今回は大阪府大阪市の住吉大社(すみよし たいしゃ)について。
住吉大社は住吉区の市街地に鎮座している摂津国一宮です。
創建は諸説ありますが不明。文献史料上の初見は『日本書紀』で、686年(朱鳥元年)の記事に当社が出現します。平安期の『延喜式』には「住吉坐神社四座」として記載されています。鎌倉時代や室町時代には時の幕府からも崇敬を受けますが、戦国期は度重なる火災で荒廃しています。
1606年に豊臣秀頼の寄進で再興され、江戸期はそれまで遅滞していた式年造替も再開し、1810年(文化七年)に現在の主要な社殿が再建されました。明治期には社号を「住吉神社」とし、戦後に現在の社号に改称しています。
現在の境内社殿はおもに江戸後期に整備されたもの。4棟の本殿は住吉造という由緒ある古式の建築様式で造られ、いずれも国宝に指定されています。本殿前面に建てられた渡殿・幣殿も国重文です。また、入口近くにある石造の反橋も名所となっています。
現地情報
所在地 | 〒558-0045大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89(地図) |
アクセス | 住吉鳥居前停留所にて下車してすぐ、または住吉大社駅から徒歩5分 阪神高速玉出出口から車で10分 |
駐車場 | 200台(1時間200円) |
営業時間 | 06:30-17:00(※エリアごとに開門・閉門時間が異なるため注意) |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 住吉大社 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
参道
住吉大社の境内は西向き。海運の神なので海の方角を向いています。
上の写真は最寄り駅の住吉鳥居前停留所から撮ったもの。境内入口の真正面の車道の中に、島のようなホームが設けられていました。
向かって右の社号標は「住吉大社」。
一の鳥居は石造の明神鳥居。扁額はありません。
反橋
一の鳥居の先には反橋(そりはし)。別名は太鼓橋。
1981年の再建。高さ4.4メートル。
石造の橋脚および梁は、慶長年間(1596-1615)に豊臣秀頼(あるいは淀殿)の寄進で造られたものと伝えられています。
明治初期まで参拝者はこの橋を渡れず、すぐ隣にかけられていた橋(現存せず)を渡ったようです。
現在は一般の参拝者も渡ることができます。ただし橋の踏み板の部分は階段になっており、通行者は渡るというよりは「登る」運動を強いられます。
南側から見た反橋。水面に橋が反射し、風光明媚な趣。
前述のとおりあまり渡りやすい橋ではないため、渡るためというより鑑賞するための橋なのかもしれません。
角鳥居と幸壽門
反橋を過ぎて境内の中心部へ向かうと、二の鳥居と幸壽門があります。
二の鳥居は石造の明神鳥居。柱が角柱になっているのが特徴で、角鳥居(かくとりい)と呼ばれます。扁額は「住𠮷神社」。
この角柱の鳥居は後述の渡殿内部にもあり、当社に特有の鳥居であることから住吉鳥居とも呼ばれます。
境内の中心部は瑞垣に囲われていて、正面側(西側)に3つの門があります。こちらは中央にある幸壽門。北側には幸禄門、南側には幸福門がありますが、そちらは割愛いたします。
幸壽門は一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。
虹梁中備えは蟇股。虹梁木鼻は象鼻。
組物は出三斗。
内部。扁額は「幸壽門」。
扁額の影になっていますが、梁(冠木)の上には蟇股が置かれ、さらに虹梁を渡しています。虹梁の上では間斗束が棟木を受けています。
左側面(北面)。側面には冠木が突き出ています。
妻飾りは大きな板蟇股。
軒裏は二軒繁垂木。
破風板の拝みと桁隠しには、梅鉢懸魚が下がっています。
第二・第三・第四本宮
境内中心部は瑞垣に囲われ、4つの本宮(幣殿・渡殿・本殿)が並立しています。上の写真は第三本宮幣殿(左奥)と第四本宮幣殿(右手前)。
第三本宮の後方には第二本宮、その後方に第一本宮がつづき、つごうL字型の配置となっています。
第二・第三・第四本宮はほぼ同じ様式で造られているため、まとめて紹介・解説します。
向かって右、南西側にあるのが第四本宮。
祭神は神功皇后。息長足姫(おきながたらしひめ)として八幡宮に祀られる神ですが、住吉三神とのかかわりも深いようです。
向かって左、北西側にあるのが第三本宮。
祭神は表筒男命(うわつつおのみこと)。住吉三神の1柱。
上の写真に写っているのは、本殿ではなく幣殿という社殿になります。
第二・第三・第四本宮の幣殿は、桁行3間・梁間2間、切妻、正面千鳥破風付、正面軒唐破風付。
いずれも1810年(文化七年)再建。国指定重要文化財。
母屋正面は3間あります。
中央は土間の通路で、奥に住吉鳥居(柱が角柱)が立ち、渡殿と本殿へつづいています。左右の柱間は高床で畳敷きになっています。
柱は角柱。柱上は舟肘木が使われています。
中央の柱間には虹梁が渡され、中備えは透かし蟇股。
唐破風の下の小壁にも透かし蟇股が配されています。
破風板の拝みから下がる兎毛通は蕪懸魚。
正面の千鳥破風と軒唐破風。
軒唐破風の鬼板は彫刻が入っていますが、金網がかかっていて詳細までは観察できず。
側面は2間。
柱間は両開きの扉と、舞良戸が使われています。
縁側は切目縁。
軸部は長押と頭貫で固定されています。木鼻は使われず、古風な純和様の造り。
妻飾りは豕扠首。これも古風な意匠です。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
幣殿の後方には、渡殿(左下の低い屋根)と本殿がつづいています。写真右奥に見えるのは第二本宮。
渡殿は切妻(妻入)、檜皮葺。
本殿は梁間2間・桁行4間、住吉造、檜皮葺。
両者とも1810年の再建。渡殿はいずれも幣殿とあわせて国重文、本殿は4棟あわせて国宝に指定されています。
本殿は住吉造(すみよしづくり)という非常にめずらしい建築様式で造られています。
住吉造は前後に長い構造と、妻入・切妻の直線的な屋根が特徴です。出雲大社の大社造、大鳥大社の大鳥造、伊勢神宮の神明造とともに、神社建築のもっとも古い様式のひとつ。現存の本殿は江戸後期のものですが、構造や意匠に古式が色濃く保たれており、神社本殿の発展の歴史を考えるうえで非常に価値が高いです。
本殿背面。
背面は2間になっていますが、正面側は中央の柱が省略され1間で、扉が設けられているようです。
柱間は側面・背面ともに白い横板壁。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには懸魚が下がっています。梅鉢懸魚を変形させたような独特の形状。
屋根は直線的な形状をしており、軒裏は一重の繁垂木。
第四本宮本殿(左)と第三本宮本殿(右)。
屋根の大棟には千木が載り、鰹木が5本並んでいます。
4棟ある本殿はいずれもほぼ同じ様式でつくられていますが、写真左の第四本宮本殿だけは屋根の上の千木の形状が異なり、先端が内削ぎ(水平にカット)されたいわゆる女千木になっています。これは、第四本宮に神功皇后が祀られているためでしょう。
対して、ほかの3棟(第一・第二・第三本殿)の千木は、先端が外削ぎ(垂直にカット)になったいわゆる男千木です。これは男神である住吉三神が祀られているためでしょう。
なお、「千木を見れば祭神の性別がわかる」という説が成立するのは伊勢神宮などごく一部で、すべての神社で成立するわけではありません。なので女千木・男千木という呼びかたは避けたほうが無難かと思います。
鰹木の本数が「奇数なら男神、偶数なら女神」という説もありますが、こちらも同様です。現に住吉大社の本殿4棟は、いずれも祭神の性別に関係なく5本の鰹木が載っています。
第二本宮の幣殿・渡殿・本殿。
祭神は中筒男命(なかつつおのみこと)。住吉三神の1柱。
背面。屋根の上の千木は外削ぎ。
解説は既出のため省略。
第一本宮
最奥部には第一本宮が鎮座しています。
祭神は底筒男命(そこつつおのみこと)。住吉三神の1柱。
第一本宮の幣殿は正面(桁行)が5間になっており、ほかの本宮の幣殿よりもひとまわり大きい造りをしています。
第一本宮幣殿は、桁行5間・梁間2間、切妻、正面千鳥破風付、正面軒唐破風付。
1810年再建。国指定重要文化財。
中央の1間が通路になっている点はほかの幣殿と同様で、異なる点といえば左右の畳の間が各2間になったところくらいです。
柱は角柱。柱間は正面が蔀戸、側面が板戸と舞良戸。
蟇股や兎毛通の造形もほかの幣殿と同じ。
柱は角柱で柱上は舟肘木。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
横に伸びただけなので、側面の意匠にも変化はありません。
渡殿および本殿。
渡殿は幣殿とあわせて国重文。本殿は国宝です(第一~第四本宮本殿の4棟あわせて1件で国宝指定)。
第一本宮本殿は、梁間2間・桁行4間、住吉造、檜皮葺。ほかの本殿と同様の造りで、こちらも1810年再建。
解説は既出のため省略。
屋根の千木は外削ぎ。鰹木は5本載っています。
大棟の門は菊、鰹木の木口には三つ巴の紋があしらわれています。
最後に4つの本宮の全体図。
独自の建築様式の本殿4棟が独特な配置で並び、ほかの神社とは一線を画する雰囲気。
ほかにも多数の社殿があるのですが、国重文の摂社・大海神社を見に行こうとしたところ閉門の刻限を過ぎていたため断念。住吉造の本殿4棟を拝めたのはよかったものの、時間の都合でいくつもの社殿を取りこぼす結果となりました。
期日未定ですが、再訪のあかつきには大海神社などを取り上げた「後編」も公開したいです。
以上、住吉大社でした。
(訪問日2021/11/21)