今回は奈良県奈良市の率川神社(いさがわ-)について。
率川神社は奈良市街の中心地に鎮座しています。
創建は社伝によると593年。当初はヒメタタライスズヒメ(媛蹈韛五十鈴姫)を祀っていて、のちにその父神と母神も祀られるようになったようです。平安期の『延喜式』にも記載のある式内社です。平安末期には南都焼討で社殿を焼失し、興福寺の支援を受けて再建されています。以降、興福寺や春日大社の管理下に置かれました。1877年(明治10年)に内務省によって大神神社(桜井市)の境外摂社「率川坐大神御子神社」となり、現在に至ります。
現在の本殿は江戸初期の春日造が3棟並立し、県指定文化財となっています。また、境内社の率川阿波神社も延喜式内社のようです。
現地情報
所在地 | 〒630-8231奈良県奈良市本子守町18(地図) |
アクセス | 近鉄奈良駅から徒歩5分、またはJR奈良駅から徒歩10分 木津ICから車で15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 率川神社(いさがわじんじゃ) |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
率川神社の境内は南向き。
境内入口の鳥居は東向きで、奈良市街の幹線道路に面しています。向かって右(北)に100メートルほど行くと、漢国神社や近鉄奈良駅があります。
鳥居は木造の両部鳥居。扁額はありません。
拝殿は切妻、桟瓦葺。
柱は角柱で、柱上は舟肘木。
妻飾りは豕扠首。
本殿
拝殿の奥には、3棟の本殿が横並びに鎮座しています。
本殿は3棟ともほぼ同じ造りで、一間社春日造、檜皮葺。
江戸時代初期の再建。県指定有形文化財。
祭神は左から狭井大神(父神)、ヒメタタライスズヒメ(媛蹈韛五十鈴姫)、玉櫛姫命(母神)。子の左右に父母の神が寄り添うことから、子守明神とも呼ばれるようです。
本殿のあいだには板が立てられ、松や竹が描かれています。
本殿は3棟いずれも同様の造りのため、以降とくにことわりがない場合、中央の本殿の写真になります。
向拝柱は面取りされた角柱。柱上は鯖尾のついた連三斗。
虹梁はしめ縄がかかっていて観察できず。木鼻は拳鼻のようなものが使われ、皿斗を介して連三斗を受けています。
虹梁中備えは蟇股。蟇股の彫刻は、梅あるいは牡丹と思しき花が彫られ、鮮やかに彩色されています。
正面には角材の階段が7段。昇高欄の親柱には擬宝珠がついています。
縁側は切目縁かくれ縁かわからず。
階段や縁側の木口を隠す部材は黒く塗られ、白いU字状の模様が描かれています。このような意匠は初めて見ました。
こちらは向かって右の本殿。
右側には脇障子が立てられ、人物像が描かれています。
脇障子の後方には縁側がないようです。
大棟には千木と鰹木。
千木は先端が斜めにカットされ、内削ぎとも外削ぎともつかないもの。長方形の風穴が開けられ、大棟の鬼板の部分に取り付けられています。
鰹木は角柱状のものが大棟の上に2つ。
境内社
本殿の右側(東)には3棟の境内社が鎮座しています。
向かって左は住吉社。
一間社春日造、こけら葺。見世棚造。
祭神は住吉三神と神功皇后。
正方形の平面に妻入の切妻屋根が乗り、大鳥造のような外観。ただし正面に庇がついているため、これは春日造でしょう。
大棟には、先端が斜めにカットされた千木が載っています。
中央は率川阿波神社。『延喜式』に記載のある式内社のようです。
大鳥造、こけら葺。
祭神は事代主(えびす神)。
率川阿波神社は式内社ですが戦国時代に荒廃し、ほぼ廃絶に近い状態だったとのこと。1920年に当地に遷座し、現在に至るようです。現在の社殿はその頃のものでしょう。
こちらの社殿は正面に庇がなく、大鳥造と呼べる構造になっています。
柱は円柱で縁側もあり、左右の境内社よりも格上の造りをしています。大棟には外削ぎの千木。
向かって右は春日社。
一間社春日造、こけら葺。見世棚造。
祭神はタケミカヅチ、天児屋根などの春日神。
こちらは前述の住吉社とほぼ同じ造り。
以上、率川神社でした。
(訪問日2021/11/22)