今回は東京都八王子市大楽寺町(だいらくじまち)の西蓮寺(さいれんじ)について。
西蓮寺は大楽寺町の住宅地に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は凉水山。
同市石川町にも同名・同宗派の寺院があります。
創建は1429年(永享元年)、桧原村に開かれました。現在地にはかつて金谷寺という寺院があり、室町時代に造られた薬師堂が現存しています。金谷寺は1876年に火災で焼失、桧原村の西蓮寺は1892年に火災で焼失し、1895年に西蓮寺が金谷寺跡地へ移転して現在に至ります。
現在の境内伽藍のほとんどは戦後のものと思われます。薬師堂は市内最古の建築で、都内では貴重な室町時代の遺構のため、都指定有形文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒193-0816東京都八王子市大楽寺町566(地図) |
アクセス | 西八王子駅から徒歩30分 八王子ICまたは八王子西ICから車で10分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 西蓮寺ホームページ |
所要時間 | 15分程度 |
境内
山門
西蓮寺の境内は東向き。境内裏に幹線道路が通っています。
入口の山門は、三間一戸、八脚門、切妻、銅板葺。
柱は円柱。
正面3間のうち、中央1間が通路になっています(三間一戸)。
左右の柱間には火灯窓が設けられています。
中央の通路部分の柱上。
柱間には虹梁がわたされ、その上を頭貫が通っています。
柱上の組物は出三斗と平三斗。
頭貫木鼻には、唐獅子の彫刻。
中央通路部分の内部。格天井が張られています。
柱間には極太の虹梁がわたされ、豪快な波の意匠が彫られています。
側面は2間。
前方は横板壁、後方は吹き放ち。
側面や背面の頭貫木鼻は、比較的シンプルな拳鼻が使われています。
組物の上には妻虹梁がわたされていますが、妻飾りはありません。
破風板の拝みと桁隠しには、雲の意匠の懸魚。
背面。
薬師堂
山門をくぐると、右手(境内北側)に薬師堂が南面しています。
桁行3間・梁間3間、寄棟、茅葺型銅板葺。
室町時代末期の建立。都指定有形文化財。
詳細な造営年代は不明。境内案内板の解説は下記のとおり。
薬師堂は室町時代末期の建立で、虹梁などの一部に焦げた跡があります。これは、『新編武蔵風土記稿』によれば、天正十八年(1590)に六月の小田原攻めに際し、豊臣方の上杉景勝の兵が、元八王子城攻略に当たって、堂内で炊事をしていたためであると伝えられています。
建物の平面は、桁行は三間(6.82m)で、梁間は三間(6.77m)のほぼ正方形で、平屋で屋根はもともと茅葺きでしたが、今は銅板を葺いています。堂内は窓の無い閉鎖的空間で、内陣と下陣(※原文ママ)を結界(間仕切り)で分ける手法は、中世仏堂建築の特徴でもあります。
東京都教育委員会
正面および側面は3間。
柱間の建具は、桟唐戸や舞良戸が使われています。
正面中央の建具は、2つ折れの桟唐戸。桟唐戸の上の扁額は「薬師堂」。
軒裏は一重の繁垂木。
柱はいずれも角柱。室町末期のもののため、やや大きめに面取りされています。
頭貫木鼻はついていませんが、軒桁の位置に木鼻のような部材がつき、軒裏を受けています。
側面後方および背面は板壁。
縁側は、切目縁が4面にまわされています。
柱や縁塚は、礎石の上に立てられています。
本堂などの伽藍
参道をまっすぐ進むと、本堂が東向きに鎮座しています。
RC造、一重?、裳階付、宝形、向拝1間、銅板葺。
本尊は不動明王のようです。
正面の階段の欄干。
法輪と、天女のレリーフがついています。
向拝。
虹梁は黒い材が使われ、向拝柱の正面と側面には拳鼻がついています。
上層には組物のような意匠があります。
屋根の頂部には、路盤と丸い宝珠。
本堂向かって左手前には手水舎。
切妻、銅板葺。
虹梁木鼻、笈形付き大瓶束、蕪懸魚などの意匠が使われています。
虹梁中備えの蟇股。彫刻は結綿の意匠。
境内南側、墓地の入口には鐘楼。
入母屋、銅板葺。
おそらくRC造。屋根は入母屋で寺院風ですが、軒裏の垂木の意匠を大胆に省略しています。
虹梁には、見返り唐獅子の彫刻がついていました。
以上、西蓮寺でした。
(訪問日2022/03/12)