今回は長野県須坂市の浄運寺(じょううんじ)について。
浄運寺は須坂長野東ICの近くの集落に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は井上山。
創建は1213年(建保二年)とされ、当地を領した源氏の井上氏の発願を受けて開かれたとのこと。開山は法然の直弟子・角張で、県内最古の浄土宗寺院を称しています。戦国時代には川中島の戦いで荒廃し、豊臣秀吉に寺領の一部を没収されています。江戸期には天領として徳川家の庇護を受け、失った寺領を取り戻し隆盛しました。
現在の境内伽藍は江戸期のもので、近くには井上氏の氏神である小坂神社も鎮座しています。伽藍は大規模な本堂のほか、六角円堂というめずらしい様式の堂があります。
現地情報
所在地 | 〒382-0045長野県須坂市井上2618(地図) |
アクセス | 日野駅から徒歩50分 須坂長野東ICから車で5分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 井上山 無量寿院 浄運寺 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
仁王門
浄運寺の境内は東向き。浄土系の寺院は、西方を拝むために伽藍を東向きとすることが多いです。
境内は山の北側斜面にあり、仁王門は北東向き。
仁王門は、三間一戸、八脚門、切妻、本瓦葺。
積雪で屋根面がよく見えませんが、画像検索してみたところ本瓦葺でした。
正面は3間。そのうち1間が通路になっています(三間一戸)。
通路部分に掲げられた扁額は山号「井上山」。
柱は円柱で、上端が絞られています。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗。
中備えは蟇股。はらわたの彫刻は、蓮と思われる花。
側面は2間。
柱間は、下側が板壁、上側がしっくい塗りになっています。
妻壁と破風。
妻飾りは、虹梁の上に笈形付き大瓶束が置かれています。
破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。桁隠しにも雲状の彫刻がついています。
本堂
参道を進むと、迫力ある大きな本堂が東面しています。本尊は阿弥陀如来。
訪問時は積雪で山門が通行できなかったため、寺務所のほうから迂回して本堂へ進みました。
本堂は、桁行7間・梁間7間、入母屋、向拝3間・軒唐破風付、本瓦葺。
1794年(寛政六年)再建。棟梁は坂口森右衛門と竹村庄左衛門で、両名とも越後の宮大工とのこと。*1
市指定有形文化財。
向拝は3間。
軒下は多数の彫刻で飾られています。
唐破風の上の鬼瓦や大棟には徳川氏の三葉葵があります。天領だったころのなごりでしょうか。
唐破風の中央から下がる兎毛通は、牡丹と思しき花が立体的に彫られています。
向拝の中央部分。
虹梁には波状の絵様が彫られ、中備えには鳳凰の彫刻が置かれています。
その上の唐破風の小壁には、竜の彫刻。
向拝の左と右。
向拝柱は几帳面取りの角柱。前面には唐獅子の彫刻、側面には獏の彫刻がついています。
虹梁中備えの彫刻は、左右どちらも竜です。
柱上の組物は、出三斗を2つ重ねたもの。
向拝柱と母屋のあいだにわたされた繋ぎ虹梁。
繋ぎ虹梁の中央部には笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠。
大瓶束の向拝側(写真右)は、まっすぐで小さい二重虹梁で向拝の軒桁とつながっています。母屋側(写真左)は、湾曲した小さい海老虹梁で母屋の軒桁とつながっています。
笈形付き大瓶束の詳細。
結綿にも雲状の意匠が彫られています。
母屋側(写真右)の小さい海老虹梁は善光寺本堂などでも見られますが、向拝側(左)の小さい二重虹梁は初めて見ました。
母屋前面中央。扁額は寺号「清浄運寺」。
柱間の建具は桟唐戸で、その下は引き戸になっています。
母屋柱は円柱。上端が絞られています。
頭貫の上には台輪が通り、中備えは蟇股。
桁下には軒支輪。
頭貫には拳鼻がありますが、台輪は木鼻がありません。
柱上の組物は二手先。隅の組物の肘木には、雲状の彫刻が入っています。
側面の建具は舞良戸。
軒裏は二軒繁垂木。材の色が新しいため、軒裏は近年の改装で新調したのでしょう。
入母屋破風。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
妻飾りは二重虹梁で、笈形付き大瓶束が多用されています。
開山堂
本堂の南側には、開山堂と六角堂が北向きに鎮座しています。こちらは開山堂。
開山堂は、入母屋、向拝1間、銅板葺。
向拝は1間。
母屋は土間で、前面には火灯窓が設けられています。
向拝柱は角面取り。
木鼻は正面と側面にあります。形状は禅宗様の象鼻に近いのですが、平板な造形は大仏様木鼻のようにも見えます。
柱上は出三斗で、実肘木を介さずに桁を受けています。
母屋柱は円柱。節のないきれいな材が使われています。
組物は柱に肘木を挿す形式で、大仏様の挿肘木です。向拝と同様に、こちらも実肘木が使われていません。
側面。
軸部は貫と長押で固定され、頭貫木鼻はありません。
側面はいずれの柱間も白い壁になっています。
六角堂
こちらは開山堂の隣にある六角堂。
六角円堂、向拝1間、本瓦葺。
市指定有形文化財。堂内の秘仏・出山釈迦如来立像も同様に市指定有形文化財です。
案内板の解説は下記のとおり。
秘仏の出山釈迦如来立像を安置することから釈迦堂とも呼ばれる、一辺が182センチの六角形のお堂です。
向拝部の柱上には、見返りの獅子の掛鼻、欄間には龍の丸彫りの彫刻があり、立ち姿はやや高く、極めて素朴で気品のあるお堂です。内部は放射状竿縁天井で、中心部を鏡天井として龍の墨絵が描かれています。
天保年間(1831~1845)から嘉永年間(1848~1855)の再建で、宮大工棟梁の亀原和太四郎嘉博(かめはらわたしろうよしひろ)の作と伝えられています。
平成二十五年三月設置須坂市教育委員会
正面の部分には向拝が設けられています。
上記の案内板にあるとおり、中備えには竜、虹梁木鼻には見返り唐獅子が彫られています。
向拝柱はほとんど面取りされていません。柱上は皿付きの大斗をベースとした出三斗。
前面の扉は桟唐戸。ほかの面は塗り壁になっています。
背面も確認したかったのですが、深い雪に阻まれて断念。
向拝柱と母屋は、海老虹梁でつながっています。
母屋は頭貫の上に台輪がまわされ、中備えに蟇股が置かれています。頭貫木鼻はありません。
組物は、出三斗を六角の母屋に対応させた形状のものが使われています。
軒裏は二軒繁垂木で、放射状の扇垂木になっています。
屋根の頂部には露盤と宝珠。
ほか、境内には立派な鐘楼もありましたが、そちらはご住職のお家の敷地を突っ切らないと行けそうになかったため割愛。
以上、浄運寺でした。
(訪問日2022/02/18)
*1:『社寺建築を読み解く』p.102、相原文哉、2012年、ほおずき書籍