甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【須坂市】普願寺

今回は長野県須坂市の普願寺(ふがんじ)について。

 

普願寺は須坂市街東部に鎮座する浄土真宗本願寺派の寺院です。山号は大岩山。

創建は1247年(宝治元年)。堅阿坊信性によって武蔵国秩父郡の大岩という場所に「大岩山普願寺」として開かれました。寺号は1314年に本願寺の覚如から与えられたとのこと。1351年(観応二年)に信濃国高井郡の日滝(現 須坂市日滝)へ移転し、1555年(弘治元年)に現在地へ移転しています。江戸期には、須坂藩などの庇護を受けたようです。

現在の境内は江戸期に整備されたもので、江戸中期に再建された大規模な本堂が現存します。また、境内周辺は石畳が敷かれ、風情ある町並みが整備されています。

 

現地情報

所在地 〒382-0027長野県須坂市小山南原町353(地図)
アクセス 須坂駅から徒歩30分
須坂長野東ICから車で5分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト 浄土真宗大岩山「普願寺」
所要時間 15分程度

 

境内

大門

f:id:hineriman:20220309140800j:plain

普願寺の境内は西向き。めずらしい方角を向いています。

この門の先の区画には寺院が何件かあり、その一画に普願寺があります。

大門は一間一戸、高麗門、切妻、桟瓦葺。

右の寺号標は「浄土真宗本願寺派 大岩山 普願寺」。

 

f:id:hineriman:20220309140956j:plain

高麗門形式のため、後方の控柱に低い屋根がかかっています。

 

正門

f:id:hineriman:20220309141041j:plain

普願寺の境内入口には正門。

一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。

 

f:id:hineriman:20220309141106j:plain

前面には虹梁が渡され、唐草が彫られています。

虹梁中備えは木鼻付き平三斗と、蟇股。蟇股は菊が彫られています。

 

f:id:hineriman:20220309141122j:plain

四脚門は控柱を角柱とすることが多いですが、この門は控柱にも円柱が使われています。

控柱の側面は獏の木鼻、前面は頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

 

f:id:hineriman:20220309141159j:plain

門の内部。

通路上に梁がわたされ、欄間に竜の彫刻が入っています。欄間の中央には円柱の束が立てられ、束の上部には頭貫と台輪が通ります。

台輪の上では木鼻のついた平三斗が棟木を受けています。

 

f:id:hineriman:20220309141144j:plain

主柱と控柱は、貫と長押で固定されています。上部の長押の上の欄間にも彫刻が入っています。

門扉は桟唐戸。

 

f:id:hineriman:20220309141235j:plain

主柱と控柱のあいだの欄間。

羽目板には松が彫られています。

 

f:id:hineriman:20220309141302j:plain

桟唐戸。

格子状の花狭間が付き、その上下の羽目板にも花の彫刻があります。

 

f:id:hineriman:20220309141346j:plain

内部から妻面を見た図。

束のかわりに、主柱が妻飾りのところまで伸びているようです。妻飾りには笈形が置かれています。

 

f:id:hineriman:20220309141444j:plain

妻面を外側から見た図。

破風板には金色の飾り金具がつき、華やかな雰囲気。

拝みには鰭付きの蕪懸魚。桁隠しにも蕪懸魚がついています。

 

太鼓楼

f:id:hineriman:20220309141509j:plain

正門向かって左の建屋の上部には、太鼓楼が設けられています。

公式サイトによると、江戸末期に造られたとのこと。

 

f:id:hineriman:20220309141525j:plain

壁面には火灯窓が設けられ、内部に置かれた太鼓がうっすらと見えます。

火灯窓の周囲には植物の蔓の彫刻。

屋根の軒裏は二軒繁垂木。

 

f:id:hineriman:20220309141538j:plain

太鼓楼の下部は、下見板の袴腰になっています。

袴腰と上層母屋のあいだにも蔓状の彫刻が入っています。

 

鐘楼

f:id:hineriman:20220309141621j:plain

正門をくぐって右手には鐘楼。

入母屋、桟瓦葺。

1851年(嘉永四年)建立。後述の本堂とあわせて市指定有形文化財。

境内案内板(須坂市教育委員会)によると亀原和田四郎の作。亀原和田四郎は同市井上の浄運寺六角堂などを造営した棟梁。

 

f:id:hineriman:20220309141740j:plain

f:id:hineriman:20220309141753j:plain

軒下は多数の彫刻で彩られています。

柱は円柱で、頭貫には唐獅子の木鼻が、その上には台輪木鼻がついています。頭貫と台輪には独特な文様が彫られています。

欄間には鳳凰の彫刻。

組物は出組。持ち出された支輪には蔓が彫刻されています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

f:id:hineriman:20220309141821j:plain

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。破風の左右の端にも雲状の桁隠しがついています。

上の写真では暗くて見づらいですが、入母屋破風の内部にも鶴の彫刻があります。

 

本堂

f:id:hineriman:20220309141848j:plain

正門の先には、風格ある本堂が鎮座しています。

桁行7間・梁間7間?、入母屋、向拝3間・軒唐破風付、瓦棒銅板葺。

1747年(延享四年)再建。公式サイトによると、棟梁は越後国本与板村(現在は新潟県長岡市)出身の丸山武兵衛。市指定有形文化財。

本尊は阿弥陀如来。

 

f:id:hineriman:20220309141957j:plain

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上の組物は出三斗。

前面には象の頭、側面には唐獅子の頭の彫刻がついています。

虹梁は太く短い材が使われ、中備えに蟇股が置かれています。上の写真の蟇股は、牡丹に牛と思われます。

 

f:id:hineriman:20220309142037j:plain

f:id:hineriman:20220309142049j:plain

唐破風の拝みの兎毛通は、蕪懸魚。左右の鰭は、菊が立体的に彫られています。

唐破風の小壁の飾りは、大瓶束ではなく獅噛が使われています。獅噛の左右には波状の彫刻。

 

f:id:hineriman:20220309142149j:plain

海老虹梁は向拝の虹梁の高さから出て、母屋の頭貫の位置に取りついています。海老虹梁の下部は、向拝側・母屋側ともに拳鼻と巻斗で持ち送りされています。

 

f:id:hineriman:20220309142207j:plain

向拝柱の柱上では手挟が軒裏を受けます。

手挟には菊の籠彫。

 

f:id:hineriman:20220309142225j:plain

4本ある向拝柱のうち、左右両端の2か所には海老虹梁が、内側の2か所にはまっすぐな繋ぎ虹梁が使われています。

 

f:id:hineriman:20220309142248j:plain

繋ぎ虹梁の母屋側の詳細。

繋ぎ虹梁の上には、母屋寄りの位置に蟇股が置かれ、桁を介して地垂木を受けています。

 

f:id:hineriman:20220309142309j:plain

母屋柱は角柱。おそらく内部や内陣には円柱が使われているのでしょう。

頭貫に木鼻はありません。頭貫の上には台輪が通ります。中備えは蟇股。

柱上の組物は尾垂木二手先。

 

f:id:hineriman:20220309142327j:plain

隅の組物を真下から見た図。

尾垂木で斗を持ち出し、肘木と軒桁を受けています。豪快でダイナミックな組物だと思います。

軒裏は二軒繁垂木。

 

f:id:hineriman:20220309142420j:plain

母屋の柱間の建具は、桟唐戸と引き戸が使われています。

 

f:id:hineriman:20220309142438j:plain

破風板の拝みには蕪懸魚。

妻壁は二重虹梁で、笈形付き大瓶束や、単体の大瓶束が使われています。

 

以上、普願寺でした。

(訪問日2022/02/18)