甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【岡谷市】平福寺

今回は長野県岡谷市の平福寺(へいふくじ)について。

 

平福寺は市西部の住宅地に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は彌林山。

創建は不明。14世紀に下社神宮寺の僧侶・憲明阿闍梨によって中興され、室町期は下社春宮の別当として隆盛したようです。戦国期には戦乱や災害で荒廃し、現在地に移転したとのこと。江戸期には近接する柴宮の別当として諏訪藩の庇護を受けました。明治期の廃仏毀釈では下社神宮寺が廃寺になり、その寺宝を平福寺が受け継いでいます。

現在の境内は江戸期から平成期にかけてのもの。境内にある日限地蔵は「おひぎりさま」として信仰されています。また、近隣には東堀正八幡宮や県宝の渡辺家住宅があります。

 

現地情報

所在地 〒394-0083長野県岡谷市長地柴宮3-3-22(地図)
アクセス 下諏訪駅から徒歩30分
岡谷ICから車で10分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト 彌林山平福寺
所要時間 10分程度

 

境内

参道

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平福寺の境内は南向き。入口には石造の冠木門が立っています。

入口は旧中山道に面しています。旧中山道をはさんだ向かいの区画には、柴宮(東堀正八幡宮)があります。

 

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参道右手には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

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手水舎の妻面。

妻飾りは、大瓶束のかわりに球状の材が置かれています。個性的でおもしろい意匠だと思います。

破風板の拝みには懸魚。こちらもあまり見かけない形状。

 

山門

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参道を進むと山門があります。扁額は山号「弥林山」。右手前に立つ社号標は「平福寺」。

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。

1996年造営。

 

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向かって左手前の柱。

角柱が使われ、挿肘木で女梁(肘木)と男梁を受けています。

男梁の先端は繰型が彫られ、その上に出三斗が載って桁を受けています。

 

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妻面を内側から見た図。

中備えは板蟇股。妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

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後方から見た図。

こちらの柱も角柱で、背面と側面に木鼻が設けられています。

通路上にわたされた虹梁には唐草が彫られ、中備えは蟇股が置かれています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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左側面(西面)。

破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚が下がっています。

 

鐘楼堂

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山門をくぐると右手に鐘楼堂があります。

切妻、桟瓦葺。

1953年造営。

梵鐘は戦時中に供出されたため、現在の梵鐘は鐘楼堂とともに新調されたものとのこと。

 

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目立った意匠はあまりありませんが、破風板の拝み懸魚に彫刻が入っています。

彫刻の題材は、波に亀。

 

日限地蔵と阿弥陀堂

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門をくぐって左側には、日限地蔵(地蔵堂)と阿弥陀堂が東面しています。

向かって左が地蔵堂、右が阿弥陀堂で、2つあわせて1棟になっています。左右非対称の奇妙な造りをしていて、建築様式をどう表現したらいいのかわかりません...

入母屋、銅板葺。正面向かって左側に千鳥破風が付きます。向拝は正面の左右に各1間あり、左の向拝は軒唐破風付。

右の阿弥陀堂は1704年(宝永元年)造営で、左の地蔵堂の部分は1925年の増築。

 

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まずは左の地蔵堂の部分から。

向拝は1間で、兎毛通や中備えに彫刻が配されています。

 

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大棟鬼板には、鬼瓦のような顔が造形されています。

唐破風の拝みから下がる兎毛通は、鳳凰の彫刻。

 

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唐破風の軒下の小壁には、雲間を飛ぶ2羽の鶴が彫られています。

しめ縄のかかった虹梁は、唐草が立体的に彫られていますが、縄の影になってよく見えず。虹梁中備えは竜の彫刻と、木鼻のついた平三斗が置かれています。

 

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向拝柱は几帳面取り。

虹梁の木鼻は見返り唐獅子ですが、しめ縄で顔が隠れてしまっています。

柱上の組物は出三斗。隣にある平三斗と、肘木・実肘木を共有しています。

 

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向拝を右側面(北面)から見た図。

向拝柱と母屋は、湾曲した海老虹梁でつながれています。

向拝柱の柱上では手挟が軒裏を受けています。手挟の彫刻は松に鷹。

 

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母屋柱は円柱。頭貫には象鼻。

柱上には台輪が通り、組物は大斗と実肘木を組んだものが使われています。

 

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屋根の千鳥破風。

破風板の拝みには鰭付きの猪目懸魚。破風には木連格子が張られています。

棟の前面には五三の藤の紋が見えます。

 

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つづいて阿弥陀堂の部分。

こちらも向拝1間。ただし屋根に唐破風と千鳥破風がなく、地蔵堂の部分と較べて簡素な造りです。

 

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向拝柱は几帳面取り。

虹梁は太い材が使われ、唐草の絵様が彫られています。

柱上の組物は皿斗をベースにした出三斗で、となりの虹梁の上にある平三斗と肘木を共有しています。

虹梁木鼻や中備えはありません。若干さみしい感がなきにしもあらず。

 

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海老虹梁は粗削りな造形のものが使われています。

母屋の扁額は「彌陀堂」。

 

本堂

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境内の奥へ進むと、大規模な本堂が南面しています。

入母屋、桟瓦葺、向拝1間。

1942年再建。

本尊の金剛界大日如来は市指定文化財。

 

写真左手前にあるのは行堂。こちらは1980年造営。

 

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向拝柱は几帳面取り。木鼻は、正面が唐獅子、側面が象。

虹梁は、菊の花の絵様が彫られています。虹梁の下部は持ち送りが添えられていて、持ち送りは波が彫刻されています。

向拝柱の組物は、皿付き大斗を使った出三斗。

 

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虹梁中備えには竜の彫刻が置かれています。

その左右には出三斗が置かれ、唐破風の桁を受けています。

唐破風の下の小壁は、鳳凰と思しき彫刻が見えます。

 

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唐破風の拝みの兎毛通の彫刻は、松に鷹。

鬼瓦には雲状の意匠が付き、五三の桐の紋が造形されています。

 

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向拝柱と母屋は、まっすぐな梁でつながれています。

梁の中央には笈形付き大瓶束。大瓶束の上部から小さい海老虹梁が出て、母屋の頭貫の位置に取りついています。

 

千力地蔵堂

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最後に境内南側の駐車場の一角にある千力地蔵堂。

切妻、銅板葺。

造営年不明。1925年発願。

 

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虹梁は弓なりにカーブし、上に通る頭貫とほとんど接触しています。

台輪の上の中備えは、荒々しい造形で竜が彫られています。

扁額のかかっている妻壁は、木連格子。

破風板の拝みの彫刻は、松に鶴。

 

以上、平福寺でした。

(訪問日2022/02/12)