のあるものは国内でもそう多くないと思います。
右側面(東面)。
正面側面ともに5間ですが、前方2間は吹き放ちの外陣です。そして左右両側面(脇陣)と背面の1間通りも、外陣とひとつづきの空間となっています。内陣は正面3間・側面2間だけです。
平面構造は中世の密教本堂の典型と言ってよさそうですが、壁や建具が内陣周辺にしかなく、きわめて開放的な造りとなっている点は、密教本堂として特異だと思います。
大規模かつ特異な構造をしているため、もし成立の過程や造営年がわかる史料が見つかれば、国指定かそれに準ずる文化財になれるのではないでしょうか。
正面は5間。中央の柱間には、大きな鰐口が吊るされています。
前面と側面背面を吹き放ちの外陣としていますが、見かたを変えれば「屋根を大きくして縁側にも柱を立てた」*3とも解釈できるかもしれません。
柱は円柱。頭貫には繰型のついた木鼻。
柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えは間斗束。
正面中央の部分だけ、中備えは特別に蓑束が使われています。
外陣内部の柱も円柱。こちらも頭貫木鼻、間斗束があります。
正面側面5間のうち、周囲1間通りは庇というあつかいのようで、その部分は天井がなく化粧屋根裏です。
内陣部分の柱間には、縦板壁が張られています。
扁額は「遍照閣」。
頭貫の上の中備えは透かし蟇股。
当然ながら内陣にも円柱が使われています。
頭貫に木鼻が付き、中備えに間斗束がある点も同様。
背面。こちらは目立った意匠がなく簡素。
大日堂の北西の隅の軒下には、回向柱が立てかけられていました。写真中央手前の回向柱には1981年(昭和五十六年)の墨書があります。
当寺の檀家のかたの話によると、御開帳が30年に一度あり、善光寺のように堂の前に回向柱が立てられるとのこと。
以上、高仙寺でした。
(訪問日2022/12/02)