今回は山梨県南アルプス市の諏訪神社(上八田)と熊野神社(徳永)について。
諏訪神社(上八田)
所在地:〒400-0215山梨県南アルプス市上八田473(地図)
諏訪神社(すわ-)は上八田(うえはった)地区の農村に鎮座しています。境内の北側には長谷寺が隣接しています。
創建は不明。創建以来、長谷寺とともに近郷の鎮守として崇敬されています。江戸初期には幕府から社領の安堵を受けました。昭和初期には神明社が合併し、当社の境内社となりました。
境内
諏訪神社の境内は南向き。
境内は農地に面した場所にあり、農道に石造明神鳥居が立っています。鳥居の扁額は社名ではなく梶の葉の紋が描かれていました。
境内の案内板*1によると鳥居は1678年の造営とのこと。
鳥居の先へ進むと、随神門があります。
桁行3間・梁間1間、切妻、桟瓦葺。
正面中央の柱間。虹梁がわたされ、中備えは透かし蟇股。
柱は角柱で、柱上は実肘木。
向かって左の柱間。
中央(写真右)より低い位置に虹梁がわたされ、左右の両端に拳鼻がついています。
左右の柱間には床が張られ、奥まった場所に格子戸を設けて随神像を祀っています。
側面は横板壁。
妻面は梁の上に束が立てられています。
破風板の拝みには蕪懸魚。
随神門向かって左手前には手水舎。
切妻、銅板葺。
境内の中心部には拝殿。
入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
虹梁には若葉の絵様が陰刻されています。
中備えには竜の彫刻。
向拝柱は几帳面取り角柱ですが、上部が細くなっています。側面には唐獅子の木鼻。
柱上の組物は出三斗をベースとしたもの。
母屋は正面側面ともに3間。柱は角柱。
柱や束の上には実肘木が使われています。
縁側はコンクリート製。
入母屋破風には格子が張られています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。左右の鰭は若葉の彫刻。
拝殿の後方には透塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神はタケミナカタ。
一間社流造、鉄板葺。
造営年不明。案内板によると1702年(元禄十五年)に本殿が造営されたという記録があるらしく、そのときのものと思われます。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面に唐獅子の木鼻があります。
虹梁中備えは角度がついていて見づらいですが、中央に木鼻付きの平三斗、その左右に蟇股が見えます。
柱上の組物は出三斗。手挟は紅葉らしき彫刻が入っています。
向拝の下には角材の階段が5段。階段や縁側の欄干は、親柱に擬宝珠がついています。
階段の下には浜床。
母屋は正面側面ともに1間。奥まった位置に神座が設けられています。側面は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、側面後方に脇障子が立てられています。
反対側(東面)。
母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固定され、頭貫に拳鼻がついています。
中央の組物は出組。頭貫の中備えは詰組。妻虹梁の下側には切り欠きがあり、組物の巻斗にはまっています。
妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形は雲の彫刻。
破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。
本殿向かって右(東側)には神明社が南面しています。
一間社流造、鉄板葺。見世棚造。
柱はいずれも角柱。
破風板の桁隠しは菊の意匠です。
以上、諏訪神社でした。
熊野神社(徳永)
所在地:〒400-0203山梨県南アルプス市徳永1938(地図)
熊野神社は徳永(とくなが)地区の農地に鎮座しています。
創建は不明。伝承によると、もとは当社付近が徳永集落の中心地だったようで、火災により神社・集落ともに焼失したとのこと。集落が移転したのちも祭祀がつづき、正保年間(1644-1648年)に社殿が再建されたらしいです。
境内
熊野神社の境内は東向き。入口は車道に面しています。
入口には石造明神鳥居。扁額は「熊野神社」。
右の社号標は「熊野神社」。
参道右手には手水舎。
切妻、銅板葺。
破風板の懸魚の形状が独特です。
参道の先には拝殿。
宝形、桟瓦葺。
神社建築で宝形はめずらしいと思います。
本殿は、桁行正面1間・背面3間・梁間2間、三間社流造、向拝1間、銅板葺。
祭神は熊野権現と思われます。
虹梁中備えには竜らしき彫刻があります。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。
柱上の組物は出三斗をベースとしたもの。手挟は菊の籠彫り。
母屋柱は円柱。
扉は1間奥へ入った位置に設けられています。
母屋柱は円柱で、柱間は横板壁。頭貫に木鼻がついています。
柱上の組物は二手先。中備えはありません。
妻飾りは大瓶束。
破風板の拝みは蕪懸魚。桁隠しは波の彫刻。
母屋の前の階段は5段あります。階段の下には浜床。
縁の下は板状の持ち送りで支えられています。
以上、熊野神社でした。
(訪問日2024/12/14)
*1:氏子総代会の設置