今回は岩手県盛岡市の盛岡八幡宮(もりおか はちまんぐう)について。
盛岡八幡宮は盛岡市街の東部に鎮座しています。
創建は社伝によると1062年(康平五年)。源頼義が、安部氏討伐の戦勝を祈願して、石清水八幡宮を勧請したのがはじまりとされます。当初は「鳩森八幡宮」といったようです。その後の沿革は不明ですが、1593年(文禄二年)に南部氏によって再興され、以降は盛岡藩の庇護を受けたようです。
現在の境内や社殿は近現代のもの。境内には多数の摂社末社が点在しています。また、盛岡の総鎮守で、多数の神事や祭事が行われるようです。
現地情報
所在地 | 〒020-0872岩手県盛岡市八幡町13-1(地図) |
アクセス | 仙北町駅から徒歩25分 盛岡ICから車で20分 |
駐車場 | 100台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 【公式】盛岡八幡宮|岩手県 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道と拝殿
盛岡八幡宮の境内は北西向き。めずらしい向きですが、盛岡城の方角に向けたものと思われます。
入口には赤い明神鳥居。扁額は「盛岡八幡宮」。
左の社号標は「盛岡総鎮守」。右は「県社八幡宮」。
参道左手には手水舎。
切妻、銅板葺。
参道右手には由緒書きと交通安全神社。
数十メートルほど進んだ先には拝殿。
入母屋の屋根を連続させた重層的な構造。屋根葺きは銅板葺。
向拝は3間。中央の1間は高くなっていて、軒唐破風が設けられています。
中央部の軒下。
壁面には蟇股と、笈形付き大瓶束が使われています。
向かって左。
向拝柱は角面取り。柱上は出三斗。
虹梁は無地で、木鼻は四角い材で繰型のような意匠がついています。
向拝の組物の上では、手挟が軒裏を受けています。
海老虹梁は、海老虹梁にしてはあまり曲がっていない形状。向拝側は虹梁の位置、母屋側は頭貫の位置から出ていて、微妙な高低差があります。
母屋柱も角柱。頭貫には、向拝のものと同じ四角い木鼻。
組物は出組。桁下には軒支輪。
屋根の正面に設けられた千鳥破風。
内部の妻壁には笈形付き大瓶束らしき部材が使われています。
破風板の拝みには派手な懸魚がついています。
なお、本殿らしき社殿は見えず、拝殿の後方へまわり込むこともできませんでした。
境内社
拝殿の北側には多数の境内社があります。
こちらは笠森稲荷神社。
案内板(設置者不明)によると、盛岡八幡宮の創建前から当地にあったらしいです。
拝所は切妻(妻入)、銅板葺。
扁額は「笠森稲荷神社」。
虹梁に木鼻がなく、柱上は舟肘木。古風な造り。
本殿は、一間社流造、銅板葺。
虹梁はなく、こちらも組物は舟肘木だけが使われています。妻飾りは豕扠首。拝所と色や意匠が同じで、統一感のある造り。
母屋正面の扉は桟唐戸。扉の上の扁額は「稲荷神社」。
笠森稲荷神社の北には梅宮。
拝所は切妻(妻入)、銅板葺。
本殿は、神明造(あるいは切妻?)、銅板葺。
笠森稲荷神社の奥には神明社。
案内板(設置者不明)によると、坂上田村麻呂による勧請とのこと。
拝所と本殿は、梅宮と同様の造り。
参道の北側にも境内社があります。
こちらは大国恵比寿社。大国と恵比寿の木造が置かれています。
切妻(妻入)、銅板葺。屋根にむくりがつき、柔和なシルエット。
大国恵比寿社のとなりには末社が並んでいます。十二支神社というようです。
いずれも切妻(妻入)で、大鳥造*1のような外観。
境内の北側には、岩手護国神社があります。参道は、盛岡八幡宮の参道と平行に伸びています。
入口には石造の神明鳥居。
奥には神明風の造りをした社殿があります。
以上、盛岡八幡宮でした。
(訪問日2022/04/17)